第二章 商業国家ルーンダリアと雷光の獅子王
一.光の商業国家ルーンダリア
宿場町に滞在しながら、残った路銀で捨ててきた着替えや食料、必要な薬を買って旅支度を整えてから旅立った。
準備と馬車での移動に約二週間費やし、とうとう俺はルーンダリアの首都に入ったのだった。
「……ははは。ついに来ちまったぜ、ルーンダリア」
さすが首都。宿場町とは比べものにならねえくらいの人でごった返している。魔族や人間族が多くいるみてえだけど、獣人族も見かける。これならキツネみたいな俺の身なりでもおかしくは見えないだろう。
不安がないと言えば嘘になる。むしろ不安しかない。
けど、表の世界で商売できるなら願ったり叶ったりだし、千影にだって心配をかけなくてすむだろう。
都会となると広くて迷うかもしれないと思ったが、首都は親切な作りになっていた。
あちこちに標識があって、大きく地図が描かれた看板も置いてある。商業国家なだけに俺みてえな旅人も多いんだろう。
「商工会の受付はやっぱり王城、か……」
なによりも避けたい場所なのがネックだ。
ルーンダリア国王は魔族の中でも珍しいグリフォンの部族だという。グリフォンはキツネの天敵だ。やっぱり色んな意味で国王には関わりたくない。
四の五の言っても道は切り開けない。いよいよ覚悟を決めねえと。
大きく息を吸って吐く。
そうして気合いを入れてから、重い足を引きずりながら王城へ向かった。
「国民証?」
「ええ。取引先相手を紹介または推薦することはできるのですが、身分を保証するものが必要なのです。お持ちですか?」
完全に忘れてた。そういや表の世界で取引するには国民証が必要なんだった。
「いや、悪い。持ってないんだ」
定住してないってワケじゃねえけど、俺の家は千影がねぐらにしているあの洞窟だ。
近隣のシーセス国は王家が存在しない無法地帯と化しているため、国民証を発行できる役所はない。治安の面ではゼルス王国とそう変わらない危険な国なんだよな。
定住所がなければ国民証って発行できねえよな。たぶん。
「謝らなくても大丈夫ですよ。旅人のお方は持っている場合が少ないですもの。国民証は手続きを踏めば簡単に発行できます。見たところヒムロ様は成人していらっしゃいますし」
「俺、来たばかりで定住してる場所もねんだけど、発行できるのか?」
「あら、そうなのですね。それなら借家を紹介することも可能ですよ」
「しゃくや……」
それって、ルーンダリアにこの先も住むってことだよな。それはちょっと気が滅入るっつーか、千影が心配する。
いや、もう家を借りといて仕事で来る時だけ転移魔法を使えばいいんじゃねえか? その方が千影も寂しくねえだろうし、これからもずっと一緒にあの洞窟で暮らしていける。
——って、俺はなに考えてんだ。
国民証を発行するってことは、俺がルーンダリアの国民になるってことじゃねえか。
冗談じゃない。国家の一部になんかなってたまるか。
国や人なんて信用できない。第一、国が俺たちに何をしてくれたっていうんだ。無理やり故郷から連れ出され、親父とおふくろは無惨に殺され、たった一人の弟も——。
助けてくれたのは千影だけだった。どん底から救い出してくれたのは人ではなく、一匹のいにしえの竜だったんだ。
「……わかった。少し、考えさせてくれ」
たとえ仕事のためでも国家の中に入る気にはなれない。別の方法を考えよう。
千影の洞窟に戻って仕切り直しだ。
くるりときびすを返して俺は城をあとにした。そうするはずだった。
「あっ、ヒムロ様!」
受付の会場になっている一室を出たところで声をかけられる。
なんだ、一体。身体の中でむくむくと不安が膨れ上がる。
まさか《闇の竜》との関わりがバレたんじゃ……!
「落し物です。テーブルの近くに落ちていました。ヒムロさまのものではないかと思いまして」
声の主はさっきの受付嬢だった。息が上がっているところを見ても走って届けにきてくれたらしい。とりあえず杞憂でよかった。
差し出されたのは鞘に収まった短剣。手のひらに収まる小さな刃物だ。
「あ、ああ。俺のだ。悪かった……じゃなくて、ありがとう。届けてくれて」
「とんでもございません。ひとつ、よろしいでしょうか?」
彼女はすぐに短剣を返してくれた。
ただ、その直後。一瞬だけ、彼女のつり目がちな瞳が光った、気がした。
「な、なんだよ?」
「失礼かと思いましたが少しだけ鞘を抜いて拝見致しました。この剣は魔法製の武器ですよね? もしかしてヒムロ様は魔法具職人ではないのですか?」
「そ、そう、だけど」
見られたのなら仕方ない。短剣の刀身は真っ黒だから一発でただの武器ではないとバレるもんな。
ちいせえけど、この手のひらサイズの短剣は千影の竜石で作った魔法製の武器、いわゆる魔法具の一種だ。
いにしえの魔竜は破壊の属性を司っていて、その石を武器として加工すれば闇の加護が付与された魔法剣になる。だから《闇の竜》でもよく売れたっけ。
武器という点からしても表の世界で捌くような代物じゃない。だからこれは商品としてではなく、職人としての腕前を証明するためにも持ってきたんだ。
「まあ、それはすごいです! 魔法具の販売は東大陸のティスティル帝国のみが独占しておりますのに。ヒムロ様はティスティルで加工技術を学ばれたのですか?」
「いや、独学……だけど」
ティスティルってのは千影の洞窟より北にある魔族の大帝国のことだ。たしか魔法科学が発展していて、王家直属の魔法具に関する研究機関があるって聞いたことがある。もちろん俺はその国に行ったことがない。
「独学でここまでの技術学ばれたのですか。すごいです! ヒムロ様、魔法具の取り引きなら話が別ですわ! 国民証の発行手続きをせずとも大手の顧客を斡旋できる方法がありますの」
「マジで!?」
「応接間にご案内致しますので、そちらでしばらくお待ちください。すぐにでもご期待に添えるお相手を紹介致しますわ」
え、そんなにすごいのかよ魔法具って。いや、すごい代物だってのは自覚あったけどさ!
こっちが拍子抜けするくらいの急展開だ。
国民証を発行しなくて済むのなら願ったり叶ったりだし、なにより今日にでも仕事相手を紹介してもらえるのはすげえありがたい。
さっきまで鉛みたいだった身体が嘘のように軽く感じた。受付嬢のあとに続いて歩く足も羽のようだ。
ついに一歩前身できると、また希望の光が見えてきたと思っていた。少なくともこの短い時間までは。
上手い話には裏がある。
シーセスで過去に奴隷として生きてきた時もゼルスでも、嫌っていうほど身に染みて味わっているというのに、ことが起きるまで俺がそのセオリーを思い出すことはなかった。
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