〈幕間二〉雷光の獅子王といにしえの魔竜の会談(後編)

 俺の質問に対し、千影は首肯した。


「うむ。その通りだぞ」

「それなら——!」

「ギルヴェール、貴様は人の王だろう?」


 千影は流し目で俺を見て、余裕の笑みをたたえながらこう告げた。


「法にわずかな抜け道があるのと同じく、世界の管理者が我らに課したことわりにも抜け道があるのだ。たとえば、我の縄張りフィールド内でなら反撃しても構わぬという暗黙の了解ルール、とかな」


 淡い紫色の光の中で、千影がにやりと笑った。明らかに確信犯っていう顔だな。

 魔竜と言うだけあってこのドラゴン、頭の回転が早いしいい意味で狡猾だ。


「なるほどな。どうりでおまえ一人でヒムロを匿うことができたわけだ。うまく追い返せたならよかったぜ」

「誰が追い返したと言った」

「——え?」


 千影は笑ったまま、腰かけている小山の中から石を一つ剥がした。自身の魔法力の結晶とも言えるその石をつまみ、手のひらの中で遊ばせながら、こう言った。


「我は、撃退した、と言ったのだ。我が子を狙う賊を逃すはずがなかろう」

「いや……、まあ、その考えについては俺も同意するところだが」


 俺が千影と同じ立場なら、やはり逃しはしないだろう。身柄を拘束し、牢へ入れ、しかるべき裁きを受けさせる。それが国王の仕事だ。

 だからこそ、気になった。

 千影が俺と同じ考えを持っているんなら、ヒムロを付け狙ってた牙炎がえんの部下はどこに捕らえているんだ?

 まさか臆病なヒムロの近くに牢を置くはずねえだろうし。


「それなら、その賊は一体どこにいるんだ?」

「賊ならそこにいるではないか」


 唇に弧を描いて笑う魔竜の瞳に不穏な光が灯った、ような気がした。

 その長い指が腰掛けてある竜石の山を指しているとわかった瞬間、俺はかれが言わんとしていることを察した。

 人の形はしてないしどういう理屈でそうなったのかは理解できんが、俺が腰掛けていたこの岩こそ、千影が石化させた牙炎の部下だったのだ。


「うわぁぁああああっ! おまえ、国王様の俺になんつーもんに座らせてんだ!!」


 王族だから国王様だからって、身分を笠に着るつもりはないが、この時ばかりはさすがにむかついた。遠慮なく怒りを露わに叫ぶ。

 だというのに、千影は形のいい唇を引き上げ、機嫌よく笑ったのだ。


「ふむふむ、予想通りの反応だな」

「面白がるな!! 悪趣味だな。人の身体を尻に敷いてたなんて、気味が悪すぎるだろ!」

「まあ、そう怒るでない。すでにこれは人ではない。ただの石だ。我は侵入者を石に変え、喰らうのだ」


 ちょっと待て。今、食うって言わなかったか。

 心臓がどきりと動いた。震えそうになるのを抑えて、俺は千影に文句を言った。


「そうだとしても、人の身体には違いないだろうが」

「人ではない。ただの、魔力の塊だ」


 心臓まで凍えそうな、ひどく冷たく残酷な声だった。昼間の陽気な姿とは比べ物にならないほどだ。

 千影は手のひらで遊ばせていた竜石——もとは人だったもの——をつまむと、口の中に放り込む。ガリッとした音を立て、俺の目の前で千影は石を噛み砕き、咀嚼した。堂々と食ってしまったのだ。


 竜石は魔力のかたまり、か。いにしえの竜だけは俺たち人の魔力も千影は石に変えることができるのか。


 大きなため息を吐いたあと、俺は立ち上がった。尻に敷いているものの正体がわかったとなれば、もう座ってなどいられない。


「理解したぜ、千影。これがおまえが言う〝撃退〟というわけか」

「そういうことだ。おまえたちとて例外ではなかったぞ? 挨拶と自己紹介をしない者には即刻石にして喰らうことにしておるからな」

「マジか。どうりでヒムロが挨拶と自己紹介を必ずしろって口酸っぱく言っていたわけだ」


 怖すぎるだろ、千影セキュリティー。

 いや、千影がここまで神経質に巣穴を守っていたということは、ヒムロの身に危険が迫っていたってことなんだろうか。


「その通りだ」

「だから人の心を読むんじゃねえよ」

「すまぬな。聞こえてくるものを遮断できぬのでな」


 目の前でくつくつと笑う男は俺たち人族と何ら変わり無く見える。

 夜を過ごせる家を用意し、食事や着るものを与える。侵入者を石化させる所業はたしかにおそろしいが、やはり普通の父親と何ら変わらない。ことわりに触れないよう、自分にできる範囲で家族を守ろうとしているだけだ。そんなかれを誰が責められようか。

 いにしえの竜には心がある、と以前ヒムロは言っていた。その言葉の意味が、今なら理解できる。

 

 千影は俺たちと同じようにしっかりと帯剣している。危ない局面になれば、巣の外であろうともその剣でヒムロを守る気なのだろう。それが結果的にことわりを破ることになるとしても。

 たしかに千影はヒムロの父親だ。


「明日俺たちが行くティーヤ地区というところに、牙炎が来る可能性はないのか?」

「それはない。我に国のことはよく分からぬが、牙炎はティーヤ地区の首領、赫眼あかめとは仲が悪いらしくてな。縄張りに牙炎が来ようものなら、全力で退治されるであろう」

「牙炎って、まだ子どもだったヒムロを痛めつけるようなやつだったんだろう? そりゃ子ども好きな首領には敵対視されるよな」

「うむ。だから大丈夫だとは思うのだが……、やはり心配でな。あの子はどうにも間が悪く、妙な者を惹き付けることが多い。そういう星のもとに生まれたのだ。明日、我はヒムロのそばにいることはできぬ。銀竜の巣穴へ行かねばならぬのでな」


 腕を組んだまま、千影は難しい顔をしていた。安心材料はあるのに気がかりだってことは、かれの勘がそう思わせているんだろうな。

 俺自身も似たような場面はこれまでいくつも経験してきた。

 胸騒ぎを覚えるのなら、十中八九その勘は当たる。


「ギルヴェール、貴様は我が子を憎からず思っているのであろう? ヒムロを守ってくれないか」


 俺の心はお見通しということか。

 まあ、構わないさ。もともとそのつもりだったし。これでも革命戦争で先陣を切って戦い抜いたという自負だってあるしな。

 今じゃヒムロは国にとって必要な人材だし、俺にとっては欠かせない必要な存在だ。隣国ゼルスにも牙炎にも渡すつもりはない。


「ああ、もちろんだ。必ず守り抜いて、またこの洞窟に三人で戻ってくるぜ」

「うむ。それならば、我も安心してゆけるというものだ」


 顔をほころばせ、千影は満足げに頷いていた。おそらく、懸念材料が減って安心したんだろう。

 牙炎という二つ名からわかるように、相手はたぶん炎属性だ。対する俺の属性は光。炎属性は光の属性を弱点とするから、普通に考えれば俺は牙炎の優位に立てる。

 しかし、驕りは禁物だ。敵として対峙することになるならば、出来うる限りの情報は集めておくべきだ。


「千影、他に牙炎に対して気をつけておくことはないか?」


 牙炎の特徴について知っているということは、一度は会ったことがあるんだろう。

 巨大な竜の姿に恐れをなして逃げたしても、千影の石化から免れているのが気になった。


「うむ。あやつは幸運の精霊に愛されておる。自覚はしておらんようだから脅威にはならぬだろうが、気をつけろ」

「幸運の精霊……ってことは、幸運体質か」

「ヒムロはそう言っておったな」


 運も実力のうちとは言うが、その運を味方につけるとは。さすが通り名がつくほどのし上がってきただけはある。

 不運体質のヒムロにとっては最悪の相手だな。


「貴様ならうまくやりおおせるであろう。あやつはギルヴェールとは違い、頭が弱い。単純な言葉を使うならば、〝ただのバカ〟だからな」


 俺は目を丸くして千影を見た。思わず顔色をうかがった。当の本人は首を傾げて「うん?」と言っているが。


「馬鹿?」

「うむ。牙炎はただの〝バカ〟だ。巷ではそうまかり通っているようだぞ」


 どうやら愛息を害したという理由から出た悪口ではないらしい。

 バカでまかり通ってるんなら、それは他の首領たちから蔑まれているんじゃないのか。俺には関係ないことだが。攻略のヒントになるかもしれない。一応覚えておくか。


「さあ、話が済んだなら貴様も休め。人族には休息が必要であろう。……ヒムロのことを頼んだぞ」

「ああ、任されたぜ」


 片手を上げて応じると、千影はほっとしたように微笑んだ。会った当初からヒムロのことは放っておけないと思っていたが、どうやら心配をしていたのは俺だけではなかったらしい。

 いにしえの竜は人の心が読める。その千影が俺にヒムロを託したのなら、少なくとも俺の想いに望みはあるんだろう。

 

 と思うのは、あの月夜での告白の返事をいまだにもらえていないせいだった。いや、望みがあるからこそ気持ちを伝えたんだが。


 狐の尻尾と耳が出ているせいか、ヒムロが考えていることはわかりやすい。心の機微が尻尾や耳の動きに表れるからだ。だからこそ、好かれているという自覚はあった。

 俺だけあいつの気持ちを知っているのは公平フェアじゃない。だから告白したんだが、返事はないままだな。もしかすると、今までヒムロは自分の気持ちと向き合う余裕さえなかったのかもしれない。


 いまだに俺のことは頑なに国王呼びのままだし、ヒムロが好きだと自覚するようになるのはいつになるのやら。そろそろ名前で呼んで欲しいんだけどな。

 なに、時間はたっぷりとある。あいつの中で答えが出るまで待つつもりだ。

 それまでの間、ヒムロが心穏やかに暮らせるよう守ってやろう。


 千影と話をした夜、俺はそう自分に誓ったのだった。

 

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