二.突然の再会
ギルヴェール国王と少し話をしたあと、少し近くを散歩して帰ったら、
いにしえの竜は眠りを必要としない。俺と出会う前、千影は竜の姿で丸くなって時間を過ごしていたらしい。
そんな千影は日が昇ったと同時にシーセス国内の街に入って食材を買いに行ったと言うもんだから、俺は腰を抜かしそうになった。
「一人でシーセスの街ん中に入ったら危ないだろ!?」
「なに、すぐそこまでであろう。ヒムロが心配することではないぞ」
「心配するに決まってんだろ! 一番近くの街って、レガリー地区じゃねえか。あそこはシーセスん中でも治安がめちゃくちゃ悪いんだぞ!」
シーセス国内が地区によって治安の良し悪しが違ってくるのは、自治している首領の手腕に左右されるからだ。
ティーヤ地区や《闇の竜》の自治区のように、治安が良いところの方が珍しい。基本的に強い者が弱い者を好きにしていいっていう謎ルールがあるからだ。
千影の行動は軽率だ。いくら強いと言っても、いにしえの竜は俺たち人族に強く出れる立場にない。
なにより、俺は誰よりもレガリー地区の恐ろしさを知っている。
そこは牙炎が治める
「それはそうと、千影。おまえ、そのナリで街に出かけたのか?」
まだまだ言い足りないことはたくさんあった。なのに、突然ギルヴェール国王が会話に割り込んできた。話の腰を折られてムカッとしたが、とりあえず黙っておく。
国王の疑問はもっともだと思う。
人型の姿を取っている時の千影は俺たちと同じように見えてかなり違う。
耳は先が尖った魔族特有の耳。けど、こめかみのあたりからはねじれた黒い角が生えているし、コウモリみたいな黒く光った皮膜の翼、同じく黒毛の太い尻尾が出ている。獣人の中には尻尾が出ているやつはいるし、コウモリの獣人だって見たことあるけど、角が生えているやつは見たことがない。ひと目見ただけで人外だとバレてしまうし、かなり目立つ。
「そんなわけがなかろう。目立つのは得策ではないからな。しかしこうすれば、我も人の間に紛れることができるのだ」
千影はにやりと笑い、一瞬のうちに角と両翼、尻尾を見事に消してみせた。
そういえば、まだ言ってなかったっけ。千影は完璧に翼と尻尾を消すことができるんだ。それはいにしえの竜なら誰でもできるってわけじゃなくて、千影が器用だからなんだけど……。
驚いて目を丸くする国王を、千影は楽しそうに眺めつつ、こう付け加えた。
「我は魔竜であるぞ。このくらい造作もない」
「そうなのか。じゃあ、なぜ普段は完全な人の姿を取らねえんだ?」
「この格好の方がカッコいいと、ヒムロが喜んでくれるのだ」
「うわー! 何年前の話だよっ! そういうガキの頃の話はバラさなくていいからっ」
なんてことを暴露してくれてんだよ! まさか、千影が今ここで俺の黒歴史を話すことないだろ!!
慌ててすぐに口止めしようと千影と国王の間に割り込んだが、すでに後の祭り。
嬉々として俺の子供時代の話で盛り上がり始めてしまった。千影はめちゃくちゃ嬉しそうだし、国王は楽しそうに聞いている。すっげえ居心地が悪いんだけど。
「朝から皆さん元気ですね。陛下はご自分で食べるでしょうし、俺たちは先に朝食いただいてしまいましょうか」
「お、おう……」
後からやってきたケイはそうコメントして、さっさとコタツに入ってしまった。寒さ苦手な彼はすっかりコタツが気に入ったようだ。
それにしての、主君相手にざっくりとした対応だ。ケイにとっては国王がマイペースなのはいつものことだろうし、慣れているんだろう。
俺もケイの誘いに便乗して朝食を食べることにする。千影が朝一番に買ってきたレタスとハムのサンドイッチはパンがやわらくて、うまかった。
◇ ◆ ◇
レガリー地区を出て千影の洞窟で暮らすようになるまで、シーセス国といえばゴミ溜めのような街のイメージだった。
千影を伴って他の地区へ行き来するようになってから、認識を改めるようになったっけ。
地区によって治安が良かったり悪かったりするのは、治めている
ギルヴェール国王とケイも、たぶん同じ気持ちだろう。
前にティーヤ地区には入ったことあるけど、毎回来るたびにシーセスへ足を踏み入れた実感がいまいち沸かない。
それほどまでティーヤ地区の街道はきちんと整備されていて、浮浪者なんか一人もない。いや、それどころかゴミひとつさえ落ちてないんだ。清潔で、たくさんの人で賑わう街だった。
表通りを歩いていると、警備隊が常駐している詰所が見える。
ティーヤ地区はまるでひとつの国みたいだ。ルーンダリアと変わらないくらい清潔できちんとしている。
「さて。いまいち実感が沸かないが、俺たちはシーセスに入国したんだよな?」
「ああ、入国している。移動手段は転移魔法だし、入国手続きとかいらねえからな」
「思っていたより、ずっと普通ですね。治安がいいとこうも違うのか……」
ケイが興味深そうに街を見渡して観察しているようだった。
国王付きの近衛騎士であると同時に、ケイは国王の片腕として政務もしているらしい。一国の要人としても、シーセス国のことは気になるのかもしれない。
「ヒムロ。魔法具店がある場所はわかるのか?」
「もちろん。川沿いのマーケットに行けばすぐにわかると思う」
国家が崩壊したシーセス国に地図なんてものは存在しない。
俺は記憶の引き出しからシーセス国の地図を取り出し、脳内で思い描きながら、迷わずギルヴェール国王とケイを案内した。
地図の上から見たシーセスはほぼ真四角の領土で、地区はきれいに四等分されているという。
北西は俺がいたレガリー地区、そしてティーヤ地区はその隣——北東の地域だ。
領土全体には大きな川が流れていて、その川沿いにいくつかの店が並んでいる。ティーヤ地区に流れている川はひとつだけなのもあって、目当ての店を見つけ出すのは簡単だ。なにより他の地区と違って安全な市場なのが、すごくいい。聞いた話によれば、時々不当に精霊や人を商品として出す店もあるらしいが、ティーヤ地区では通報すればすぐに取り締まってくれるらしい。
「ギルヴェール国王、ケイ、ここに入ろうぜ」
俺が選んだのは、マーケットの中でもひときわ目立つ大きな店舗だ。大きな取手がついたガラス張りの扉を押し開けると、カランカランと呼び鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
身なりのいい店主に迎えられた。いや、スタッフの一人か。
皺ひとつないシャツにきっちりネクタイをしめている。耳が尖っているから魔族なんだろう。
店内は広く、商品を見ている客は何人かいた。魔族だけじゃなく人間族や獣人族もいる。俺はキツネの耳と尻尾が出ているから獣人だと見られたかもしれない。
スタッフの男はそれ以上なにも話しかけてこなかったし、近づいてもこなかった。
魔族は人間族や獣人族には怖がられることが多いから、客に気を遣ってるんだろう。おかげでこっちは助かったけど。
「結構広いな。なになに……結晶石に、魔法具。この店、魔法具まで扱ってんのか」
早速物珍しそうにギルヴェール国王が声をあげた。相変わらず魔法具のことに関しては興味が尽きねえな。
「ちょっ、国王、あんまり大声出すなよ。恥ずかしいだろ。……魔法具つっても簡単に作れる既製品しか置いてねえよ。メディカルハーブとか風便りの魔法が使える翼のペンとか」
「いや、悪い悪い。ティスティル以外で魔法具を販売しているなんて思わなかったからな」
「首領の
「なるほどな」
大きな店舗を選んだせいか、種類ごとにエリアが分かれているらしかった。
俺たちの目的はサファイア——ジャンル的には竜石や魔石ってことになる。
「竜石のコーナーはあっちだな」
天井から下げられているプレートにはジャンルの名前が記されていた。
入口近くにはメディカルハーブみたいな安価な魔法具コーナー、高値で取り引きされる魔石や幻薬のコーナーは奥のエリアみたいだ。
比較的デカい店を狙って選んだだけに、この店舗は広い作りになっているらしい。魔石コーナーは入口近くのエリアと同じくらいの広いスペースを取っていて、魔石や竜石はガラスのケースにおさめられていた。
入口近くではたくさんの客で賑わっていたけど、魔石コーナーにはあまり客がいなかった。
魔石や竜石を買う顧客っていえば、俺みたいな魔法具を作る専門職のやつか、薬の精製に携わる医者くらいなもんだ。あとは魔法関係の研究者とか。そりゃ閑散とするだろう。
人混みが苦手な俺にとっては嬉しいけどな。
——と、あれこれ考えながら店内を見渡していたら、ふいにある男に目がとまった。
そいつはガラスケースにおさめられた魔石を熱心に見ているようだった。長い指先を形のいい唇に添えて、視線を落としたまま動かない。
だから、気づいたのは俺が先だった。
姿勢がよく、シミひとつない白衣姿が印象的だった。なめらかな黒髪を肩に流し、銀縁のメガネをかけている。ついと細められた切長の両目は深い青。
白い首筋から見える幾何学的な模様の刺青には既視感があった。
世界広しと言えども、思い当たる人物は一人しかいない。
レガリー地区にいるはずのあいつが、どうしてティーヤ地区の川沿いマーケットにいるのか。理由はわからない。
出て行ったのは百年以上前だ。ガキだった俺は背が伸びて、杖代わりの錫杖を持ち、一人前の魔術師になった。
なのに、あいつはちっとも変わっていなくて、胸の奥がふるえた。
ぶっきらぼうな口ぶりだったし、ギルヴェール国王みたいに優しく甘やかしてくれるタイプではなかった。
それでも。奈落の底のような世界でたった一人、親切にしてくれたから。
気がつくと、名前が口から出ていた。
「……クリュウ?」
ぴくりと、男の細い眉が動いた。下に向いていた視線がゆっくりと上がり、俺の方に向く。
「もしかして、おまえヒムロか?」
ガラスの奥の目が丸くなる。聞こえてきた低い声に懐かしすぎて泣きそうになった。
顔をのぞきこむように視線を合わせる仕草は相変わらずだった。
突然すぎる邂逅に頭が追いつかない。「ああ」とも「うん」とも言えず、俺はただ頷いた。
そう、彼の名前はクリュウ。故郷を出てなにも知らなかった俺に世界の知識と大陸の
実に百九十四年ぶりの再会だった。
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