三.おまえも信じろ

 予想の斜め上なことが起きると、人って頭が真っ白になるんだな。

 驚きすぎて、何が起きているかわからなくて。すぐに声が出なくなった。


「……あ」


 なんとか声を絞り出した時に、気がつくと笑ってた。無理やり笑顔を作って、笑うようにした。


「あはははっ、もう酔ったのかよ。国王、なんでいきなり、そういうこと……」

「だって、おまえは俺のことが好きだろう?」

「——はぁ!?」


 今度こそ俺は固まった。

 今、何つった!? 俺が国王のことを好きだって?


「おまえは獣人みたいに耳と尻尾が出ているせいで、心の中が手に取るようにわかりやすい。俺と話す時はいつも尻尾がぶんぶん揺れていたし、おまえの気持ちはおそらく城内関係者のほとんどが知っているんじゃないか?」

「手にとるように……」

「俺におまえの気持ちが筒抜けなのに、おまえは俺の気持ちがわからないのは公平フェアじゃない。だからおまえにはちゃんと言葉にして伝えようと思っていたんだが?」

「つつぬけ……」

「おおーい、ヒムロー。聞いているかー?」


 国王の言葉をオウム返しする機械と化した俺に、ギルヴェール国王は呆れたようだった。顔の前で大きな手のひらがひらひらと行き交う。

 真っ白だった世界が現実に戻ってきた。

 俺はグラスをテーブルに置き、声を絞り出した。


「俺って、ギルヴェール国王のことが好きだったのか……」

「マジか。おまえ、無自覚だったのか」


 今度はギルヴェール国王が目を丸くして言った。


 突然すぎてびっくりしたけど、国王の言うことには辻褄が合うような気がした。

 こうして向かい合って座っている今も尻尾は揺れていて、ソファの背もたれを擦る音が続いている。

 ケイにむかむかしたのも、本当にヤキモチだったとしたら……。


「自覚がないのなら仕方ない。俺は心優しい国王様だからな。おまえが自分の気持ちに向き合えるまで待っていてやるよ」

「待っていてやるって……。国王は俺でいいのかよ。俺は男だし、フツー後継ぎのこととか考えて、王妃サマとか迎えるもんじゃねえの?」

「そんな先のこと考えても仕方ないだろ。俺たち魔族の寿命は千年だぜ? 焦る時期でもないし、それに大事なのは互いの気持ちなんじゃないのか?」


 やっぱりギルヴェール国王は変な王サマだ。俺たち庶民と同じ結婚観を持っている気がする。いや、自分の好きなように生きてるだけなのかもしれねえけど。


「俺はおまえのことが好きだし、おまえのことをもっと知りたいと思っているぜ、ヒムロ。……たとえば、〝フユキ〟のこととかな」


 またも、時が止まった錯覚を覚えた。

 今夜は一体どうしたって言うんだ。驚きの連続で頭がパニックしそうだ。


「どうして、その名前……。俺、冬雪ふゆきのこと、誰にも話してねえのに」

「ああ、なるほどな。和国の発音だとそういう響きになるのか。なぜ俺が知っているのかというと、おまえが俺の部屋に初めて泊まった日、寝言でつぶやいてたんだよ。フユキ、とな」

「……そっか」


 そういえば国王のベッドで寝た日は故郷の夢を見たんだっけ。

 少し前の俺なら、寝言まで聞かれた羞恥心でいてもたってもいられなかっただろう。けど、この日は不思議な夜で、心が凪いでいた。

 血のつながった家族のことは誰にも話したことはない。けれど、今この瞬間、ギルヴェール国王になら話してもいいかも、と思えたんだ。


「冬雪は年が離れた俺の弟で、故郷の村が海賊に襲われた時に引き離されたんだ」

「いわゆる生き別れ、か。どこかで生きているといいがな……」


 たぶん、俺は国王が親身になって聞いてくれると期待していたんだと思う。

 俺の思惑通り、ギルヴェール国王は悲痛な顔で俺の話を受け止めてくれた。だから、つい甘えて、止まらなくなった。


「……生きてるわけねえよ。だって冬雪はさらわれた時、人間たちで言う三歳くれえの小さな子どもだったんだ。人懐っこくて、小さくてころころしてて、初級の魔法さえ使えないくらいの弱い子どもだった!」

「ヒムロ、落ち着けよ」

「俺でさえこんな見てくれになるくらいひどい扱いを受けたんだ! 冬雪が俺と同じ目に遭わされて、生きてるはず——、っ!」


 何の前触れもなく腕を引かれた。

 震えた身体を沈めるように、強く抱きしめられる。背中をとんとんと軽く叩く仕草は、まるで泣きじゃくる子どもをあやしてす大人みたいだ。


 かれこれ三度目の抱擁。いつだって抱きしめられる時は突然なのに、拒絶する気にはなれなかった。いやだなんて思わなかった。


「なんでおまえはそうやって一人で抱えて、思い詰めるんだろうなあ。だから放っておけないんだが」

「……ギルヴェール国王?」


 やばい。心臓がバクバクうるさくなってきた。

 大きな手が背中から頭へと移り、ゆっくりとなでられる。子どもをあやすようだと思っていたその動作は少し変化し、俺の長い髪を指先で梳くようになった。


 あくまで穏やかな声音で、国王は語り始めた。


「知っているかもしれないが、俺にも弟が二人いる。しっかり者だけど繊細なすぐ下の弟と、グリフォンとは思えねえくらい人懐っこくて身体が弱い弟。どちらも母親が違うから腹違いの弟だが、大事に思ってる。すぐ下の弟は《闇の竜》に連れ去られ、一番下の弟は母親と共に消息不明。長い年月が経った今も、生きているかどうかもわからない。だが、」


 腕を解かれ、国王の身体が離れる。

 手を両肩に置かれて、顔をのぞき込まれた。

 俺はどんな顔をしていたんだろう。ギルヴェール国王が真剣な顔で続ける。


「今も、この世界のどこかで生きていると信じている」

「ギルヴェール国王……」


 身体の奥、心を打たれた。

 黄金の美酒とうたわれた果実酒と同じ色の瞳には、揺らぐことのない強い意思が宿っていたんだ。


「特に一番下の弟はさ、おまえみたいに細っこくて、グリフォンになっても小さくてな。なにかあればすぐ寝込むくらい身体が弱かった。主治医がいなくては到底生きていけないくらいでな。だが、俺は生きているって信じてるぜ、ヒムロ。まだ諦めてない。だからおまえも信じろ」


 力強い言葉だった。まるで大きなあたたかいてのひらで、背中を押されているような気分だった。


「信じていいのか。俺も……」

「ああ。王城ウチには宮廷付きの占い師もいる。それで確実に生存しているとわかるわけじゃないが、これからの方針を決めることができる。大丈夫だ、ヒムロ。時間はかかるかもしれないが、俺が必ずおまえの弟をさがしてやる」


 キレイなギルヴェール国王の顔が溶ける。透明なグラスも、豪華な内装の寝室も、何もかも溶けて涙のしずくに変わっていく。

 国王はただ黙って俺の頭をなでてくれた。

 俺はこくりとただうなずいた。


 故郷や両親を失って、見知らぬ土地で一人きり。俺はずっと消えてしまいたい気持ちを抱えたまま、奈落のような絶望の中にいた。小さな希望にすがったって仕方ないと思っていた。だってもう、傷つきたくはない。

 だけど、同じ痛みを知っているギルヴェール国王があきらめていないのなら、俺も信じてもいいのかもしれない。みっともなく、希望にすがってもいいんだ。


 窓から見える満月と星が見守る夜。甘くて上品な果実酒を生まれて初めて飲んだ日。

 俺はこの日をきっかけに、ギルヴェール国王を恋愛対象として意識し始めるようになった。

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