三.禁術の研究家クリュウ
家族と故郷の村を失った、あの日。
気が遠くなるほどの長い時間、グラグラ船に揺られて最終的に連れてこられたのはデカい洋館だった。最初に出迎えてくれたのがクリュウと名乗る男だったんだ。
大柄で筋肉質な
研究者よろしく常に白衣を着ているから肌の露出は少なめだ。そんな彼の数少ない特徴は、首筋に彫り込まれた不思議な模様のタトゥーだった。
「ずいぶん大きくなったじゃねえか」
妙に弾んだ声が聞こえたと思ったら、いきなり髪をかき撫でられた。
ガキの頃から身長差は大きかった。大人になった今では背丈の差は小さくなったものの、やっぱりクリュウの方が高い。
そのせいか、クリュウはそのへんの子どもにするみてえに乱暴になでてくる。くしゃくしゃになるんだけど!
「ちょっ、やめろよ! もうガキじゃねえっての!」
「そんな尻尾をぶんぶん振っといて、何言ってんだ。クマのぬいぐるみにギャン泣きしてたのに、今じゃ一端の魔術師じゃねえか! 会えて嬉しいぜ、ヒムロ!」
「だからやめろって!! そんな昔のことを引き合いに出すんじゃねえよっ」
「はははっ、悪ぃ悪ぃ」
手を払いのけて抗議したら、クリュウはすぐにやめてくれた。悪いと言ってる割には悪びれずに笑っている。
俺が大きく声をあげたせいだろうか。商品を物色していたギルヴェール国王とケイが近くにきていたようだ。特に国王は俺の腕を引っ張って背中に庇ってくれた。
……うれしいけど、立場的には逆じゃね? 国王が臣下を庇ってどうすんだよ。
「俺の部下に何の用だ」
眉を寄せて国王はクリュウを睨みつけているようだった。いや、そんな警戒しなくても。
ケイは国王より少し後ろで控えている。大人しそうに見えるけど、ケイも警戒モードだ。ベルトに差し込んである剣の柄に触れて、いつでも応戦できるようにしてるあたり、やばい。
おいおい、いくらここが無法国家だからって、他国で暴力沙汰はまずいだろ。
鋭く眼光を向けてくるギルヴェール国王と臨戦態勢のケイを目の前にしても、クリュウは動じなかった。値踏みするかのように上から下まで二人をじっくりと見たあと、意味深ににやりと笑った。
「そう警戒すんなよ。なにも取って食おうってワケじゃねえんだから。……そうか。今、こいつらの下で働いてんのか。いいトコ見つけたじゃねえか」
腕を組んだまま、クリュウはにやにや笑っている。なに一人でわかったふうに笑ってんだ、こいつ。つーか、国王の質問にも答えてねえし。
「ヒムロ、知り合いか?」
振り返ってギルヴェール国王が俺に尋ねてきた。思っていたより表情は冷静で、怒っていない、と思う。
頷いて、俺は国王に答えてやることにした。
「うん、そうなんだ。あいつは牙炎の部下で、同じ屋敷にいた——、」
「クリュウだ。主に禁魔術式を研究している一介の研究者だぜ?」
なのに、クリュウときたら、俺の言葉を遮って自分で名乗りやがった。自己紹介する気あるなら、初めからしろよ!
ついでに爆弾まで投下しやがったし!!
「禁魔術式……、聞いたことがあります。それって、禁術のことですよね?」
初めに反応したのはケイだった。
偶然にも事前に国王にはクリュウについて知らせておいたから反応はしなかったけど、ケイは少し警戒していたようだった。眉を寄せて固い表情になっている。
基本的に禁術が媒体とするのは人の生命だ。ルーンダリアで禁止されていないとはいえ、近衛隊長でもあるケイは警戒しないわけにはいかないんだろう。
対するクリュウは口もとに余裕の笑みを浮かべながら、頷いていた。
「その通り。ま、自衛のためにも言っておくが、俺は禁術のために人を殺してなんかいないぜ? たしかにリソースになんのは生命だが、効率悪ぃんだよな。それよか、竜石を媒体にした方が効率がいい。金はかかるけどな」
「じゃあおまえはその竜石を調達するために、買物にきたんだな?」
「そうだぜ。ティーヤ地区の
こっちは肝が冷えるような思いをしているってのに、クリュウはどこまでも余裕だ。
まあ、でも。ちゃんと自分で人を殺して術を使っていない旨を説明してくれてよかった。魔力量で言えば竜石の方が多いのは確かだ。竜石が魔力の結晶だってことは国王にもケイにも説明済みだし、今朝は国王にクリュウが人を殺めていない禁術の研究家だって話した。たぶん納得してくれたと思う。
たしかクリュウって剣の腕はいまいちだった。接近戦での実力で言えば、国王やケイの方が上だ。
身の安全のためにもちゃんと釈明すんのは大事だよな。
嘘ついてるって可能性も捨てきれねえけど、たしかギルヴェール国王って嘘を見抜く魔法が使えたはずだ。真実をちゃんと語っていれば敵対関係にはならねえはず。そもそもクリュウは本当のことしか言ってない。
気さくな態度もよかったのか、ケイは警戒態勢を解いたようだった。剣の柄から手を離して、姿勢を正している。
その姿をなんとなく見ていたら、再びクリュウに話しかけられた。
「つーか、ヒムロ。誰が牙炎の部下だって? あの狼はただの居候だろうが」
「……え?」
ふいに落ちてきた言葉に俺はすぐに聞き返せなかった。
腰に手を当て撫然とした表情をするクリュウをぼうぜんと見上げる。すると今度は舌打ちが聞こえてきた。
「……あんのバカ狼、ただじゃおかねえ」
「えっ、だって牙炎が首領だろ? 実際、クリュウと俺は牙炎の屋敷にいたし」
当然だけど地区を支配する首領は大きな洋館を所有している。牙炎の屋敷はお貴族サマの館並みにデカかった。
その館にいた俺とクリュウは牙炎の傘下、つまりは部下ってことになる。そう、思っていたんだけど。
クリュウの見解はどうも違うらしい。
さっきまで飄々とした、楽しそうな雰囲気は消え失せていた。
形のいい眉を不機嫌そうに寄せ、クリュウは目にかかりそうな長い前髪を片手でがしがしとかき回しながら、唸るように言った。
「たしかにあのバカが首領で間違いはないんだが。あー、説明すんのめんどくせえ」
まるで苦虫をつぶしたような表情。もしかして俺がガキの頃に信じていたことは、事実と違っていたのかもしれない。
そういや、クリュウが牙炎に敬語で話しているところは見たことがねえし。
「クリュウは牙炎の部下じゃねえのか?」
もう一度聞いてみると、クリュウははっきりと首を横に振った。答えは否だ。
「俺は牙炎の部下じゃねえよ。そもそもおまえだってあいつのものではなく、俺の部下……いや、助手だったんだ」
「どういうことだよ」
もしかして、俺はとんでもない思い違いをしていたんじゃないのか。
頭の中でよぎったその疑問に、クリュウはすぐに答えてくれた。
「あのな、ヒムロ。あの屋敷は俺のもんだし、たしかに牙炎は一緒に住んでいたが、あいつはただの居候だ。そもそもおまえを海賊から買い取ったのは俺なんだぞ」
今度は声も出なくなった。それくらい
うそだろ。俺、牙炎に買われたんじゃなかったのか。
本当の主人はクリュウだったってことかよ。
「おまえ、どういうつもりでヒムロを買ったんだ」
いつになく低い声だった。軽く腕を引かれて、ギルヴェール国王はまた背中に庇ってくれる。
だから逆だっての。
もう、突っ込む気力も起きねえけど。
猛禽のような鋭い目をする国王に対し、クリュウは唇を引き上げる。彼がギルヴェール国王を流し目で見る仕草はどこか艶めいて見えた。
「そうイキリ立つんじゃねえよ。
「研究の、助手……?」
思わずおうむ返しで聞くと、深い青の瞳が俺に向く。クリュウはうなずいて肯定した。
「和国出身者は器用なやつが多いし、特にヒムロは和国の生まれにしては珍しく魔術師の素養もあった。大陸(こっち)の言葉を教えてちゃんと教育してやりゃ、立派な研究者になるはずだったんだ。実際、ヒムロは物覚えが良かったしな。これでも生徒として大事に可愛がってたつもりだったんだぜ? ……それを、あんのバカ狼が」
その顛末は語るまでもないだろう。
牙炎とその取り巻きに俺は痛めつけられ、命の危機を感じて逃げ出した。そして竜の巣穴へと駆け込んだ俺は千影に助けられた。
結局、クリュウにはなにも告げずに別れることになってしまったんだ。
屋敷に来てからは部屋も与えられたし、衣食住に加えて教育まで施してくれた。奴隷じゃなく、クリュウは俺を助手として面倒を見てくれていたんだ。
思い返してみれば、牙炎が俺に近づいてくる時はいつもクリュウが外出していた時かもしれない。
「そう、だったのか。悪い、クリュウ。俺、もうあの館には……」
言い淀むと同時に、自分でも尻尾が下がっていくのがわかった。
知識と言語を教えてくれたクリュウには感謝している。
今はルーンダリアの王城で働いているけど、当時クリュウが支払った金をそのまま返せるかと尋ねられると、答えは否だ。そこまでの貯金はない。人身売買の市場では妖狐の値段はめちゃくちゃ高いって聞くし……。
「もういいんだよ、ヒムロ。俺にとってお前は弟みてえなもんだ。ヒムロがちゃんと元気でやってたならそれでいい。こんな怪しい研究者から懸命に守ろうとしてくれる仲間がいるんだ。あんたたちがどこの誰かは知らねえが、シーセスよりはよほどいいトコに住んでるんだろ?」
「おう! 実はそうなんだ。俺、今はルーンダリアにいて——」
ギルヴェール国王はもう何も言わなかったし、クリュウを睨みつけもしなかった。彼が俺たちに害をなす可能性がないとわかったんだと思う。
昔と変わらず、クリュウは親切な人のままだった。高い金を払ったはずなのに、もういいとか。優しすぎるだろ。
俺のことを弟なんだって言うなら、俺にとってクリュウは兄貴みたいなもんだ。
話したいことがたくさんあった。
新しく養父となってくれた千影のこと、竜文字のこと、魔法具の制作のこと。そして、なによりギルヴェール国王を紹介したかった。
離れていた百年以上の遠い年月の間、今まであったことぜんぶ話したかったんだ。
そんな俺のささやかな願いはすぐに叶わなくなった。
「クリュウ、いつまでちんたら買い物してんだ! もう昼になっちまうだろォ!」
腹の底に響くような重低音が店内に響いた。
無理やり記憶の蓋がこじ開けられ、心臓が縮み上がる。カタカタと、手が震えてきた。
赤だ。
赤が近づいてくる。
店内に入り込んだ赤い人影が、ゆらりと近づいてくる。
長身のギルヴェール国王と変わらないくらい、大きな影だった。
引き締まった筋肉をもつ体格のいい男だった、と今でもはっきり
魔法を弾き飛ばすほどの強靭な肉体を持ち、狼に変身すれば力で敵う者などまずいないと周囲に言わしめた実力者。炎の牙と異名を持った男。
彼を歩く災害だと言っていたのは誰だったっけ。もう思い出したくもない。
「牙炎」
気がつくと、名前をつぶやいていた。答えるように赤い男はにぃっと、愉しげに笑う。新たな獲物を見つけたと言わんばかりの顔で。
「誰かと思えば、その声はヒムロか。元気そうじゃねェか」
最悪の再会だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます