五.無法国家シーセスと闇マーケット

 シーセスの闇市場とは、その名の通り表の世界では出せないような怪しい物品が売りに出されているマーケットのことだ。

 竜石や魔石、幻薬ならまだいいほうだけど、麻薬や魔物や精霊、人だって商品として並ぶことがある。

 千影が言うように、和国でしか採れないと言われている風竜の竜石がシーセスの闇市に流れていたのなら、出どころはたぶん海賊たちだろう。


 通信じゅを作るには、どうしても風竜のサファイアと銀竜の黒銀河石ブラックオパールが必要だ。

 二対一体のあの道具は、空間に干渉する銀竜の魔力によっていわば声を〝転移〟させ、その声を風竜の魔力によって相手のもとへ届ける。そうして遠くの場所にいても会話が可能になるっていうカラクリなんだ。

 

 とは言っても、もう一度あの無法地帯に踏み込むのはごめん被りたい。ましてや、闇市で竜石を買うだなんて、ギルヴェール国王が許すはずがねえ。


 国王は過去に国を奪われ親を失い、弟とはいまだ生き別れたまま。その元凶は闇組織ギルドなんだ。主犯は国王とケイたちで捕らえてすでに処刑済みだっていう話だけど、闇組織に対する心証は最悪だろう。

 闇市なんて、そんな闇組織がどっぷり足を突っ込んでいる場所なんて行きたがるはずがない。

 いや、そもそもシーセス国そのものがギルヴェール国王の逆鱗に触れかねない。


 シーセスは二百年ほど前に《闇の竜》によって王家を殺され、覇権を奪われた国。昔のルーンダリアと同じく、闇組織の牙にかかったせいで政治体制が崩壊しちまった無法国家なんだからな。


「闇市か。サファイアが和国限定の石ならそうなるだろうな。よし、そこに行って必要な分を購入するとするか」


 ——と、予想外にも、ギルヴェール国王はあっさりとそう言ってのけた。

 顔色は変わっていないし、動揺している様子もない。


「国王、いいのか?」

「ん? 魔法具の材料に使う費用なら、必要経費として取り分けているから大丈夫だ」

「いや、そうじゃなくて」


 緊張しすぎて心臓がばくばく鳴っている。手に汗がにじんでいくのがわかった。

 国王はそんな俺の心をまたも見透かしたんだろう。テーブルにひじをつき、にやりと笑った。


「さてはおまえ、まーた余計な心配してんだろ。闇市ごときでブチ切れるほど、俺は神経質じゃないぜ」

「そっか」


 透明のグラスに入った紫色の酒を眺めながら、国王はチーズを指でつまんで口に運んだ。さすが王族と言うべきか。俺とは違って丁寧な仕草だ。

 国王はいつもと変わらない。いや、むしろ今は上機嫌みたい。よかった。


「シーセス国のことなら聞いたことがある。《闇の竜》によって蹂躙され、今では無法地帯化とした王がいない国。だからこそ他国では売りさばけない闇マーケットを広く展開できるんだろうな」


 そっか。ギルヴェール国王だって、一国の主として世界情勢や他国の情報はつかんでて当たり前だよな。

 俺はまた考え過ぎていたらしい。心配しすぎてただの杞憂ってパターンは何度も経験してるのに、いい加減学習しなさすぎだ。

 よし! ここは安全に買い物するためにも、シーセスのより詳しい内情を共有しといた方が良さそうだ。


「そうなんだよ。実力の高い首魁が縄張りを持ってて、各々で管理してんだけど、地区によっては治安が良いところと悪いとこがあって」

「なるほどな。その口ぶりだと、ヒムロはシーセスの土地勘がありそうだな。治安がいい地区がどのあたりなんだ?」

「それなら《闇竜》の支部がある、」

「————あ?」


 パキリ、と。手に持っていた国王のグラスが割れた。

 一瞬のこと過ぎて、俺は思わず声を引っ込めた。


 なに、舌の根も乾かねえうちにブチ切れてんだよおぉぉぉぉ!

 今の声、地の底を這うような低さだったぞ!? 名前出しただけじゃん。めちゃくちゃ神経質じゃねえか!!


「陛下、ヒムロが怯えてますよ?」

「おぅ、悪い悪い。気にするな。治安が良いという、あまりにイメージとかけ離れた名前が出たから、つい顔に出た」


 ケイにたしなめられた国王は快活に笑ってるけど、無理してるのが見え見えだ。だって顔引きつってるし。

 それだけ《闇の竜》が残した傷跡は、国王の心に深く残ってるんだろう。首謀者を裁いたと言っても、なくなったものは戻ってこないもんな。


「……た、たしかにシーセスを掌中におさめたばかりの《闇の竜》はひどいもんだった、らしい。けど、新しく総帥そうすいとして就任した男が穏健派らしくて、あまりひどいことはしなくなったんだよ。国を潰したりとか人身売買とか。だから《闇の竜》自治区は比較的安全なんだよな」


 それこそ、俺みたいなキツネが商品を売り込めるくらいには。

 ま、俺はシーセスじゃなくライヴァン支部に通ってたんだけど。ライヴァン帝国は人間族の王サマが治めるちゃんとした国家で治安もいいから、安全なんだ。


 まあ、なんにせよ《闇の竜》の名前を出しただけでギルヴェール国王が怒り出すんじゃ、だめだな。他の地区を提案した方が良さそうだ。


「ヒムロ、買い物ならば赫眼あかめのところが良いのではないのか?」

「ティーヤ地区か? そういやその手があったな」


 千影が俺以外の人の名前を出すなんて、珍しいこともあるもんだ。どんなに説明しても国に関することはすぐ忘れちまうのに。


赫眼あかめって誰かの名前か?」

「いわゆる通り名なんだ。首領ボスになるくらい実力が高くなると付けられるあだ名みてえなもんかな。どっちかと言うと、怖がられて呼ばれる場合が多いけど。なんでも蜥蜴王バジリスクっていう希少部族の魔族で、紅い目から石化光線を出すんだってさ」

「へぇ。ソレ、どこまで本当なんだろうな」

「さあ。俺にもわかんねえけど。会ったこともないし」


 赤は苦手な色だけど、たしかに赫眼あかめのところならマシだと言える。

 噂によれば、子どもに好かれるくらい人当たりのいい優男らしい。高位魔法を扱える魔術師なんだとか。

 こわくないってのは大事だ。子どもに好かれるなら、優しいってことだろうし。


赫眼あかめは積極的に人身売買を取り締まる穏健派の首領ボスなんだ。昼間は子どもたちが外に出れるくらいティーヤ地区の治安はいいって聞いたことがある。たしか、街道も整備されててきれいなんだよな」

「政権が崩壊している現状で治安を維持できてんのは、実力が高い証拠だ。治安が良くなれば住民は増え、地区全体は豊かになる。その赫眼あかめってやつ、ちゃんとわかってんじゃないか」


 結果的に、俺と千影が提示した赫眼あかめとティーヤ地区に関する情報を、ギルヴェール国王は気に入ったらしい。

 形のいい唇引き上げて、こう宣言した。


「決めたぜ。ヒムロ、ケイ、明日にでもティーヤ地区へ赴き、竜石を買い付けに行くぞ」

「お、おぅ」

「はい、解りました」


 どのみちシーセス国内に入るのは決定だな、こりゃ。気が重くなってきた。胃のあたりは痛い。

 もう二度とあんな魔の巣窟みてえなところには入りたくなかった。でもシーセス国で一番治安がいいティーヤ地区なら、安全かもしれない。あそこは赫眼あかめの配下が定期的に警備巡回をしてるらしいし。


「ふむふむ。方針は決まったようだな。では我は貴様らが買い物に行っている間に銀竜の巣へ行って、竜石をもらってくるとしよう」

「頼んだぜ」

「任せておけ」


 国王にうなずいてみせる千影は嬉しそうだ。

 とんとん拍子に明日の予定が決まってしまった。


 シーセスの土地勘があるのは俺だけだ。

 買い物が滞りなく、かつ安全に済むよう俺がしっかりしねえと。

 俺はもう守られるだけのキツネじゃない。今はギルヴェール国王の臣下なんだから。


 俺がいつになく真剣な顔をしていたからだろうか。それとも思い詰めたように見えていたのか。

 千影が柔らかい微笑みを浮かべながら話しかけてきた。


「ヒムロ、心配はいらん。我はついて行けぬが、おまえにはギルヴェールとケイがいる。おまえを狙う輩が現れたとしても、二人がヒムロを守ってくれるだろう」

「——へ?」


 強くうなずいてみせる養父に、俺はがくっとうなだれた。

 千影、そうじゃない。俺が守る側に回んねえといけないんだよ!


 ——と、口に出すより前。真っ先に同意したのはギルヴェール国王だった。


「そうだな。たしかにヒムロは狙われやすい。俺が守ってやるぜ」

「そうですね。自分で言うのもなんですが、俺もギル陛下もかなり強い方だと思いますし」


 主君全肯定なケイは続けてうんうんと頷いている。

 ケイ、なんでそこは騎士として否定しねえんだよ。ルーンダリアの騎士道精神ってどうなってるわけ?

 フツー、国王を一緒に守れって叱るところだろ!?


 二人の言い分を今すぐにでも否定したかった。俺も一緒になって国王を守るって言いたかったけど、自分の意見を主張するチャンスを失ったまま、その日の酒盛りは終了してしまったのだった。

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