六.遠い故郷の夢と獅子王の誘い

「にいちゃん、はやくいこ!」


 振り返る癖がついたのは弟が産まれてからだった。

 俺の実家は村で唯一の鍛冶屋で、親父もおふくろも仕事が忙しかった。必然、歳の離れた弟の面倒を見るのは兄貴である俺の役目だった。


冬雪ふゆき、走るな! 危ないだろ」


 故郷の村は雪が多い地域だった。冬の時期、一日の始まりは雪かきからって口酸っぱく言われるくらいに、雪が厚く積もる。

 外に出ると、世界は真っ白に彩られる。森の奥まで踏み込めば白雪狼スノウウルフもいたっけ。自然が豊かだったから、精霊が多かったんだよな。


 こっちはわらで作った靴を履いて慎重に歩いてるっていうのに、弟は元気だ。その名の通り、雪みてえな真っ白な髪を振り乱して走っている。いい加減止まってくれねえと追いつけねえんだけど。


「にいちゃん! はやくはやく!」

「だから走るなっての。このあたりは新雪になってんだから、踏み抜くと沈むぜ? だから危な——、どわぁあああああああ!?」


 言ってるそばからなんとやらとはこのことだ。俺が踏み抜いてどうするんだよ。

 やばいと思った時にはすでに遅く、俺の身体は真白い雪に半分埋まっていた。


「きゃあああああ! にいちゃん、だいじょーぶ!?」


 天真爛漫な冬雪もさすがに顔色を青くして悲鳴をあげた。

 そりゃ兄貴が雪に埋まってたらびっくりよな。


「……はは。だ、大丈夫だよ、おまえが無事なら。親父とおふくろを呼んできてくれねえかな」

「うん、わかった!」


 ガキの頃から、自分が不運体質だという自覚はあった。

 新雪を踏み抜くのも薄表の氷を踏み抜くのも、落とし穴に落ちるのも俺。村の誰かが蹴った鞠を顔面キャッチしたこともあったっけ。

 弟はいつも難を逃れていたが、俺はことごとく災難を被るのがお決まりだった。

 大事なものをくしたことは数知れず。それでも弟が、冬雪が無事ならそれでよかったんだ。


 けれど今。俺の手もとに大事なものは、なにも残っていない。




 ◇ ◆ ◇




 遠くで鳥の歌声が聞こえた。

 ぼんやりと目を開ければ、視界に入ってきたのは薄いカーテン。遠くでテンポのいい靴の音が聞こえた。


(……朝か。あれ、俺って昨日はどうしたんだっけ)


 宿の部屋にしては豪華な内装だし、部屋が広い気がする。寝ているベッドも布団もふかふかだ。洞窟じゃないから当然竜の巣穴でもない。


 おぼろげな記憶を手探りでたどる中、人影が見えた。

 薄いカーテンの奥は窓があるらしい。その人物が分厚いカーテンを勢いよく引くと、光が差し込んだ。まぶしい。


「おはよう。昨日はよく眠れたか?」


 尻尾みたいな金色の髪が跳ねる。振り返ったと同時に、その人物は俺を見て笑ったようだった。逆光なのに、つった両目に宿る鋭い光がはっきりと見える。

 深い青の宮廷服を着こなす長身の美丈夫。兵たちを組織し統率する手腕、また強烈とも言える戦いぶりからついた二つ名を雷光の獅子王。そのルーンダリア国王が朝一番に俺の前に現れたのだった。


「うわぁああああああ!」


 寝ぼけていた頭が一気に覚醒した。

 勢いよく後退のけぞり、距離を取ったあとで、俺はそのまま背中から床へダイブした。


「おい、大丈夫か!? 今すごい音が聞こえたぞ!?」


 俺も聞こえたぜ。ゴツンっていうすげえ音が。めちゃくちゃ背中が痛い。


 おかげでなんでここにいるのか思い出せた。

 俺は昨日、商工会の受付に行ったのに、いつの間にか城内の応接間に移動させられて、闇組織ギルド嫌いの国王から逃れるべく変化して逃げようと思ったけど、メイドの変装がバレて逆に捕まったんだった。

 

「本当にお前は危なっかしいやつだな」


 痛すぎて背中を丸めてうずくまっていたら、国王が近づいてきて身体を起こしてくれた。はあ、というため息つきで。


 そうか。いつも借りる宿より何倍も広いこの部屋は国王の寝室だ。

 ぶっ倒れた俺にそのまま寝てろと言って、ギルヴェール国王は自分の寝室を明け渡してくれたんだっけ。


 国王は俺をどうするつもりなんだろうか。


 一応、今のところは《闇の竜》との繋がりについてはバレていない。

 国王にとって俺はメイドに変装した変なキツネだろう。昨日、聞いていた限りでは俺が作る魔法具に興味があったみてえだけど。


「なんでここに国王がいるんだ?」

「は?」


 しまった。つい、思っていたことが口から出ちまった!

 タメ口で、しかも馴れ馴れしい言い方だし。だから敬語は苦手なんだよ。俺、不敬罪で再逮捕とかされるんじゃ……。


 結局のところ、その心配は現実に起こらなかった。兵士が一人も突入してきたりはしなかったし、国王はなにも言わなかったからだ。

 つーか、国王本人は気にした様子もなく目をぱちくりさせている。


「なんでいるって、そんなの、ここが俺の部屋だからに決まってるじゃねえか」

「いや、そうじゃなくて」


 国王や貴族って、こんなフレンドリーだったっけ。もっと偉そうにしていて、俺みたいな底辺に近い一般人とは口をきかないし近づきもしねえ人種だと思ってたんだけどな。


「日が昇ったからおまえの様子を見に来たんだが? ああ、安心しろ。昨夜、俺は別の部屋で寝たからな。俺がいたんじゃ安眠もできないだろ?」


 うん、とりあえずわかった。この国王が俺のイメージするお高くとまったやつじゃないことは、よーくわかった。


「だろ、じゃねえよ! なんで国王がわざわざカーテン引いて、俺の様子を見に来るんだよっ! そんなの普通下働きの誰かにやらせるもんだろ。つーか、なんで何処の馬の骨も知れねえ俺みたいなのに部屋明け渡すんだ」

「馬じゃないだろ。おまえキツネじゃん」

「言葉の揚げ足を取るんじゃねえよっ」


 ひと息に色々しゃべったせいか、息が上がった。ぜいぜいと肩を上下させていると、なにがおかしいのかギルヴェール国王はくつくつと笑い始めた。


「青くなって震えていたかと思えば怒り出して忙しいやつだな。やっぱりおまえは面白い。気に入ったぜ」 


 一夜明けて、寝て起きて頭ん中がクリアになったせいだろうか。

 俺は改めてギルヴェール国王のことを冷静に見ることができた。


 歴戦を生き抜いただけあって、国王はほどよく引き締まった身体で体格がいい。目が合うだけで威圧されるような鋭さも持っている。だから昨日は、笑いかけてきただけで凄んでいるように見えた。

 けど、今は違う。

 ひっくり返ったら慌てて駆けつけて身体を起こしてくれた。思い返せば、過呼吸の発作を起こした時は二度も抱きしめてなだめてくれた。


 ——おまえには何もしないし、おまえから何も奪うつもりはない。約束する。


 国王のことは何も知らねえし、まだ信じられるってわけじゃない。なのに、あの時耳もとでささやいてきた約束は守ってくれるような気がした。


「さて、おまえの質問だが。女官たちは仕事を山ほど抱えているからあまり手を煩わせたくないんだよ。おまえの様子を見に来てカーテンを開けるくらい、俺がやった方が早いだろ」

「は、早いって……。国王ってフットワーク軽すぎね?」

「ギルヴェールだ」


 一瞬、言われていることがわからなかった。

 だって、そうだろ?


「へ?」

「長いから、ギルでいいぜ。他のやつらは皆そう呼んでる」


 まるで知り合った友達みたいに、一国の国王陛下が愛称で呼べと言うだなんて、誰が想像できる?


「いや、絶対嘘だろ! 昨日の二人は〝陛下〟って呼んでいたの覚えてるぞっ」

「嘘じゃないぞ? 臣下のほとんどは〝ギル陛下〟とか〝ギル様〟って呼ぶからな。ま、お前は堅苦しいの苦手そうだし、特別にギルって呼んでもいいぜ」

「呼べるかよっ」


 会ったばかりなのにどんだけフレンドリーなんだよ。

 俺って、国王の中でどういう位置付けなんだ? 侵入者とかアヤシイ者じゃねえのかよ。よくわからなくなってきた。


「おまえもじきに慣れるだろ。ほら、さっさと支度しろ。行くぞ」

「行くってどこに?」


 もしかして、国王は俺を呼びに来たのか? まだくわしい話は聞いていない。


 たぶん俺は胡乱げな目で国王を見ていたんだろう。

 ギルヴェール国王はにぃっと楽しそうに笑って、こう言った。


「朝起きて行くところなど、一つしかないだろ。飯を食いに食堂へ行くぞ」

「はあ!?」

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