一.就活に行ってこようと思ってさ
顧客を失ったのなら仕方ない。ライヴァンではないどこかの新天地で、新たな客を見つけるだけだ。
俺が拠点にしているのは、ライヴァンから南に下ったシーセスという国だ。シーセスにも闇
そういうわけで、俺は安定した収入の仕事を手に入れるため、海を渡って西の大陸に行くことに決めたのだった。
『しばらく帰らぬ、だと?』
いつものように支度を整え、住処にしていた洞窟を出ていこうとした矢先、養父にそう呼び止められた。
振り返ると、頭上から暗い影がおりてくる。
相手は俺よりもはるかに大きなからだをもつ人外の存在だ。固い鱗で覆われ、頭には捻れた角をもち、皮膜の両翼を持つ竜だった。
こいつの名前は
「ああ、ちょっと今から船に乗ってゼルス王国に行ってこようと思ってさ」
『また違う土地へ行くのか。今まではライヴァンとやらに行っていたではないか』
宝石みたいな紫色の瞳をすがめて、千影は大きな口から息を吐き出した。どうやらため息らしい。
「もうライヴァン帝国じゃ俺の商品は売れねえんだよ」
『なんとかという闇
「《闇の竜》な。前に教えただろ」
世界規模なネットワークを持つ闇
正式名称を《
二百年前、
だからなのか、最近じゃ危険な薬や魔法製の武器、便利な魔法具の必要がなくなったらしく、買い取ってくれなくなった。俺が売り込んでいた相手——《闇の竜》のライヴァン支部は特に穏健派である
俺は一介の魔術師で、魔法具製作し、出来上がった商品を売って生活している。いわゆる国に所属しない、フリーの魔法具職人ってやつだ。
ガキの頃からロクな目に遭ってこなかった俺は自他共に認める人嫌いで、国っていうものを信用していない。信じられるのはどん底にいた俺を救った目の前にいる養父の千影と俺自身の力のみ。
だからこうして、人里から離れた竜の洞窟にいつまでも住んでいるというわけだ。
『
「はいはい。ちゃんとわかってるって」
千影はいにしえの魔竜と呼ばれる人ならざる存在なのに、よく父親みてえなことを言う。
その言動が故郷で亡くした親父の面影に重なって、時々ちょっとだけ、たまらなく懐かしさを覚えて泣きそうになる。
『ゼルスとやらは危険ではないのか』
「危険がない、とまでは言わねえけど……」
西大陸の北部にある商業国家ゼルス王国は、商売するには打ってつけの場所だ。ゼルスにも《闇の竜》の支部はあるけど、ライヴァン支部よりもだいぶ力が弱くなっていて、あまり表立って活動していないらしい。特に、《黒鷹》という闇
ゼルスは闇組織が表立って政治の舵を取るような国だ。そのため、治安はあんまりよくないらしい。
ただ、危険なのは力の弱い翼族や妖精族であって、魔族の俺は別だろう。魔法は得意だし、俺には和国仕込みの剣術だってある。相棒の錫杖さえ持っていれば、誰にだって負ける気はしない。
なにより俺が作った魔法具を売り込むのに、商業国家は最適だと思うんだ。
『本当に大丈夫であろうな?』
「大丈夫だって! 心配すんなよ、千影。それに俺の身体の中にはガキの頃に飲んだ千影の鱗が残ってる。いにしえの竜の鱗を飲んだら、どこにいたって連絡が取れるんだろ? ヤバい時は
『ふむ。なら良いのだが……』
大きな頭を下げて、千影は皮膜の翼を少し下げた。その動作だけで千影の大きなからだが小さく見えてくる。
相変わらず過保護だなあ。なんでこんなに心配されるんだ?
そりゃ昔はボロボロで死にかけのガキだったかもしれないけどさ。今は身体がピンピンしてるし、健康そのものだ。魔法具製作という技術だって手に入れて、生計を立てる手段を一人で探せるようになった。
人外の存在で、俺たち人に対する制約が多いいにしえの竜はなにかと狙われやすい。千影が俺と関わって危険を冒さなくてもいいように、これからは家族として親孝行するつもりだ。
そうだ。俺だって、一人前のいい大人なんだ。自分のことは自分できっちり面倒見れる。降って沸いた就職活動だって、誰にも頼らず一人でこなしてやろうじゃねえか。
少なくともこの時の俺は、これからの未来が明るいもんだって微塵も疑ってはいなかった。
完璧に、きれいさっぱり忘れてしまっていたんだ。
俺自身が極度の不運体質だってことを。
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