七.幸運の精霊に愛されし者
「だから行くなってつってんだろっ!」
手を延ばす暇さえなかった。グリフォンは翼をもつ猛獣だ。あっという間に距離を取られちまう。
野生の勘が働いたのか、
いくら接近戦では負けなしと言われてる牙炎でもグリフォンともなると警戒するらしい。
「さて。俺たちは陛下を援護するとしましょうか」
向き直ったと思ったら、国王の従者、ケイが爽やかな顔で言うもんだから、俺は思わず突っ込んだ。
「なに悠長に構えてんだよっ! つーか、ケイも止めろよ。主君が単身でシーセスの首領を相手にしてんだぞ!? 何かあったらどうするつもりなんだ!」
常に近衛騎士として国王のそばに控え、時には右腕としてともに政務を行い、一日中動き回るケイは最も信頼できる忠臣だ。いつだってケイはギルヴェール国王のことを一番に考えている。
だから、無謀にも戦いに出向こうとする国王を、一緒になって止めてくれると思ってたのに!
「ヒムロこそ何を言ってるんです? ギル陛下がそう簡単にやられるはずがないでしょう」
「はあ!? そっちこそ何言って——、」
「陛下は革命戦争を戦い抜いた軍人です。本性……、グリフォンにさえなってしまえば、負けなしですもん。というか、ギル陛下って俺よりも強いですから。本来、俺の護衛とか必要ないくらいですし」
深い赤の瞳がにこりと笑う。
柔和な笑顔を浮かべるケイの口からびっくりな情報が飛び出してきて、言い返すつもりだったのに、頭から言葉が吹っ飛んでしまった。
「へ? そう、なのか?」
「そうですよ。この場にいる面子の中で牙炎と直接切り結べる相手なんて、ギル陛下しかいないです。炎に強いのは光ですし、幸い陛下は光属性です。比較的優位に立ちやすいかと」
人にはそれぞれ属性ってもんが生まれつき決まっている。
世界は精霊の働きのおかげでうまく回っていて、なんでも俺たちの身体や生命も精霊のめぐりによって維持できているらしい。水とか炎とか、身体に宿る精霊の偏りによって属性が違ってくる。
俺は氷寄りな水属性だし、赤い髪と瞳をもつケイは十中八九、炎属性だ。同系統の属性をもつ相手には魔法ではあまりダメージを与えられないから、たしかにケイより国王の方が有利になれる。
「それに、直接対峙してみてわかりましたが、俺は……無理ですね。牙炎には勝てません。同じ人狼の部族として、格が違いすぎます。悔しいですけど。ですが、ただ黙って陛下だけを戦わせるわけにはいきません。一緒に、援護しましょう」
「一緒にって……」
ケイはいつもと変わらず笑っていた。けど、本当はそう見えていただけだったんだ。
国王が対峙する牙炎を見つめる瞳をそのままに、ケイは俺にこう持ちかけてきた。
「ヒムロ、無理を承知で頼みます。ギル陛下のため、牙炎を足止めしてくれませんか?」
なにを言われたのか、俺はすぐに飲み込むことができなかった。
誰が誰を止めるって?
「いや、足止めつったって……」
「力では牙炎に及ばずとも、邪魔くらいはできると思うんですよね。ですが、俺はあいにく魔法は不得手で……。ヒムロは力量のある魔術師ですし、
「そりゃ俺は剣より魔法の方が得意だし、使えなくはねえけどさ」
一時的に魔法を使えなくする魔力封じも、相手を足止めさせる影縫いも邪魔させるには有効な魔法だろう。理屈はわかる。
けど、心の片隅では別の不安が大きく膨れあがろうとしていた。
牙炎は魔法を弾く。
これは牙炎と付き合いの長いクリュウが言っていたことだった。
実際、国王が放った光の攻撃魔法は弾かなかったわけだから、全部の魔法が当てはまるわけじゃない。でもケイが提案した魔法はどれも相手の抵抗が成功してしまったら不発に終わる種類のものばかりだ。ただでさえ、俺は魔法の発動率が悪いし。
再び、光が散った。
光撃魔法——、いや今度は初歩魔法の
『うわっ、あっぶねェじゃねえかこの野郎!』
『……ふん。勘だけはいいようだな』
眩い光が消えるころ、そんなやり取りが聞こえてきた。
仕掛けたのはギルヴェール国王の方からだったんだろうか。あんなに焦った感じの牙炎の声は聞いたことがない。
「ヒムロ、時間がありません! 牙炎が怖いなら、俺が盾になります。ヒムロが詠唱できる手助けはなんでもします。ギル陛下はルーンダリアにとって唯一無二の存在なんです」
「わかった」
俺にとってもギルヴェール国王は大切な存在だ。
こんな臆病でヘタレで、立場もわきまえず国王相手に敬語も話せない俺のことを、あいつは大切な存在だと言ってくれた。身体と命を張って牙炎に向かって行ってんのは間違いなく俺のためだ。
それなら、俺が根性見せなくてどうすんだよ!
杖代わりの錫杖を握りなおす。シャラ、と軽い音が耳をくすぐった。
俺には千影の爪を和刀に打ち直した、この仕込み杖がある。魔竜の魔力が俺の魔法を補助してくれるはずだ。
和国には人狼の魔族はいなかったから知らなかったが、狼は俊敏な生き物だ。国王が戦いやすくするためには、動きを制限させる
初歩の闇魔法なだけに、詠唱は簡単だ。あとは無事に魔法が発動することを祈るのみで——、
「やめておけ、ヒムロ」
口を開き、息を吸い込んだところで、横から腕をつかまれた。
狭い店内では得意の翼で十分に飛ぶことさえ敵わない。陸の上ならば、グリフォンよりも狼の方が俊敏さの点では有利だ。だからこそ、一秒でも早く魔法を発動しなくちゃならねえのに。
集中を乱されて胃がむかついた。
文句の一つでも言ってやろうと顔を上げた途端、強い光を宿した青い瞳と目が合った。
「お前では無理だ。精霊魔法で牙炎は止められねえ」
一瞬、誰だかわからなかった。けど、一呼吸ののちに、床に転がった眼鏡を拾い上げかけ直す動作を見送った頃になってようやく、そいつがクリュウだって気づいた。たぶん、牙炎に吹っ飛ばされた時に一緒に眼鏡も飛ばされたんだろう。
視力を補強する眼鏡は、クリュウにとって生活の必需品だ。裸眼では視界がぼやけてなにも見えない、と前に言っていたのを覚えている。
なのに、クリュウは眼鏡よりも俺を優先した。なんとしても、魔法の発動を阻止するために。
「なんで止めるんだよ、クリュウ! このままじゃギルヴェール国王が……!」
「ヒムロ、俺は牙炎の味方をするつもりはない。けどな、効きもしねえ魔法を発動させても仕方ねえだろ。それこそ魔力の無駄使いだ」
「効きもしねえって……」
こんな真っ正面から無駄だとか言われるとは思わなかった。
そりゃガキの頃は簡単な魔法くらいしか取り柄はなかったけどさ。今はそうじゃない。これでも一人前の魔術師だっていう自負は俺にだってある。
「そりゃ昔はそうだったかもしれねえけど、今は違うかもしれないだろ!? 国王が怪我したらどうすんだよ!」
「俺だって、国王に怪我なんてさせたくねえさ。これでも商売も少しはしてるからな、ひと目あった時からギルヴェール国王のことは気付いていたんだぜ? 商業国家ルーンダリアはきな臭えゼルスよか取り引きしやすいし、個人的にも良い関係を築いておきたい」
「……なら!」
「けど、牙炎はだめなんだ。相手が悪い。お前の魔法じゃ、あいつに届きはしねえんだよ! あいつは幸運の精霊に愛されし者なんだ!」
両腕を強くつかまれて出た言葉に、俺は愕然とした。
幸運の精霊に、愛されし者。その言葉が意味することを当然俺は知っている。
「何ですか? その、幸運の精霊に愛されし者とは。幸運の精霊なんて聞いたことありませんが」
視界が真っ白になりそうな中、ケイの声が聞こえてきた。次第に色が戻ってくる。
ため息をついたあと、クリュウは俺を離してくれた。
「幸運の精霊はちゃーんといるんだぜ? 牙炎は特別幸運の加護が強いんだ。ま、ようは強運体質だってことだな」
「幸運ではなく、強運ですか」
「運も実力のうちとはよく言われるが、牙炎は幸運ひとつだけで首領にまでのし上がってきた
その通りだった。
牙炎が最強クラスの幸運を持っているとしたら、俺はその逆。極度の不運体質だからだ。だからこそ魔法の発動率は悪いし、何をやったって失敗する。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!?」
「落ち着け、ヒムロ。それは俺がちゃんと——」
「ぐああああっ!」
悲鳴が部屋を満たした。
ギルヴェール国王じゃない。牙炎だった。
はっとして見ると、狼がグリフォンに押さえつけられていた。グリフォンの前足、その鍵爪からは赤いしずくが滴っている。力任せに振り下ろしたんだろうか。
もともと牙炎は赤い毛並みだからわかりにくいけど、血の匂いがかすかにした。ギルヴェール国王の方が優勢なのが、俺でもわかる。
もしかしたら、俺はまた心配しすぎていたのかもしれない。一番そばにいる忠臣のケイが落ち着いているんだ。人を集め、組織し、己の力で闇組織から国を取り戻したほどの強烈な国王なら、牙炎に勝てるんじゃねえのか?
ほのかな期待が胸の中で広がっていく中、クリュウだけは違った。
俺の甘い考えを打ち砕くように、苦虫を噛みつぶしたような顔でこう宣言した。
「……まずいな。国王、あのままじゃ負けるぜ」
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