〈幕間二〉雷光の獅子王といにしえの魔竜の会談(前編)
真夜中だというのに、虫の音がひとつも聞こえてこない。無音の静寂が洞窟全体を包んでいる。
つるりとした平たい地面を歩けば、靴音が鳴り響く。
岩を削り滑らかにした、舗装された街道のような岩肌。いや、実際いにしえの魔竜は道を整備したのだろう。愛する我が子が転ばないように。
道だけじゃない。
竜の巣と言えど、ここはまるで別世界だ。
寒冷気候の地だというのに、洞窟内へ一歩足を踏み出せば寒さを感じなくなった。水は地下から汲んでいるらしく、風呂やトイレは自由に使えるよう整備されている。
何の不自由なく快適に過ごせるように、部屋まで作って。
人が住めるように改造された洞窟。この巣の作りがヒムロに対する千影の親心を体現している。〝我が子〟という言葉には嘘偽りがないのだと、思い知った。
『何用か、人の王よ』
頭に直接低い声が響いてきた。
回廊を抜ければ、そこは大きく開いた部屋。淡く発光する紫色の竜石がびっしりと張り付いた竜の
隙間なく石が敷かれた上に巨躯の竜が寝そべっていた。どうやら眠る時は竜の姿らしい。人の姿でいた時は俺たちに合わせたと言っていたし、千影はドラゴン形態が落ち着くんだろう。
「別に用ってことのほどじゃない。おまえと二人だけで話がしたくてな」
『ほぅ?』
小山のような巨大なからだが光った。みるみるうちにその大きさは縮み、細くなり、溶けていく。
光が粒となり霧散する頃には、人型の、皮膜の翼と太いトゲ付きの尻尾、頭にはねじれた角を持つ男が目の前に立っていた。
「律儀なやつだな。わざわざ人の姿を取らなくてもいいだろ」
「見上げたままでは首が痛かろうて。貴様こそ平気なのか? 人族にとって夜は眠りの時間だろう」
つった濃い紫色の瞳を楽しげに細めて、千影はそう言った。
床に敷き詰められた竜石からの光が、千影の顔や黒い衣装を紫色に染めあげる。
やはり竜の巣は現実とは隔絶された別世界のようだ。虫の音や獣の声が聞こえず、幻想的な光が俺たちを包み込んでくれる。こうして立っているだけで、まるで静かな闇の中に抱かれているような感覚になった。
「立ったまま話をするのも落ち着かぬだろう? どれ、手近なものへと座るとするか」
紫色の瞳がぐるりと寝室内を一周する。
ゆっくりとした足取りで千影が歩み寄ったのは壁際に佇む竜石の小山だった。
腰掛けるにはちょうどいい高さの石の山。それに千影は腰掛けた。
よく観察してみれば床はきれいに整備されているものの、壁際にはひとつふたつと、竜石が積み上げられた小山が目立っている。座って体重をかけてもびくともしないから山の形に固まっているのかもしれない。
壁も床も平らに石が張り付いているっていうのに、なぜ壁際は竜石を固めて置いているんだろうか。歩くのに邪魔だと思うんだが。
「どうした、ギルヴェール。座らぬのか?」
「あ、ああ。座らせてもらう」
当然だが、千影が勧めた竜石の山は固かった。普通に購入したら高価な石の上に座るのは心が痛いし、なにより座り心地が悪い。
だからと言って苦言をもらすつもりもない。
元はと言えば、夜更けに訪問したのは俺の方だ。
「それで我に話とは何かね? 聞きたいことがあるのだろう」
まるで見透かしたように、千影は唇を引き上げた。
いや、もしかしたら本当に俺の心を見透かしているのかもしれない。いにしえの竜は精霊と同じく人に危害を加えられない存在。であるならば——、
「もしかして、いにしえの竜は精霊たちと同じく、俺たち人族の心を読めるんじゃないのか?」
「うん? それが我に聞きたかったことかね?」
「いや、そうではないが……」
妙なタイミングで口から出してしまったことは認める。だが、気になったのだから仕方ない。
なにがおかしいのか、千影はくつくつと笑い始めた。
「まあいい。答えは是だ。我は魔竜であるからな。貴様の考えていることならなんでもわかるぞ」
ついと目を細め、千影は俺を見た。頭からつま先までじっくりと観察した後、かれはこう言った。
「ヒムロを付け狙う輩のことが聞きたいのだろう?」
当たりだった。千影が心を読めるのは本当らしい。だったら包み隠すのは野暮ってものだ。
「ああ。酒の席でヒムロを狙うやつがいるって話していただろ。それは本当なのか?」
「うむ、本当だ。少し前——とは言っても、貴様ら人族にとってはだいぶ前の話だ。赤毛の大きな狼が幼い我が子を付け狙っていたのだ」
「幼いって、それってずいぶん前の話、なんだよな?」
いにしえの竜は創世の時代より生きながらえし存在。わかってはいたが、時間の感覚さえ俺たちとは違うのかもしれない。
俺が言わんとしていることを察知し、千影はひとつ頷いて答えた。
「うむ。幼いヒムロが我が巣へ逃げ込んできた時の話だ」
やはり、ヒムロが千影に拾われた時のことらしい。一体何年前なんだか。あとで本人に聞いておくか。
「今では考えられぬほど我が子はひどい怪我を負っていた。尻尾を痛め、手足には無数の傷があり、虫の息で我の足もとに倒れ伏していた。ヒムロは我の爪に触れ、助けを哀願し、我は面白いと思い助けた。その時しつこく洞窟内まで追ってきたのが赤い狼とその一味だ。名は
「
「うむ。おそらくな」
シーセスといいゼルスといい、裏の住人たちは決まって二つ名をつけたがる。大抵の場合、畏怖の意味が込められているから、二つ名を持つやつは高い実力の持ち主だ。
狼ってことは、ケイと同じく人狼の部族か。
ひどい怪我を負っていたようだし、やはりヒムロは虐待をされていたんだろうな。たぶんその牙炎ってやつが以前の主人だろう。
同じ尻尾持ちのくせに子どもを痛めつけるのはどういうわけなんだ。いや、わかりたくもないが。
望んでもないのに見知らぬ土地に連れて来られ、弟と引き離され、酷い目に遭ったんだ。そりゃヒムロだって臆病にもなるよな。
かわいそうに。
「だいぶしつこい男だったが、我が奴の部下を撃退してからはとんと姿を見ぬ。おそらく、もう我の巣まで姿を見せることはないであろう」
「そうか。それなら……」
ヒムロのことを考えすぎていて、危うく話を流すところだった。頷きかけてはたと気づく。
千影は今、撃退したと言わなかったか。
「待て。いにしえの竜は人族に危害を加えられないんじゃなかったのか?」
たしかに昼間、ヒムロはそう言っていたはずだ。しっかり記憶に残ってる。間違いない。
だとしたら、千影はどうやって
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