第五章 無法国家シーセスと歩く災害

一.朝の散歩道にて

 魔法性の結界が張ってある洞窟内では、朝日が昇っても静かだ。

 洞窟内で侵入経路は入り口のみ。——と、セキュリティーの面では万全な千影の巣穴だが、唯一の欠点は太陽の光が差さないこと。

 一日の始まりに日光に当たらないと、身体の調子は崩すし作業の効率下がる。そう教えられたのは牙炎がえんの館にいた頃でずいぶん前。いまだ律儀にその教えを守っているのは、教えてくれた牙炎の部下が唯一親切なひとだったのと、教えそのものが真実であることを実感したからだ。


 外に出た途端、鳥の歌う声が聞こえてきた。

 山のふもとだけあって、洞窟のまわりには群生している樹木が多い。葉がこすれ合う音や動物たち鳴き声が混じって、耳に届く。

 よし。まずは新鮮な空気を吸って、深呼吸だ。


「おはよう。朝早いんだな、ヒムロ」


 先客がいた。


「ギルヴェール国王」

「ギルでいいと言ってるだろ」

「……うぐ。そんな急に呼べるもんじゃねえだろ」


 快活に笑う国王に対して、やっぱり俺は素直にうなずけなかった。思わず目をそらしてしまった。朝日の中でたたずむ国王の顔がまぶしかったんだ。


「国王はここで何してんだよ」

「少し身体を動かしていただけだ。最近は書類仕事ばかりですっかり身体がなまっているからな」


 少し視線戻して観察してみる。

 いつもは立ち襟の上着を着ているのに、今朝は袖をまくったシャツ姿だった。むき出しになった腕や首には汗がにじんでいる。


 最初に会った時も宮廷付きの医者が言っていたように、ギルヴェール国王はフットワークが軽くて有名らしい。

 城にとどまっているべき場面でも、先陣を切ってアクティブに動くんだとか。犯罪者を自ら逮捕しに行くのなんかザラで、しかも気付いた時には姿を消しているから、国王に追いつけるのは近衛騎士のケイくらいらしい。

 しかも剣は指揮官以上の腕前というのだからびっくりだ。いや、剣がめっぽう強いからこそ、逆にあちこち動き回るのかもしれない。


「おまえはここで何をしてたんだ?」

「ちょっと散歩でもしようかと思って」

「そうか。朝日に当たりたくなる気持ちもわかるが、おまえは狙われてるんだしあまり一人で出歩くなよ」


 思わず「おう」と頷きそうになって、思いとどまる。

 ちょっと待て。国王のやつ、昨日言った千影の言葉を完全に鵜呑みにしてんじゃねえのか?


「いやいやいや、千影の話をあんまりまともに受け取るなよ! 狙われてるつっても、だいぶ昔、百年以上前の話だぜ!?」


 千影は気が遠くなるくらいの間、永い時間を生きるいにしえの竜だ。時間感覚が俺たちとは違う。

 昨日の酒の席で、俺が付け狙われていると言っていたけど、あれは千影と会って間もない頃の話だ。今じゃない。


「おまえこそ何言ってんだ。今も現在進行形で狙われてるだろう。ゼルスはいまだおまえの指名手配を取り下げていないんだぞ? その証拠に外出の折、おまえには護衛を付けているだろ」

「いや、そうかもしれねえけど。でも、ここはゼルスとは別大陸だし」

「大陸が別だからって追ってくるのは可能だろ。実際、俺たちだっておまえの転移魔法で来ているわけだしな」

「……う」


 悔しいけど、ギルヴェール国王の言う通りだった。

 他の種族はともかく俺たち魔族は転移魔法という強みがある。遠距離でも一瞬で移動できてしまうこの便利な魔法は便利であると同時に、脅威でもあるんだよな。魔族なら誰でも使えちまうわけだし。


「しかし、おまえは努力家だな、ヒムロ」

「え?」


 話題を急に変えられて、一瞬なにを言われてんのかわからなかった。一応、褒められてるって思っていいのか。でもなんで?


「な、なんだよ、急に」

「だってそうだろ。魔法科学が発展途上な国にいて言語も違うのに、大陸こっちの言葉を流暢に話せるし俺より魔法にも精通している。それどころか大陸各地の世界情勢も把握しているじゃないか。いにしえの竜についても詳しいし」

「いや、いにしえの竜については千影の受け売りだって! 聞いたら色々教えてくれるからな」


 もしかして褒められてるんじゃなく、怪しまれてる、のか……?

 和国ジェパーグって、大陸に住むやつらから見れば辺境の島国だもんな。魔法が発展途上ってのは嘘じゃない。その証拠に俺は村で唯一の法術師見習いだったわけだし。

 でもギルヴェール国王の目はやわらかく穏やかだった。怪しんで疑っている感じはしない。たぶん、突然に話題を振ってきたのは興味本位からなんだろう。


「まあ、でも……千影に教えてもらったのはいにしえの竜についてのことと魔術式のことくらいだな。やっぱり竜だから、国のことはわかんねえんだよ。教えてもすぐ忘れるし」

「たしかに、昨日も本人の口から聞いたな。国ことはよくわからない、と。それならヒムロ、おまえはどうやって共通語コモンを習得したんだ? 千影に習ったというわけでもないんだろう?」


 ああ、そうか。国王でなくても、俺が和国出身者だとわかってるんだし、疑問を抱くのも当然だ。

 実際、城の食堂で一人じゃうまく注文できなかったのをギルヴェール国王は目の当たりにしてるもんな。


大陸こっちの言葉を教わったのは千影に会う前なんだ。その、海賊から俺の身柄を買い取ったやつの館にいた時、なんだけど……」


 一言で言えば奴隷時代の話だ。けど、ギルヴェール国王に奴隷だったなんて口にしたくなかった。いや、俺の境遇については、国王だって知っているんだけどさ。

 俺の心中がわかるのか、ギルヴェール国王は眉を寄せて顔色をうかがうような目で俺を見てきた。

 やべ。やっぱり海賊から買われたとか、デリケートすぎただろうか。


「ああ、牙炎とやらの館にいた時か」

「へ? なんで牙炎のことを、ギルヴェール国王が知ってんだよ」

「昨夜、千影と話した時に聞いたんだ」


 千影ってば、いつの間に国王と話していたんだ。

 昼間の酒の席を切り上げたあと、使っていない部屋を掃除して国王とケイの部屋を用意し、夕食と風呂にと夜になれば目まぐるしくて、昨夜は気づけば布団の中だった。俺なんていつ眠ったのか記憶にないくらいだ。


 国や人の名前さえ覚えるのが苦手なくせに、千影は赫眼あかめや牙炎のことはちゃんと頭に入れてんだよな。俺の安否を慮って千影なりに記憶に刻み込むようにしてるんだろう。


「まさか、その牙炎ってやつに共通語コモンを習ったわけではないだろう? 千影もそいつのことはバカだと言っていたしな……」

「ぷっ……、あははははは!」


 気がつくと、俺は笑っていた。千影が俺のことを付け狙っていた牙炎の悪口を言ったの予想外だったけど、まさかギルヴェール国王の口から「バカ」という評価が聞けるとは思ってなかったからだ。

 そういえば、彼も牙炎のことはバカだと言ってたっけ。部下なのに、俺と同じく立場が低いのに、歯に衣を着せない言い方をしていた。俺は彼のそういうところが結構好きだったっけ。


 国王の手で壁に押し付けられた時も、ケイの赤い髪を見るたびに、昔の記憶が想起されて胸が苦しかった。

 一生かかったって越えられないトラウマだと思っていたのに。


 ギルヴェール国王が「バカ」と言っただけで、こんなに心が軽くなるなんて。


「違う違う! 俺に大陸こっちの言語を教えてくれたのは、同じ館にいた牙炎の部下だよ。クリュウって言って、禁術の研究者だったやつなんだ」

「禁術だと?」


 禁術っていうのは魔法の一種で、ギルヴェール国王みたいな国の要人なら知っているくらい有名だ。

 魔法と言っても、俺が扱う精霊魔法とは全然違う。精霊魔法はその名の通り、周囲にいる精霊に力を貸してもらって行使する魔法だが、禁術を行使する上で媒体となるのは人の生命だ。

 そのため、大きな国では禁術の研究を禁止していると聞く。


「シーセスは法がない国だからな。ま、でもクリュウは禁術を人を殺してたわけじゃなくて、媒体に竜石を使ってたから国王が思っているよりあまり血生臭くないぜ? 前にも話したように、竜石って竜の魔力のかたまりだからさ。その分、金はかかるし効率は悪ぃんだけど」

「竜石、か。たしかに魔石の類を使ったほうが効率がいいからな。だからルーンダリアでも禁術の研究は禁止してないぜ」

「そっか。まあ、それでも禁術を使っていると、精霊に嫌われちまう。クリュウは俺には絶対に触らせなかった。魔法が使えなくなるからな」


 精霊に嫌われると、当然精霊魔法を使えなくなる。気軽に使っている転移魔法も使えなくなってしまうんだ。


「クリュウは親切なやつでさ、共通語コモンの他に色々教えてくれた。シーセス国内の情勢、各地で根を張る闇組織のこと、ここ地大陸と空大陸の国々のこととか。俺が千影の巣穴を拠点にして他国を巡ってこれたのは、かれのおかげなんだ」

「なるほど、千影が師匠なら、そのクリュウってやつはヒムロの教師だな。そういえば、ヒムロは閉鎖的な和国出身にしては、やけにルーンダリアうちのことや他国のことに詳しかったもんな。その割にゼルスに関しては詰めが甘かったが」

「詰めが甘いは余計だろっ」


 どんなにいきり立ってもギルヴェール国王は笑い飛ばすだけだった。思いきり睨みつけたってなんのその。その気安さ懐の深さ心地よくて、つい俺も国王サマなのに失礼すぎる態度を取ってしまう。

 完全に甘えてる。

 自覚はあるの、だけど。


「教わったことも含めて、おまえはちゃんとがんばってるさ。言語も文化も、なにもかも違うこの広い大陸で、おまえは魔法具職人という需要の高い職を手に一人で立派に歩いている。もっと誇っていいと俺は思うぜ」


 力強く肩を引き寄せられた、と思ったら、ふわりと香ってきたのは石鹸と汗のにおいだった。身体を動かしてきたから鍛錬とかしてたんだろうか。国王は剣の達人みたいだし。

 

 よく考えてみれば、俺はガキの頃に思い描いていた未来とは別の道を歩んでいるんだもんな。

 故郷にいた頃は法術師として、また刀鍛冶の家業を継いで村でひっそりと生きていくもんだと思っていた。そんな俺が理不尽な仕方とはいえ大陸に連れてこられて、千影と出会って、魔法具の技術者になって。

 マジで人生はどう転がるかわからない。


 ましてや、村育ちの俺が宮廷魔術師、魔法具の技術師だなんて。

 そんでもって、その国王に今までがんばってきた全部を認めてもらえるだなんて。今まで誰にも評価されたことなかったのに。


「お、おぅ。ありがとな、国王……」


 一丁前に羞恥心を抱いたのか、顔がかあっと熱くなった。

 肩に回された腕からはギルヴェール国王の体温が伝わってきて、どうしようもなく恥ずかしくなる。とてもじゃねえけどまともに顔を見れない。


 不覚にも、この時の俺は距離を詰めてくる国王に気を許し、またも尻尾を振っていたことに気付かなかったのだった。

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