七.ルーンダリア城での朝

 俺の故郷ジェパーグにはそもそも国王という存在はいないし、今まで住んでいたシーセス国も国家形態が崩壊しているせいで、王家という存在すらいなかった。

 だから一国を治める王が普通はどんなものなのか、正確なことを俺は知らない。


 それでも、少なくとも。こんな奴隷上がりの俺みたいなキツネと食事しようっていう奇特な王サマはギルヴェール国王だけだと思う。


 つーか、食堂ってどういうことだよ!?

 王サマって偉いんだから、食事を運んでもらう側じゃねえのか!?


 ……あ、でも。もしかしたら王家にしか入れない専用の食堂があるのかもしれない。

 きっとそうだ。

 国王サマともあろう方が、他の兵士や給仕係と同じような食堂で飯を食うはずないもんな。うん。


「なにぶつぶつ言ってんだ、おまえ」

「いや、べつに……」


 そろそろお約束になってきた気もするけど、俺の目測は甘かった。

 ギルヴェール国王が俺を連れてきたのは、城内でありつつも、ごくごく一般的な、それこそ兵やメイドたちが利用しそうな食堂だったのだ。


「あっ、ギルさまおはようございまーす!」

「ギル陛下、おはようございます」

「おう」


 食堂ですれ違うメイド姿の給仕係や兵士たちがナチュラルに挨拶している。

 もしかしてこれがルーンダリア城での日常なんだろうか。大らかすぎる。

 しかも本当にみんな国王のことを〝ギル〟って呼んでるし!


「ヒムロも俺のこと〝ギル〟って呼んでいいんだぜ?」

「呼ばねえよ!」

「なんだ、つれないやつだな。いつまで突っ立っているつもりだ? 好きなものを選べ。それだけ共通語コモンを流暢に話せるんなら文字だって読めるんだろ?」

「……そりゃ、読めるけど」


 文化が違えば言語も違ってくる。

 大陸の言語を学ぶようになったのは海賊に売られ、シーセス国に住むようになってからだ。奴隷期間中はひどい環境に置かれていたけど、それでも言葉や読み書きを教えてくれる親切なやつが一人だけいた。俺が不自由なく大陸こっちの言語でやり取りできるのはそいつのおかげだ。


 手渡されたボードにはたくさんの品目が書かれていた。ぜんぶ難なく読める。

 けど、どんな料理なのかイメージがわかない。

 千影ちかげと一緒に住んでいた時はたいていあり合わせのものを食ってたし、町の食堂に入った時はたいてい店主のおすすめメニューってやつを適当に頼んでいた。出てきたやつを食って、どんな料理か覚えていく感じだ。


「ギルさまは決まりましたかー?」

「魚はまだあるか? いつものあれで頼む」

「白魚のムニエルですね。もちろんありますよ」


 国王は魚好きなのか。ムニエルってなんだっけ。

 やばい、俺だけまだ注文できてねえじゃん。

 好きなもの頼めって言われたけど、遠慮する以前にどれが好きなものかわからない。


「ギルヴェール国王のおすすめって何なんだ?」

「ん? ギルでいいって言っただろ。俺の名前、長いから呼びにくいだろうに」

「だから呼ばねえって言ってんだろっ」


 なんなんだよ、こいつの気安さは。国王が取る距離感じゃねえだろ。

 しかも国王にどんだけ冷たい態度を取ったって怒らないし、周りのやつらも不快な顔をしない。本人が笑って流しているからだろうか。


「好きなもの頼んでいいって言っただろ?」

「……その、好きなものがわからねえんだよ」


 俺はそう言って、国王からメニューボードへと視線を落とした。

 シーセスもルーンダリアも俺にとってはいまだに別世界だ。故郷と大陸の文化は違いすぎるんだよな。


「たしかに文字は読めるけど、大陸の料理がどんなものか名前だけじゃわかんねえんだよ。食ってみなきゃ味だって想像できねえし」


 なんて、ギルヴェール国王に訴えたってしょうがないよな。

 大陸で生まれ育ったやつには理解できねえ悩みだろうし。わかってもらおうと思うこと自体間違っているっつーか。


「……なるほどな。ヒムロ、おまえは肉と魚どっちが好きなんだ?」


 突然すぎる質問に思考が止まった。いきなりどうした。


「え。魚、だけど……ムニエルはよくわかんねえし」

「だろうな。なら、魚の香草ハーブ焼きってのはどうだ?」

「ハーブ? 薬草ってことか?」

「薬草……ではないな。香り付けの香辛料みたいなもんだが。シンプルな味付けだからあっさりしてるぜ」

「なら、それにしてみる」


 不思議なくらいにとんとん拍子に決まっていく。気がついたら国王が俺の分まで注文してくれていた。

 もしかして、俺、面倒見られてる?

 さっきから厨房にいるやつらの視線が生暖かく感じるんだけど。


 やっぱりこの城にいるやつらは全員おかしい。

 メイドに扮したせいで捕まったっていうのに、なんで国王も城の関係者たちも俺を客人扱いしてくれるんだろう。







「ヒムロ、その量は少なすぎだろ」

「えぇ!?」


 フォークの先でサラダの葉っぱを突いてたら、ギルヴェール国王に文句を言われた。


 両手ですくえるくらいの葉物野菜がメインのサラダがひとつ。メインの白魚の香草ハーブ焼きととうもろこしのスープ。こんなにたくさんのごちそうがあるのに、どこが少ないんだか。朝食にしては多いくらいだ。


「そんなことねえだろ。つーか、国王の方が多すぎるんだよっ」


 ギルヴェール国王は俺の向かい側に座って食事中だ。それだけに国王の前に並べられた朝食はよく見える。

 魚のムニエルとパン以外は俺が食べてるのと品目は同じ。ただ明確に違うのはその量だ。

 葉物サラダは俺のと違って小さな山になってるし、スープの器だって俺よりもひと回り大きい。パンは平たい皿の三つくらいある。俺の倍以上の量だ。


「おまえが食べなさすぎるんだよ。なんでパンはいらねえって断ったんだ?」

「フツー、サラダにスープの魚まであったらパンいらねえだろ!? 絶対、これ以上食えねえよっ」

「信じられないくらいに少食だな。だからそんなに細いんだぞ。まあ、魔術師や精霊使いのやつらはあんま食わねえか……。おまえ、そんなんでよくもつな」

「うるせえな」


 なぜこうも他人のことに干渉してくるのか。ギルヴェール国王の真意がちっともわからねえ。

 あからさまにふいっと視線をそらし、俺はこんがりと焼けた白い魚にフォークを突き立てた。

 

 見ず知らずの俺をあたたかいベッドに寝かせてくれて、今では栄養豊かな朝食まで食べさせてくれている。すべてわかんねえなりにも異国出身の俺に、親身になってくれた。

 テーブルマナーがどうこう以前に国王に対して取るべき態度ではないとわかっていたが、胃がむかむかするんだから仕方ない。

 英雄とまで称えられるくらい偉い国王サマのくせに、どうしてこうも俺のことに構うんだか。


 苛立ちまかせにぱくりと焼き魚を口に放り込む。噛んだ瞬間、パリッという食感と共に香ばしい香りがした。


「……うまい」


 なんだこれ。ただの塩焼きじゃない。初めての味だ。

 パリパリしてんのは魚の皮なんだろうけど、ほんのり酸っぱく感じるのはレモンでも使ってるんだろうか。中までちゃんと火が通っていてふんわりしている。白身魚だからレモンや塩と合うのか。あっさりしててすげえうまかった。


 千影と別行動取る時はいつも適当なものを食べてたし、特に選り好みもしなかった。

 だからかな。こんなうまい魚を食べたのは久しぶりだ。

 自然と心が浮き立ってくるのが自分でもわかった。


「和国の料理がどんなものか知らないが、俺の国ウチの料理もなかなかいけるだろ?」


 ギルヴェール国王は俺が感動してるのを見透かしたようにそう言って、にやりと笑った。

 実際、見透かしていたのかもしれない。この時、俺自身は気付いていなかったが、たぶん尻尾は心の動きに合わせて揺れていただろうし。


「……うん。まあまあだな」

「なんだおまえ、素直じゃないな。まあいい。そろそろ本題に入るか」

「へ? 本題って?」


 空っぽになった食器を脇に寄せ、国王は形のいい唇を引き上げた。

 無駄にキレイな顔で笑い、骨張った大きな手を俺の手に重ねてきた。


「ヒムロ」


 ギルヴェール国王の低い声がすっと耳に入ってくる。その瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。

 身体の奥から警告を発しているのは、国王がグリフォンだからだろうか。

 いつだって、昨日初めて会った時から、あの雷のような鋭い瞳に見つめられたら、動けなくなる。指一本さえ、石のように固まってしまう。


 視線をかわしたのは一秒にも満たない短い時間。

 それが永遠のようにも思えたのは、ギルヴェール国王がとんでもないことを言い始めたせいだろう。


「俺はおまえが欲しいし、他の誰にも渡したくない。ヒムロ、今日から俺のものにならないか」

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