五.レガリー地区の首領

 俺はおそるおそるかたわらのギルヴェール国王を見上げる。雷色の瞳はまっすぐ牙炎がえんを見据えていて俺を見ようともしていない。ぎくりと心臓が震える。

 次に、俺は国王の手もとを観察してみる。筋張った大きな手の甲はわずかだが、少し赤く腫れている。牙炎の頬と同じように。


「ま、まさか、ギルヴェール国王……、牙炎を殴ったのか!?」


 さあっと血の気が引いていくのがわかった。

 なんてことだ。俺がフラッシュバックしてる間に、とんでもないことになっていた。

 シーセスの地区を治める首領を、ルーンダリアの国王が殴ったのだ。牙炎よりも国王が先に手を出してしまった。

 短気な牙炎のことだ。自分のしたいことを邪魔されて大人しくしているほど、殊勝なやつじゃない。絶対黙っているわけがない!


「レガリー?」


 俺が一人悶々と心配してるっていうのに、国王は少し眉を寄せて首を傾げるだけだった。さっきの牙炎とクリュウの会話から拾ったキーワードを疑問に思ったんだろう。

 つーか、俺の質問に答える気なしかよ。無言は肯定ってことでいいのか!?


「牙炎の本名だよ。牙炎っていうのは通り名だからな。本当の名前はレガリーっていうんだ。ここティーヤ地区の首領ボス赫眼あかめだって、ちゃんと別で本名があるんだぜ」


 律儀の答える俺も俺だ。けど、説明できるのは俺しかいねえんだから仕方ない。クリュウは今、牙炎のフォローに回ってるみてえだし。


「ああ、いやそうではなく。レガリーってどこかで聞いたなと思ってな」

「牙炎が縄張りにしている地区の名前だよ。レガリー地区。あいつ、自分の名前を地区の名前にしてんだ」

「そうか、なるほどな。……レガリーが治めるからレガリー地区、ってことか。バカなのか?」


 おぉい、そこで火に油注ぐな国王陛下! すぐそこに牙炎がいるんだぞ!?


「誰だ! 今、俺サマのことをバカと言ったやつは!!」


 ほら見ろぉ! 牙炎が完全にキレちゃってるじゃねえかぁぁぁぁ!


「国王、やばいって。牙炎がバカとか、なんでそんな本当のこと言うんだよっ」

「おまえの方が俺よりひどいこと言ったぞ、今」

「——あっ」


 しまった。ついうっかり、本音が。


「ヒムロォ、テメエ覚悟はできてんだろうなァ!?」

「ひぃぃっ」


 腹の底に響くような重い怒声に心臓が震え上がった。思わずそばにいた——、いまだ俺を庇うように抱き寄せていた国王に縋りついた。やばい。そろそろケイに怒られそう。でも牙炎が怖ぇし。


「キツネの分際でこの俺サマに楯突こうとはいい度胸してんじゃねェか。立場の違いってモンをその身体に教え込んでやる!」

「だからレガリー、落ち着けって」

「うるせェ、クリュウ! テメェはすっ込んでろ!」


 見開いた赤い瞳が燃え上がる炎のように揺らめき、ぎらついた光を宿していた。完全にキレている。

 腕を一振りしただけでクリュウは軽く吹っ飛ばされてしまった。鍛え抜いた身体をもつ牙炎にただの研究者なクリュウが敵うはずがなかったんだ。


 それなりに気を許しているクリュウさえ無下に扱うようになったら、誰にも止められない。もう周りが見えてねえんだ。眉間に皺を寄せて、飢えた獣のような形相で牙炎が近づいてくる。

 やばいやばいやばい!


 店の中で魔法は使えない。商品を壊したりしたら絶対弁償ものだ。特に俺たちの周りには高価格の魔石や竜石が展示されている。気軽に財布の金で支払うことなんかできねえ代物しろものばかりだ。

 いや、弁償問題よりなにより、ティーヤ地区で揉め事なんか起こしたりしたら、赫眼あかめにまで目をつけられかねない。

 牙炎の爪から逃れるためにも、一秒でも早く店から出て逃げねえと!


 ——と、店の出口を探していた俺の真横を、まばゆい光がものすごいスピードで通り過ぎていった。


「……え?」


「ぐあぁっ!」


 続いて聞こえてくるのは牙炎の悲鳴と小さな爆発音。一瞬だけ店内は閃光に包まれた。

 ばらばらと、木の葉みてえにガラスの破片が落ちる。

 まばらにいた、店内の客たちの悲鳴がわき起こる。


 この事象には心当たりがある。魔法だ。

 シャイニングフォース。爆発を伴う攻撃魔法だ。そんな光属性の中位魔法を使えるやつなんか、この場に一人しかいない。


「テメエ、何しやがる!」

「おーおー、さすがに首領クラスともなれば弱点魔法でも一発じゃ倒れねえか」

「こンの金ピカ野郎、俺サマ相手にこんなマネをしておいて、覚悟はできてんだろうな!?」

「……チッ。だから裏社会の住人は嫌いなんだよ。覚悟だと? 貴様こそ誰に向かって口をきいてんだ?」


 逞しい腕が俺を後ろに押し退ける。

 今の俺はルーンダリア国民で、国王の臣下。だから、なにがなんでも主君を守らなくちゃならねえのに、まるで壁のようにそびえ立つ国王に俺はなにも言えなかった。青い布地の上を、一房の金髪が尻尾みたいに揺れた。

 反応が遅れたのは、目の前で起こりつつある展開に頭が追いつかなかったからなのかもしれない。

 地を這うような低い声と殺気立った気配に、鳥肌が立った。


 今まで一緒に時間を過ごしていて、機嫌が悪い時は何度かあった。それでも、こんな研いだ刃物みてえに鋭利な殺気は初めてだった。


「俺はルーンダリアの国王様だぜ。もう貴様ら裏の者たちに俺のものを奪わせはしねえ! 楯突く覚悟があるのならかかっこてい。相手になってやる!」


 雷のような一喝が鼓膜に響き渡った。

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