二.月夜の誘いと黄金の美酒

 就職活動を始めると宣言してから一ヶ月と一週間。そろそろ千影ちかげに顔を見せてやらないと、と思っていた。

 あの不安そうに揺れる瞳、しゅんとさがった皮膜の翼やトゲのついた太い尻尾、項垂うなだれた頭。旅の出発当日に見せたあの姿はいまだ俺の頭に焼き付いている。

 素材の調達という名目もあるから、堂々と一時帰宅できるし。そう思っていたのに。


「……なんで国王まで連れてかなきゃいけねえんだよ」


 自室へとあてがわれた部屋で俺は帰省の準備を進めていた。街で購入した大きめのカバンに衣類を詰め込んでいく。

 荷造りと言っても、私物のほとんどは千影の洞窟に置いてきているから持っていくものはほとんどない。竜の巣とはいえ、本来は仕事をしなくても生活するのに困らないほど、千影は寝ぐらに生活必需品や金銭をたくさん貯め込んでるんだよな。


 精霊やモンスターとは違い、いにしえの竜について知られていることは少ない。研究資料や文献も限られている。

 だから、未知な種族にギルヴェール国王が興味を持つのは、考えてみれば当然だった。

 何も奪わないって約束してくれたし、国王は千影に危害を加えるつもりはないだろう。たぶん、純粋な興味でついてくる気なんだ。


「あっ、出発の日まで千影に酒を買ってやらなきゃな」


 実を言うと、千影は無類の酒好きだ。見てくれは巨大な竜だし、瓶一つなんてすぐになくなっちまうだろうけど、買ってやるとすごく喜ぶ。明日にでも市場をのぞいてみよう。

 そう思い、カバンの口を閉じた時。三回、扉をノックする音が聞こえた。


「よお。ヒムロ、夜分にすまないな」

「国王!」


 扉を開けるとギルヴェール国王がガラス瓶を一つ持って立っていた。

 すっかり夜のとばりは降り、月と星が出る時刻。そんな夜更けの時間にも関わらず、国王は昼間と同じく立ち襟の宮廷服姿で現れた。


「一体どうしたんだよ」

「おまえの様子を見に来た。昼間はピリピリしていた……というよりも機嫌が悪かっただろ?」

「……へ?」


 なんでいらいらしてたのバレてんだ!?

 まただ。いつも国王は心の中をのぞいているように、見透かしてくる。毎度のことながら、どうして俺の考えていることがわかるんだろう。


「べ、別に。機嫌悪くねえし」 

「おまえの考えていることは尻尾と耳の動きに反映されるから、めちゃくちゃわかりやすいんだよ」

「——あ」


 にやりと笑いながら、国王はそう言った。


 そうだった。今の俺って、尻尾と耳が出てるからその動きで心を読まれやすいんだった。

 くそ。なんでこんな当たり前のことを忘れてたんだ。


「短い期間であれほどの魔法具を制作したんだ。そりゃ疲れもするだろ」

「うん、まあ……」


 イライラの原因は仕事の疲れだと、ギルヴェール国王は判断したらしい。

 見当違いもいいところだ。俺が面白くないのは、国王がケイの言うことを素直に聞き入れたからで——。


 あれ、待てよ。これってまるで、俺がケイにヤキモチを焼いてるみてえじゃねえか。


「ヒムロ、気分転換に呑まねえか? グラスリード産のいい酒があるんだぜ」


 持っていたガラス瓶はどうやら酒だったらしい。しかもグラスリード産といえば高級ものだ。

 俺とは正反対に機嫌良さそうに笑うと、ギルヴェール国王は俺にも見えるように、黄金色の液体が波打つ瓶を掲げ持ったのだった。







 そういえば、以前にも聞いたことがある。

 南東の果てにある島国グラスリードは一年中氷と雪に閉ざされた雪国で、中でもりんごと地酒が格別にうまいんだとか。ただでさえ作物が取れないという厳しい環境で商人たちが考え出したのは、名産であるりんごと地酒を組み合わせて商品化することだったらしい。

 結果として、グラスリードの商人たちが立ち上げたプロジェクトはうまくいった。

 黄金の美酒とうたわれたその商品は飛ぶように売れたらしい。特に各国の貴族のご婦人サマたちが競い合うように購入したんだとか。あっという間に宮廷内で高級りんご酒は大流行。今や酒といえばグラスリード産に限ると誰もが言わしめるほどまで、有名になった。


「ルーンダリアは商業国家だからな。グラスリード産の酒やりんごくらいは市場に出回っているんだぜ」


 そう言って、ギルヴェール国王は透明のグラスに黄金色の酒をなみなみと注いでいく。


 酒を一緒に呑もうと誘われて、誘われるままに俺もうなずいて。流れに身をまかせるように、気がつけば俺は国王の寝室にいた。今はテーブルを挟んでギルヴェール国王と向かい合うようにして座っている。

 そうして、ただぼうっと機嫌が良さそうな国王を見ていた俺だが、二つのグラスに酒が満たされた時になってようやく、意識を現実に引き戻した。


「って、おい! なに国王自らお酌してるんだよっ」

「別にいいじゃねえか。俺が呑みたいっておまえを誘ったんだぜ」

「それはそうかもしれねえけど、お前は一応国王サマだろ!?」


 ギルヴェール国王と話していると、今まで積み重なってきた価値観ががらがらと音を立てて崩れていく。

 一国の王と言えばエラい人で、俺みてえな庶民には雲の上のような存在で。

 なのに、ギルヴェール国王はぐいぐいと距離を詰めてくる。根っからの王族のくせに、臣下というよりも対等な立場として、俺に話しかけてくる。

 だからどうにも、調子が狂う。


「ほんとにおまえは国王、国王って、俺には他人行儀なやつだな。では聞くが、おまえの故郷の王はどんな人物だったんだ?」

「ええっ!?」


 いきなりすぎる質問だった。

 だけど、大陸に住む人たちにとっては興味がある話題なのかもしれない。なにせ和国ジェパーグはいまだに他国と交流せず鎖国したままなのだから。


「和国に国王はいねえんだ。そもそも国のあり方が違うんだよ。国の象徴としてみかどっていう地位のやつがいて、国民のことを見守ってくれてんだ。で、政治は帝に仕える将軍が取り仕切ってるってワケ」

「へえ、面白いな。おまえの言うように、たしかに帝は王ではないな」

「あっ、でもな帝はすごいんだぜ。超希少部族の麒麟きりんでさ、魔族で、ずっと浮いていて地面に足をつけたことがねえんだ。俺みてえな庶民には憧れの存在で、ひと目お会いしただけで無病息災でいられるんだぜ。日ごとに俺たち国民のしあわせを願い、祈りを捧げてくださってるすげえお方なんだ! 俺がこうして無事でいられるのも帝のおかげだと思うんだっ」


 両親は刀鍛冶という職業柄、頻繁に都と村を往復していた。弟が産まれる前、一度だけ親父にくっついて都に行ったことがある。

 ちょうど都に到着した時は祭りでにぎわっていて、普段姿を見せない帝も城の外に出て手を振ってくれた。

 ひだまりのようなあたたかい笑顔とまばゆい光に包まれた白い衣。どれだけの年月が経っても忘れられないくらい、頭の中に焼き付いている。


「へぇ、おまえが饒舌になるほど慕っているんだ。さぞや立派なお方なんだろう。だがあいにくと俺は特別な力もないただの国王様だ。だからおまえは俺のことをギルって呼んだっていいんだよ」

「……ええ、またその話かよ」


 まっすぐに向けてくる国王の目から逃れたくて、俺はグラスを取った。


 初対面の時も今も、ギルヴェール国王はいつだって愛称にこだわっている。

 この一週間も事あるごとに愛称で呼ばせようとしてきた。


「誰の目を気にしてるのか知らないが、ケイだって俺を愛称で呼んだって何も言わないと思うぞ。そもそもおまえは初対面で敬語すら話していないのだから今更だろう」

「それはそうかもしれないけどさ。国王こそ、なんでそんなに愛称にこだわるんだよ」


 グラスをあおって酒を飲む国王に、俺は思いきって聞いてみることにした。

 月夜にギルヴェール国王と俺の二人だけ。酒の席なら聞けるかもって思ったんだ。


「だって、国王なんて名前でもなんでもないだろ。ただの肩書き、いわば役職だ。他人行儀みたいで、ちっともおまえとの距離が縮まらない気がして嫌なんだよ」


 ギルヴェール国王の答えは予想より斜め上だった。

 距離が縮まらない。他人行儀って。は? なに言ってんだ。


 身体の中で心臓がとくとくと、大きく音をたてる。

 ソレに蓋をして、俺も国王と同じくグラスをあおった。

 さすが王族が嗜むような高級物だ。喉に焼き付くような甘さだった。


「ちょっ、なに子どもみてえなこと言ってんだよ! 酔うの早すぎだって。まさか国王だって、俺のことがガチで好きなわけないだろー?」

「好きだぜ」

「へ?」


 危うくグラスを落としそうになった。


 時間が止まる。恐怖ではない、別の意味で指が一本も動かせなくなる。

 外にはまあるい満月。淡い光が大きな窓から差し込み、暖色の照明の下。

 まるで黄金のようなギルヴェール国王の瞳には、ぽかんと口を開けた俺が映っていた。


「ヒムロ、俺はおまえのことが気に入っているし、好きなんだぜ」


 俺は一瞬、言葉を失った。

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