六.真実の裏側

 耳慣れた、金属が滑る音がした。

 目の前でギルヴェール国王が、腰ベルトに提げた長剣を抜いたのだ。


 天井の灯りを反射し、鈍く光るその刀身は磨き抜かれいて、刃こぼれのない剣だった。その銀の色に魅せられる。

 姿勢のいい立ち姿。無駄な動きがない、流れるように剣を構える様は絵に描いたように美しかった。


 ——って、見惚れてる場合じゃねえし!

 今回はお忍びでシーセスに来てるっていうのに、ここで牙炎がえんとやり合ったらまずいだろ。


「いい度胸じゃねェか。俺サマに喧嘩を売っといて、ただで帰れるとは思ってねえよなァ!?」


 ああああっ、牙炎まで意気揚々と長剣を抜いちまった。

 どうすんだこれ。店内がいくら広いつっても、切り結んだらやばいだろ。


「あ? 先に俺の身内ものに手を出して仕掛けてきたのはそっちだろ。大体、部下の落とし前つけさせるというのも意味がわからん。貴様の部下が食われたのは上司である貴様の責任だろ」


 やっぱり、ギルヴェール国王は怒っているらしい。いつになく刺々しい声だった。


「どうせ口で言ったって無駄かもしれねえけど、千影ちかげのためにも言わせてもらうぜ、レガリー」

「は? なに——、」

「貴様が魔物と言っているが、かれは千影という名を与えられた、いにしえの竜という種族だ。助けを求めてきたヒムロを助けるため、千影が部下を手にかけたのは事実だろう。しかし元はと言えば、千影の縄張りテリトリー内に足を踏み入れたのはそもそも貴様だろ。よって、部下を失った責任はすべて上司であるレガリー、貴様が負うべきなんだよ」


 さっき垣間見たのは、過去の記憶だった。

 フラッシュバック? いや、白昼夢……だったんだろうか。よくわかんねえ。でも。


「……思い出した」

「はァ?」


 牙炎のことはちゃんと覚えていたし、千影と出会った日のことを忘れていたわけじゃない。

 けれど、当時は鱗みたいな岩——正確には、鱗ではなく竜の爪だったんだが——に触れた瞬間、すぐに意識が飛んじまって記憶が曖昧だった。


 そうだ、そうだった。

 あの時千影は、助けを求めた俺に向かってこう言ったんだ。




『良かろう、白きものよ。今日からお前は我のものだ。お前を害するものはすべて、この魔竜が闇に葬ってくれるわ!』




 岩の魔物だと思っていたのは、竜の姿をした千影だった。

 かれは二つ返事で俺を家族として受け入れ、病院に連れて行ってくれた。しばらく入院する必要はあったけど、俺は元気になった。それだけじゃなく、千影はまだガキだった俺を養い、手に職がつけられるよう竜魔法文字と魔術式を教えてくれた。

 言葉の通り、養父としてずっと俺のそばにいてくれたんだ。


 それにしても。俺でさえ忘れかけていた千影との邂逅かいこうの記憶を、どうしてギルヴェール国王が知っているんだろう。


「ようやく思い出したか! ヒムロ、テメエ、どう落とし前つけるつもりだ!?」

「あ、いや……思い出したつっても、牙炎の狼たちがどうなったかは知らねえ、けど……」


 大きな怒声があたりに響く。まるで燃え上がる炎のような激しさだった。怖い。心臓が締め付けられる。

 国王が壁のように俺を庇ってくれてるおかげで見えてなくてよかった。姿が見えてたら、腰が抜けていたかもしれない。


「知らねえなら教えてやるっ! あの魔物はな、俺サマの目の前で部下たちを——、」

「……ぜろッ!」

「ぐわあぁっ!」


 すぐ近くにいる俺にも聞き取れねえくらい早口で詠唱を終えると、ギルヴェール国王は再び光の攻撃魔法シャイニングフォースを放った。今度は俺も顔を腕で覆い、目が光にやられないようにした。再び閃光が部屋に満ちてゆく。

 二度も街中で、しかも今度は話の途中で魔法を放つなんて、らしくない。もしかして牙炎の言葉を俺に聞かせたくなかったんだろうか。……いや、考えすぎか。


「ぎゃーぎゃーうるせえんだよ。千影は傷ついた子どもを助けるため、貴様の部下を亡き者にした。事実なんてそれで十分だろ」


 そうか、国王は牙炎の口から余計なことを言わせないようにした、のかもしれない。

 千影は人に危害を加えることができないいにしえの竜だけど、敵に手心を加えたりしない。二度と自分の領域に踏み込ませないよう、ほとんどの場合、人を石に変えて食べてしまう。巣穴の外でそんな行為をしたら懲罰案件だけど、巣穴の中でなら竜の縄張り内ってことで不問にされるんだよな。


 ギルヴェール国王はたぶん、千影が人を食べたっていう事実を俺の耳に入れたくはなかったんだろう。

 誰だって、自分の親が人を手にかけたって話は聞いていて気持ちのいいもんじゃねえもんな。


 そうか。千影はあの時、牙炎の部下を食ったのか。二度と俺に手出しをさせないために。


「ヒムロは俺の大事な身内だし、貴様に渡すつもりはない。さきほども言ったが、力ずくでどうこうする気なら相手になってやるぜ、レガリー」

「いい度胸してるじゃねェか、金ピカ野郎」


 二度も弱点の魔法をぶつけられたっていうのに、牙炎の身体はびくともしていなかった。衣服は少し破れているものの、立ち上がり、怒りで太い腕を震わせている。

 牙炎は魔法を弾く。

 そんな噂は同じ館内に住む狼たちの間でも聞いたことがあった。けど、それは攻撃魔法には当てはまらないらしい。さっき悲鳴をあげていたもんな。見ただけじゃいまいちわからねえけど、確実にダメージは負っているはずだ。


 ゆらり、と。

 何の前触れもなく、赤い身体が揺らめいた。


 引き締まった筋肉に包まれた身体は燐光をまとい、やがてその輪郭は溶けていく。

 心臓が大きく跳ね上がる。嫌な予感がした。いや、予感じゃない。これは確信だ。牙炎が完全に攻撃態勢を取ったんだ。

 人の形から、四つ足の獣へ。瞬きをする間に、牙炎が大きな体躯の赤い狼へと変貌を遂げていた。


「やめろ、レガリー! お前は相手の話を聞いてなかったのか!? そいつ、いや、その人はルーンダリアの国王なんだぞ。お前が手ぇ出していい相手じゃないだろっ」


 床に座り込んだままクリュウが必死の形相で叫んでいた。

 大きな口を開き、牙炎が唸る。燃えるような赤い瞳がクリュウを睥睨へいげいする。


『俺サマに指図すンじゃねェクリュウ! 欲しいモンは必ず手に入れる。この牙炎に楯突くヤツは誰であろうと容赦しねェ。それが俺サマの方針だ!』

「なにが〝俺サマの方針〟だ! もともとヒムロは俺の金で買ったもんだし、今はルーンダリア国籍だっつってんだろっ!! 横暴も大概にしていい加減聞き入れろ!」

『誰が聞き入れるか。どうせテメェは俺サマを止めることなんざ不可能だろ! 弱いヤツがピーピー喚くんじゃねェ。そこで黙って見てろ!』


 クリュウも負けじと言い返して、なんとか説得しようと必死なのが聞いている俺にもわかった。

 だけど、口で言って聞き分けるなら、誰も苦労しない。俺だって館を脱走したりはしなかっただろう。

 予想通り牙炎は制止の手を振り払った。なんとかしようと牙炎の前に出たものの、体当たりされてしまった。


 もともとクリュウは頭脳担当で、体力仕事なんて不向きだし接近戦なんかできやしない。館にいた時も、和刀使いでもある俺を将来的には護衛として当てにしているってよく口にしていた。

 牙炎の言う通り、力で敵うはずがない。


「レガリー、貴様がその気なら俺は構わないぜ。……ケイ、ヒムロを頼む」

「かしこまりました。危なくなったら俺も援護にまわりますね」

「ああ、頼りにしてるぜ」

「えっ、ちょっ……!」


 従者のケイは止めるどころか、二つ返事で頷いてしまった。

 ギルヴェール国王がなにをするつもりなのかはわかっている。すぐにでも止めようと思ったけど、もう遅かったみたいだ。

 伸ばした手が空を切る。さっきの牙炎と同じく、国王の輪郭が変化した。


 眩い金の燐光が弾き、本性になった国王の姿があらわになる。


 鋭利な嘴、首から上は光を弾く黄金の羽毛の頭と、強靭な両翼。下半身は獅子の身体。力強い後ろ足と長い尾。

 そう、国王は金色に光輝くグリフォンへの姿になってしまった。


 ルーンダリア国の王家が魔族、しかも希少なグリフォンの部族であることは周知の事実だ。

 俺は世界情勢の知識としてクリュウに教わったし、ルーンダリア国民なら誰でも知っている。

 

「国王、だめだ! 牙炎相手じゃ、いくら強いって言っても敵うはずがねえって!」


 美丈夫なだけあって、そこそこ大きなグリフォンだった。牙炎も普通の狼よりひと回り大きいけど、獅子と鷲の幻獣だけあって大きさでは負けてない。

 俺たちキツネにとってはグリフォンは天敵のようなもんだけに、実際に対面すると心臓が縮み上がる。中身が国王だってわかっている。こればかりは本能みてえなもんだし、仕方ない。


 けど、怖がっている場合じゃないんだ。ギルヴェール国王がなんでこうも殺る気なのかはわかんねえけど、臣下として怪我される前に止めねえと!


『ヒムロは下がっていろ』

「そういうわけにいくかよ!」


 くちばしを開き、国王は息を吐き出した。いや、ため息をついたのかも。


『おまえはレガリーが怖いんだろ? 赤い狼に怯えるようになったのは、あいつのせいなんだろう?』

「それは、そうだけど……」


 俺にとって牙炎はトラウマのかたまりだ。越えられない壁のようなものだ。


『おまえが過去のことで狼が心の傷になっているのと同じように、レガリーのような裏社会の住人は俺にとって絶対に許してはならない相手だ。あいつらはいつも俺の大事なものを奪っていく。だから俺は、ここで引くわけにはいかん』


 前だけは牙炎を見据えながら、尾をぱたりと振った。金の羽毛に覆われた両翼が弓なりに持ち上がる。


『今のおまえは俺にとって大切な存在だ。今度こそ誰にも奪わせるわけにはいかねえんだよ』


 二度目の告白だった。

 いつだってギルヴェール国王の言葉はわかりやすくて、まっすぐだ。聞いているこっちが照れるくらいに、熱い言葉で。けど今は、恥ずかしがっている場合じゃない。


「俺は……、ギルヴェール国王に怪我をして欲しくないんだ」

『心配するな』


 一瞬、ほんの少しの間だけ、ギルヴェール国王は顔を向けた。

 雷色の瞳を得意げに細め、くちばしを開く。もしかしたら笑ったのかもしれない。


『俺は、かつて《闇の竜》からルーンダリアを奪還した国王様だぜ? あんな狼ごときに負けるつもりはない』


 それが戦いに赴く前の、最後の言葉だった。

 前足を踏ん張り、身軽く跳躍する。そうしてギルヴェール国王は憤然とする牙炎の前に躍り出たのだった。

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