四.魔物の正体とは

「あれはどれくらい前だっけな。百年、いやそれより前か? よく俺サマの前に顔を出せたもんだなァヒムロ!」


 ずかずかと、大股で歩いてくる牙炎がえんはギルヴェール国王やクリュウよりも背が高かった。

 襟ぐりが大きく開いた濃いグレーのシャツの上に、真っ赤なロングコート。クセのある金赤の髪はオールバック。最後に会った時となんら変わっていない、狼たちを従える首領ボスだった。

 牙炎は燃え上がるような赤い瞳を俺に向け、挑むように細めた。


「魔物を盾にして逃げ隠れるのはもうやめたのか。あァ!? まあ、どうでもいいかー。、覚えてるよなァ?」

「か、借りってなんのことだよ……っ」


 ちゃんと声が出た。言い返せた。少し、声は裏返ってしまったけど。

 まるで心臓を鷲掴みにされてるみてえに痛い。足がずっと震えてる。立っていられない。

 身体のバランスを崩しかけたところに、牙炎の大きな手が俺の胸ぐらをつかんだ。


 目の前に、赤が迫ってくる。


「忘れたとは言わせねェ。あン時の魔物に食われた部下の借り、テメェにきっちり支払ってもらうぜ!」


 ぬるい吐息が顔にかかり、俺は爆発寸前な牙炎の怒りを肌で感じた。

 ぞくりと背筋に寒気が走る。

 視界いっぱいに広がる赤。

 浅く息を吐く。うまく空気を吸えない。牙炎が俺の喉を力まかせに塞いでいるからか。


 魔物って何だ。食われた部下って、一体……。

 身に覚えがなさすぎて、わけが分からなかった。


 俺は他にもなにか、大事なことを忘れているのか?

 

 世界が白く染まる。

 店の内装も目の前の牙炎も、ギルヴェール国王も。なにもかも見えなくなった、その瞬間。

 再び俺の意識は過去に戻った。




 ◇ ◆ ◇


 


 仄暗い世界で、不気味に赤い光が二つ灯る。

 いつも俺はその牙炎の瞳をぼんやりと見上げていた。


 絶えることのない鎖の音が耳障りだった。

 殴打された腹や背中はアザになっていて、特に腰から尻尾にかけての痛みと痺れが辛かった。

 魔族の俺が獣人のやつらのように、人の姿でも尻尾や耳を出したままでいられるなんて、普通あり得ない。与えられる痛みがつらくて苦しくて、狐から人へ——完全な普通の人に戻れる方法を忘れてしまった。

 そうして俺は満足に変化へんげすることができない、半端な妖狐になった。


 狼たちの首領ボスである牙炎が、俺に要求したことはたったひとつ。無条件に従うことだった。


 抵抗する気はなかった。相手は幸運さえ味方につける狼だ。不運体質の俺が敵うわけがない。

 なるべく牙炎の機嫌を損ねないよう何度も首を縦に振っているというのに、どうしてか納得してくれなかった。


 今思い返せば、狙われたのは一人で部屋にいた時だ。


 前回は挨拶をしなかったから生意気だと言われた。だから次の日は挨拶をしたのに、今回はどうやらおどおどした俺の態度が気に入らなかったらしい。理不尽だ。


 逆らわないと何度誓っても、部屋に連れていかれ鎖に繋がれた。日が暮れるまで泣いて、ついに俺は自室から出ないことに決めた。だって、引きこもってさえいれば、牙炎たちと顔を合わせなくてすむだろ?

 耳と尻尾を戻せなくなった時、さすがにクリュウは俺がされていることに気づいて牙炎に直談判してくれたけど、待遇が改善されることはなかった。


 結局、俺がどれだけ素直に従ったって無駄だったんだ。クリュウがいくら言っても聞いてくれない。このまま館に住み続けていたら、いつか絶対殺される。

 無理やり部屋の外に引きずり出され、同じ目に遭う。そうしてなぶり殺されて、誰にも知られることなくひっそりと死んでいくんだ。


 そんなのいやだ。

 まだ俺は、死にたくない。


 隙を見つけたのは偶然だった。牙炎の部下が気を緩めて鎖を外す隙を突き、逃げ出した。

 魔力を封じる拘束具を首にはめられていたままだったけど、手足は自由だった。魔法は使えなくたって、自分の足で逃げられた。

 いつも心配してくてたクリュウのことは気がかりだった。でも命にはかえられない。


 走ると足がちぎれそうなくらい痛かった。頭も胸も、どこもかしこも痛い。うまく息ができなくて、足を止めると倒れてしまいそうで。だから無我夢中で走った。

 逃げられるなら、どこでもよかった。そこが鬱蒼とした森の奥にある、暗い岩穴だとしても。


 たどり着いたのは、淡い光が常時灯る不思議な洞窟だった。

 一歩足を踏み入れる。洞窟内はごつごつとした岩に覆われていて、足を取られる。

 力をふり絞って走ってんのに、後ろからは牙炎やその部下たちの声が迫ってくる。


 追いつかれる。


 石につまずいた。一秒でも早く奥に逃げなきゃなんねえのに!

 痛みをこらえながら起き上がった瞬間、俺は絶望する。

 すぐ目の前には背丈を超える巨大な黒い岩が、壁のようにそびえ立っていた。逃げ道はない。もう、だめだと思った。


 けれど————、


『貴様は何者だ?』


 岩がしゃべった。

 よく目をこらして見ると、それは不思議な材質でできた岩だった。洞窟内の照明——紫色の淡い光に照らされたソレには、黒く光る鱗がびっしりと生えていた。


 ぐらりと岩が揺れる。


 頭上にはひときわ濃い紫色の光がふたつ。消えたり点いたりしている。その光が一対の目だということに、俺は少ししてから気づく。

 巨石の岩は生きていた。モンスター……、いや魔物か? 少なくとも精霊じゃあない。

 普段の俺ならこわくて逃げ出していただろう。けど、俺は黒い岩に触れ、すがった。


「…………けて」


 相手が魔物でも、なんだっていい。まだ死にたくない!


「たすけて……!」


 渇ききった喉から出た声はかすれていた。けれど、向こうはか細い俺の声をちゃんと聞き取ってくれた。

 紫水晶のような目が細くなる。

 そのあと、かれは————。







「ヒムロ、しっかりしろ!」


 白い闇の中で俺を呼ぶ声がした。

 前も見えなかった白が薄い霧に変化していき、視界いっぱいに青が広がっていた。


 立てなかったはずなのに、腰のあたりに腕がまわされ支えられていた。

 青の正体は衣服だった。まだ知り合ってから一ヶ月も経ってないのに、すっかり見慣れてしまった立ち襟の宮廷服。顔を少し動かすと、眩い光を弾く金糸のような髪が見えた。


「ギル、ヴェール国王……」

「……ったく、おまえはいつも心配させやがって。ギルでいいって言ってんだろうが」


 耳もとに生ぬるい吐息がかかった。めちゃくちゃくすぐったい。離れようとしたら、国王は腕を俺の腰から離して、頭を押さえつけてなで始めた。

 つーか、まだ愛称にこだわってんのかよ!?


「ちょっ、なでるなよ! 俺はガキじゃねえぞ!?」

「子供扱いしてるわけじゃないんだがな。大丈夫か? 一人で立てるか?」

「……立てるに決まってんだろっ」


 ギルヴェール国王はどんなに失礼な口をきいたって、笑って流してくれる。

 優しい言葉かけや心配してくれたのが嬉しくて、ついきつい口で返しちまったけど、国王は今回も笑ってくれた。さらには軽く頭を叩いてくれて。

 その、ぽんぽんという動作がぶり返した心の傷を軽くしてくれたような気がした。


 だって、さっきまで心臓が潰れそうなくらいに怖かったのが嘘みたいに、今は落ち着いている。動悸もおさまっている。震えて立てなかったのが、ちゃんと自分の足で立っている。

 国王が俺の名前を呼んで、現実の世界に引き戻してくれたおかげだ。


 あれ、ちょっと待てよ。俺、さっきまで牙炎に胸ぐらをつかまれて首を絞められていなかったっけ。


「離せクリュウ! まだ話は終わってねェんだよ!!」

「話し合いなんざ、てめえが一番不得意な分野だろうが。いいから落ち着け! もうヒムロに手ぇ出すんじゃねえよ、レガリー!」


 店を見渡してみて、俺は固まった。

 商品の展示コーナーの一角で、牙炎が座り込んでいたんだ。そのそばにはクリュウがいたんだけど、牙炎の前に回り込んで叱っている。たぶん、俺とギルヴェール国王に近づかせまいとしてくれているんだろう。当人は今にも暴れ出しそうだ。

 その獣のような顔を見た途端、俺は違和感に気づいた。


 牙炎の頬が少しだけ、赤く腫れてるような気がする。

 そういえば、さっきまで立っていたのになんで牙炎は座り込んでいるんだ?


 嫌な予感がした。

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