十.白檻

 がりがりと、床を削る音に紛れて歌のような詠唱が聞こえてくる。

 クリュウが刀の切っ先で術式の陣を描いているんだ。どうやら、牙炎を捕らえる縄を作る今回の術は大掛かりなものらしい。


 魔法による冷気を孕んだ霧は火を焚けないようにするばかりか、互いの視覚を制限させる。効力はしばらくもつし、牙炎のことはクリュウに任せておいても大丈夫だろう。


 それよりも今は、ギルの安否が心配だ。


「ケイ!」

「ヒムロ、お手柄ですね。この分だと、じきに火も消えるでしょう」

「火事のことはとりあえず後回しだ。それより、ギルの傷を診てやらねえと……」


 獣の牙による裂傷に加え、翼の骨折。傷口はすぐにでも消毒してやらねえといけないし、翼だって固定してやらないと。

 部屋の中を見渡せば火はほとんど消えていた。木片とか探せなくもねえけど、ついさっきまで炎に包まれていたソレが添え木として使えるかわからない。耐久性はもちろん、まだ熱くて火傷するかもしれない。

 だとしたら、俺の持ち物の中で使えるものを探すしかない。


 白い霧の中、さっき投げ捨てた鞘、つまり錫杖の下半分を手探りで見つける。金属でできたそれは強度に関しては文句なしだ。

 それから俺は裾の長い上着を引き裂いた。和国の衣装に似せて作ったエセ着物だから生地はそんな高価なものじゃないけど、細長く裂けば紐の役割をするには打ってつけだ。

 大陸風の衣装がどうしても馴染めなくて作った自前の衣装だった。少しもったいないけど、服なんていつでも作れる。生きてさえいれば、これから先どうにでもなる。


「ヒムロ、なにをやっているんですか?」

「応急処置に決まってんだろ。翼が折れてんだ。最終的に病院に行くにしても、まずは翼固定しねえと」


 患部に直接触らないように気をつけながら、金色の羽毛に触れてみた。

 むう……。やっぱり指先だけじゃちっともわかんねえ。ケイの前だし、国王相手に失礼かもしれねえけど、やっぱり背に腹はかえられねえ。これも傷を診るためだ。ケイに怒られたら誠心誠意謝ろう。

 心の中で、俺は腹を括った。

 そっと金色の羽に触れる。体重をかけないよう注意しながら身をかがめ、顔を羽毛に覆われた首の根もとに近づけた。

 意外と、羽根は滑らかで固かった。


 口が触れそうな至近距離。何も感じないわけじゃなかったが、今はそれどころじゃない。緊急事態なのだと心に念じる。

 目を閉じて、視界を遮断する。予想通り、ギルの体内に宿る精霊力が伝わってきた。

 予想はしていたが、炎の精霊力が小さくなっていた。

 骨折した影響だろうか。精霊のめぐりが滞り始めている。牙炎の炎を間近で浴びたせいかもしれない。


 精霊は俺たちの生活を支えているばかりか、生命活動を維持するために一役を担ってくれている。

 人の身体にも様々な属性の精霊がバランスよく存在していて、そのめぐりで俺たちは健康を維持できる。


 炎精霊は生命を維持させるのに欠かせない。それが小さくなってるってことは、身体が弱くなっている証拠だ。


「やべえな。体内の精霊バランスがおかしくなってる。……ギル、我慢しろよ」

「……ぐ、うぅ」


 そっと翼に触れて添え木代わりの鞘で骨を固定してから、紐で巻いていく。

 ギルは唸るだけで、文句の一つも言わなかった。たぶん痛すぎて声すら出せないんだろう。可哀想に。


 あとは、傷口を洗ってやりたいところだけど……。


「ヒムロって医者でしたっけ?」


 やけに静かだなと思ったら、ケイが目を丸くしてそう尋ねてきた。

 え。なにを今さら。


「医者じゃねえけど、一応簡単な処置ができるくらいの知識と技術は持ち合わせてるんだぜ。幻薬を作るには医療の知識は必要だからな」

「ああ。そうでしたね」


 開業できるほどじゃねえけど応急処置くらいはできるって話は、ギルにもケイにも知らせていたはずだった。ケイはすっかり忘れていたらしい。主君が怪我で倒れているせいなのかもな。

 ケイはいつもギルの傍らにいて、仕事もできるし、国王の右腕って感じだった。少なくとも俺の中では完璧な従者ってイメージだ。主君になにかあると平常心を失っちまうのかもしれない。それが数少ない、ケイの弱点なんだろうな。


「……お、ちょうどいいタイミングだな。そろそろ完成するぜ」


 そろそろ歌も佳境に入った。流れるような詠唱はクリュウが唱える禁術の呪文。共通語コモンとも魔法語ルーンとも違う、言葉の羅列。

 削って描いた術式が白く発光した。

 黒い触手は禍々しさを感じるが、今度の術は静謐な白だった。床から飛び出してきたのは針金のような細く鋭利な白い網。ソレは迷うことなく赤狼を捕らえ、その体躯をぐるりと巻いた。なんか簀巻きみてえだな。あるいは海苔巻きとか。故郷でよく食べた郷土料理だ。


「おお! さすがいにしえの竜の爪だな。竜石みてえに砕けなかったぜ」


 抜き身の黒刀を振り上げて、クリュウは感嘆の声をあげた。その姿だけでも危ねえのに、なんとクリュウのヤツ、くるりと簀巻き牙炎に背を向けてこっちに来やがった。

 ちょっ、なに考えてんだやさぐれ教師! さっきまであれだけ牙炎とやり合ったっつーのに、無防備にも程があるだろ!!


「おい、クリュウ! あれ放っといていいのかよっ」

「なんだよ。捕縛しろっつったのはお前だろうが。大丈夫だよ。いかに牙炎が強運体質であろうと、禁術は関係ねえ。不運だろうが幸運だろうが、平等に相手を縛ることができんだよ。しかも今回使った、白檻はっかんっていう術は強力な媒体を使ってんだ。触手と違って、武器を使ったって切れねえくらい頑丈なんだぜ?」


 無防備すぎる行動は自信の表れだったらしい。

 たしかにクリュウの言う通り、牙炎は噛みちぎろうとしてるけど網はびくともしてない。これならあの狼を連行しつつ、全員で店の外に脱出できそうだ。火事は鎮火したし、焦る必要もない。ギルの身体を気遣いつつ、四人でゆっくり外に——、


 ——ぶちんっ!


 やにわに嫌な音が耳をかすめていった。

 聞き間違いかと思ったけど、どうやら違ったらしい。ケイとクリュウが石のように顔を強張らせていたからだ。


 本日何度目かの、嫌な予感がした。


 ぎぎぎ、と音でもしそうなくらいぎこちなく頭を動かして、もう一度視線を戻す。

 そしたら牙炎が口の間から炎の息を吐き出し、網の一部分を焼き切っていたのだ。氷の霧アイス・ミストの効力はまだ続いている。火はすぐ消えたけど、網はたしかに切れている。


「マジかよ!? てめえ、ホンモノのバケモンか!?」


 媒体に使ったのは魔竜の爪だ。魔石や竜石みてえな使い捨てじゃなく、竜の身体の一部というレアものの素材。

 なのに、その術すら破ろうとしているだなんて、これは現実なのか。


 白い霧の中、赤い狼が低い声で唸る。さすがに一息ですべての網を破れるわけじゃねえみたいだが、術を破壊されるのも時間の問題だった。


 もう一度禁術をかけるか? いや、二回目ともなれば今度こそ刀はもたずに崩れちまうかもしれない。

 俺の精霊魔法じゃ牙炎を捕らえることはできない。

 それにこっちは手負いのギルを連れてんだ。牙炎が拘束を破れば、こっちが圧倒的に不利だ。逆に俺たちが捕まる。


「てめェら、ふざけんなよ。俺サマを誰だと思ってやがる!? 全員まとめて仕留めてやる!!」


 狼の赤い双眸が燃え上がった。


 やばいやばいやばい!

 あれほんとに人なのか? 魔物かなんかじゃねえのか!? 普通じゃねえんだけど!!


「そこまでだ!」


 背後で聞こえてきたのはなにかが崩れる音と大勢の足音だった。

 辺りを漂う霧を抜け、痩身の男が飛び込んできた。


 長い金髪をなびかせた魔族だった。同じ男の俺から見ても美しいと思える、整った顔の造形。真っ先に目を引いたのは、禍々しいほどに真っ赤な瞳だ。

 輝く金の髪に、宝石のような真紅の瞳。その独特な容姿は、下っ端奴隷だった俺でも知っている。


 高位の土魔法を操るほどの熟練した魔術師であり、石化光線という特異能力を持つことで有名な、あの、


「……赫眼あかめ


 ティーヤ地区を治める首領ボスの登場だった。

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