閑話
閑話 ・アクアの如く!
アクア・エクリプスは歪な存在である。
そもそも、精霊には本来なら感情は存在しない。
人を守る意志を持つ守護精霊とて例外ではなく、感情など持たず、あるがままに特定の人物に恩恵を与え続けるだけの存在なのだ。
しかし、アクアには喜怒哀楽に始まり、まともではないにしろ人間のように複雑な感情が存在する。
精霊でありながら、人間の胎児を依代に選んだことによる相違点。
結果的にアクアという、主人にのみ執着し心を震わせる異形が誕生したのである。
ここで、アクアの出生について説明しておこう。
エクリプス家は元々はヴェルロード家の使用人の家系であった。現在でこそ男爵位を持つ貴族であるが、今でもヴェルロード家に対する忠誠心を忘れておらず、長女が生まれた際にはヴェルロード家に奉公に出すといった風習が続いている。
そして、アクアは本来死産になるはずであった魔力を持たない空っぽの胎児に憑依し、エクリプス家の長女として誕生した。
生まれてすぐに人語を解し、守護精霊を名乗る彼女の誕生にヴェルロード家は沸き立った。
それも、そのはずである。強大な力を持つ守護精霊、それも伝説に残る守護忠犬フェンリスの如く肉体を持ち、土地に縛られることもない守護精霊が誕生したのである。
彼女の存在は、ヴェルロード家の栄光に拍車をかけることになるだろうと、誰もが考えたのだ。
しかし、アクアは生来気難しい性格をしており、非常に気位が高かった。
なんと彼女は、当代のヴェルロード家には仕えるに足る主がいないと言い出したのである。
エクリプス家は高潔な騎士としての側面が存在する。
魂と器には密接な関わりがあり、騎士として、爵位を賜るに至った事を誇りに抱くエクリプス家の思想が器の中身であるアクアにも反映されたのだろう。
彼女は自分の主はヴェルロード家の中から己で決めると言い。
以後約四十年間、いつ現れるかもわからない主の誕生を待ち続けた。
老いることを知らない彼女の成長は十代後半程で止まっており、このまま何百年でも待ち続けようとするアクアに皆不満を抱いたが、誰もそれを口にすることはなかった。
創造主オリシオンを、絶対の神と崇めるオリシオン教会では、多神の存在は認められることはないのだが、精霊を神の使いであると主張する宗派も存在する。聖都にも、東西南北を守護する守護精霊の像が建てられているように、精霊を神の使いと崇める思想は一般的にも認知されているものである。
精霊は人よりも神に近しい者。
それも、最高位クラスの力を誇るアクアに、文句など言えるはずがなかったのだ。
アクアとヴェルロード家の関係は停滞し、いずれ現れるであろう主のために黙々と各種技能の向上を目指すだけの彼女に、誰ももう関心を示さなくなった頃、停滞した関係に転機が訪れた。
『奇跡の神子の誕生』
長らく病床に伏し、その存在を忘れられていた少女が、病を克服し神子に選ばれたのである。
アクアは彼女に目をつけた。
神より選ばれし神子であるのなら、自分の主に足り得るのではないかと考えたのだ。
そして、アクアはメルルの凛とした姿に、奇跡の御技に心奪われ自身の主は他にはいないと確信したのである。
不思議な事ではあるが、メルルとアクアは、よく似ている。
二人は胎児の時点で異物を取り込む事により、その運命を大きく変えた存在である。
二人は期待を一身に受け誕生し、その期待をことごとく裏切ってきた。
そして、似ているのは何も生い立ちだけの事ではない。
二人は、共にちぐはぐで歪な存在なのだ。
二つの魂を有するメルルと、本来持つはずのない感情の芽生えたアクア。
この互の歪さが、かえって上手く噛み合ったのか、漸く巡りあった主従はすぐに打ち解けていくこととなった。
メルルは従者の力を高く評価し、信頼する。
アクアは自分の存在意義である主を、崇め敬い忠誠に心血を注ぐ。
互が、互を必要とする共依存の関係。
コレは主従関係としては別に珍しいことでもないし、特に問題はないだろう。
しかし、忘れてはいけないことが一つだけある。
アクアは良くも悪くも、まともではないということだ。
彼女の思想は常人にはとても理解の及ぶものではない。
彼女は祝福の儀以降ずっと、メルルを観察していたのである。
誰にも気づかれることなくメルルを観察し続け、彼女の嗜好を十分理解にした後、メルルの前に姿を現したのだ。
それまでのあいだ、メルルはいくつかの脅威にさらされているのだが、アクアは全てを敢えて見過ごしすことにした。メルルの嗜好を理解するまでは、何が主人の不興につながるか判断できなかったからである。
よって、アクアはクロの凶行を事前に対処できていたのにも関わらず放置したのだ。
これには、メルルなら十分に対処可能だろうという考えが前提にあったのだが、残念ながらメルルはクロを取り逃がしてしまう。
そこで、アクアは差し出がましいかもしれないと心配しつつも、クロに九分割の罰をあたえたのである。
ベルトキャニオンからメルルが投げ出された時もそうだ。
アクアは、まず不死王冠の回収を行い、その後十分にメルルを助ける余裕があったが、決して手出しはしなかった。
しかし、当時の早すぎる救助班の到着はアクアの手引きである。
彼女はある手段を用いて救助依頼を申請し、救助の手を最短経路で導いたのだ。ここに来て、何故彼女が行動に移したのか、その理由は簡単だ。
眠りにつくセバスの横で、メルルが小さく『無事に帰れるんだろうか、早く帰りたい』と、不安を口にしたから、アクアは救助を要請することにしたのである。
メルルに対する観察期間のあいだアクアは、主人の嗜好を把握する事に勉めるつもりであったが、具体的な希望がメルルから提示された場合はその限りではない。
だが、流石はアクアといったところか、遭難中の五日間。
メルルはまともな食べ物を全てセバスに与え自身は毒キノコを食べて飢えを凌いだのだが、アクアは『逞しいですよ、お嬢様!』と、歓声を上げるばかりで何もしなかった。
メルルが『新鮮な肉は絶対に美味い!』と、食用ですらない魔物肉を血抜きもせずにかぶりついた結果、嘔吐した時も『おおッ! お嬢様から未来の聖遺物が溢れ出ておられる!』と、興奮するばかりで何もしなかったのだ。
アクアが目指すのは、一般的な最善ではなく主にとって
その上で、アクアは自分の信念を死んでも曲げないし、決して疑うこともない。
彼女の思考回路は常人とは決定的にズレている。
しかしながら、彼女のメルルへの忠誠心は本物でありメルルの命令であれば、どんな苦行をも彼女は耐え忍び乗り越えていくことだろう。
どこまでも、主人本位で自分本位の従者になるために生まれてきた異形。
それが、アクア・エクリプスの正体である。
ーーーー
アクアの朝は早い。
むしろ、一睡もしていない。
寝る間も惜しんで、主に奉仕するのが優秀な従者の常である。
それにしても、一睡もしないのは異常極まりないのだが、彼女がオカシイのは今に始まった事でもないので、取り立てて気にする程の事でもないだろう。
まだ鶏ですら、安らかに眠っている時間からアクアは行動を開始する。
秘薬の作成をするべく、食堂に向かうと、先客がいたようで元気のいい挨拶が彼女の耳を突く。
「おはようございます。アクアさん!」
一睡もしていないアクアからしてみれば、決して寝起きというわけではないのだが、朝っぱらから鬱陶しいと、やや辟易する。そんなアクアの心情を知る由もない声の主は、黙る素振りをみせようともしない。
「今日もいい天気ですね! こんな日は触手の調子もよくて業務が捗りそうです」
声に合わせて八本の触手が、うねうねと忙しなく蠢く。
ーーあれ? おかしいですよ、一本足りませんね。
この触手はアクアが、彼に与えたものだ。
彼女がつなげた触手は九本に間違いないはずである。
しかし、活発に暴れる触手は、どう数えても八本しかない。
腹を空かして食べてしまったのだろうかと、適当な結論を導きかけたアクアだったが、目ざとく最後の一本を発見した。どうやら、扉に挟んでそのまま引きちぎってしまったらしい。
彼は脳のリミッターを外した事により、戦闘面や力仕事で大幅な躍進を見せたが、あらゆる事に対して鈍感になりすぎている気がしてならない。
ーーこの様子では、いつお嬢様に粗相をしでかしてしまうかわかりませんよ。
彼には今一度、痛みを思い出してもらわないといけないだろう。
調教、もとい調整の必要を感じたアクアは眉間に皺を寄せ、不出来な従者に躾を施そうと彼の首筋に手をかけたのだがーー
「おお! いつもにまして綺麗な手をしていますね。
このあいだ、メルル様がアクアさんの手を褒めてたんですよ『アクアの手はまるで、ゆで卵のように綺麗ね。今度塩を振って舐めてやろうかしら』て、言ってました!」
伸ばした手を引っ込めて、赤らんだ頬を隠すように当てて一言。
「……そんな、照れますよ」
数日後、アクアが手に付ける調味料の研究を始めたのは言うまでもない。
いつの間にか、躾の事も忘れている彼女であるが、このようなミスはメルルと出会う前の彼女なら有り得ない事であった。
アクア・エクリプスは確実に人間へと近づいている。
今はまだ、メルルにのみ心を震わすに留まっているが、最近メルルが好きな娯楽小説などにも興味を示すようになってきている。アクアの関心は、メルルを中心に広がっていき、いつか彼女にも友人などが出来る日も、遠くは無いのかも知れない。
「お嬢様ったら、お申し付けてくださればさえ、蜂蜜でも何でも塗って準備しておきますのに」
訂正しよう。
彼女の理解者は、早々は現れないだろう。
暫くのあいだ、妄想に悶えていたアクアだが、湯だつ鍋の存在に気がついて、食堂に来た理由を思い出した。
既に鍋の準備は出来ているようなので、早速作業に取り掛かろうと思いたった。
「なんで食堂にいるのかと思えば、お湯を沸かしていてくれてたのですか」
「はい、少しでもアクアさんのお役に立てればと、準備しておきました」
「漸く理解してきましたね。優秀な従者とは気遣いが重要なのです。その意気で、お嬢様にもご奉仕するようにお願いしますよ? ーークロ君」
アクアは、自分より背の高いクロの頭を撫でてやる。
外見上なら彼よりも年下のアクアに頭を撫でられながらも、クロは人懐っこい笑みを浮かべ、随分と気持ちの良さそうな様子である。
本当に、よく懐いている。
とてもじゃないが、かつて自分を九分割にした相手に対する態度ではない。
尤も、クロにはその当時の記憶はない。
彼は目を覚ますと、記憶を失っていたのである。
自分が何者かもわからぬ不安に震えるクロに、アクアはメルルの偉大さを説き、偉大なる主に仕える幸せをクロに叩き込んだのだ。
それから、アクアの血液をつなぎに魔物の体組織を移植し。
試行錯誤の末、今のクロが出来上がったのである。
わざわざ、貴重な血液を使ってまでクロを助けた理由。
それは、単純に彼が哀れに思えてきたからだった。
激痛にのたうちまわるクロを眺めながら、アクアは考えていた。
何故、メルル付きのカゲと言う垂涎ものの待遇にいながら、あのような暴挙に出たのかと、考えに考えた結果。
クロがメルルの素晴らしさに、気が付いていなかったのかも知れないと言う結論が出された。
そしてそれは、なんと哀れな事なんだろうと思った。
クロが義憤に駆られて、メルルと対峙したなど一寸も考えてはいない。
アクアは基本的に、他人の感情の機微にはどうしようもなく疎いのである。
ひとしきり、クロの頭を撫でてやったアクアは、煮えたぎる鍋に歩み寄る。
すると、おもむろに右腕を鍋の中に突っ込んだ。
守護精霊であろうと肉体は人間。
当然ながら熱いものは熱いし、皮膚は火傷を負い爛れていく。
しかし、アクアはーー
「くふ、うふふふふふふふ」
笑っていた。
通称アクア汁、普段からメルルの食事に用いられている例のアレの正体は、アクアの出汁である。
つまりは、アクアから出たダシは日常的にメルルに摂取され、身体の一部になっていくのだ。
常人には理解し難い感性だが、アクアからしてみれば、それがたまらなく嬉しい事のようだ。
誰に似たのやら、アクアは間違いなく変態と呼ばれる人種であった。
ーーーー
メルルが行動を開始すると、アクアも忙しくなってくる。
主が求める物を、主が必要とする時に用意しておく。
「アクア、“あれ”とって来て」
“あれ”とは一体なんなのだろう。
凡百の従者であれば思わず聞き返してしまうような、不鮮明な要求にもアクアは迅速かつ的確に対応していく。
アクアは、メルルに対してのみ異常な洞察力を発揮する事が出来るのだ。
しかし、これは別に魔術などを使っているわけではなく、アクアの常軌を逸した洞察力のなせる技。
当然、アクアをしてもメルルの全てを理解しているわけではない。
ちょうど、今のように。
まるで、そこだけ空間を切り取ったような漆黒が、メルルの手から溢れ出す。
超高濃度、超高純度の魔力が不死王冠の中に圧縮されて込められていく。
これほどまでの量の魔力を、ここまで圧縮できる者は他にはいないだろう。
水と闇を司る守護精霊であるアクアをしても不可能な領域である。
メルルの表情が邪悪に歪む、その凶相はまるで全ての生者の死を焦がれるようなものであった。
一体何を思いながら、不死王冠に魔力を込めているのだろうか、そればかりはアクアにも理解の及ぶ範囲ではない。
しかし、仮にメルルが世界を滅ぼすつもりであろうと、アクアは主を止めるつもりなどさらさらない。
ここで止めに入るようなら、国啄みを作為的に発生させたメルルの従者など早々に辞退しているだろう。
アクアにとって、全ての価値はメルルが決定する。
憎しみであろうと、嫉妬であろうと、狂気であろうと、メルルがそれを望むのならば是非も無し。
ーーたとえ、滅びる世界に私が含まれていようと、最後の瞬間までお供しますよ。
世界の破滅を予感させるほどの才能。
それが、アクアがメルルの妙技に対して感じた純粋な感想であった。
尤も、メルルは世界の滅亡など望んではいないだろうと、アクアは理解していた。
メルルの一連の行動から、彼女にも善性が存在する事が確認されている。
アクアは、今は亡きメルルの母を思い出す。
『サン・ヴェルロード』
平民、それも移民の身でありながら、王宮魔術士の筆頭として活躍した才媛。
彼女はどこまでも優しく、純粋な女性であった。
だからこそアクアの主足り得なかった。
才能は十分、しかし欲がなさすぎたのである。
アクアは必要とされる事に自分の存在価値を見出す。
そんなアクアが、欲のない主の下に仕える事はあり得なかった。
その点、ヴェルロード伯は及第点であったのだが、彼は絶対的な強者としての尺度である魔術の才能が欠落していたのである。
彼もまたアクアの主足り得なかった。
しかしながら、ヴェルロード伯は為政者としては大変優秀で、野心家としても有名である上、手段を選ばない冷酷さも備わっていた。
彼は、国啄みの発生を予見していたのである。
その上で、それを利用する手はずを十分に整えていた。
結果的にメルルの、延いてはヴェルロード家の名声は十分に高められた。
彼の入念な根回によって、あまりに不自然な国啄みの発生を表立って言及する者もいない。
民衆はメルルの武勇を賞賛し、ヴェルロード伯の迅速な対応を評価する。
権力者達の掌の上で、踊らされているとも気づかぬままに。
そして二人の娘、メルル・S・ヴェルロード。
メルルは悦に入った表情で、魔力を込めた不死王冠を眺める。
現段階でも、この不死王冠をメルルが使えば、通常の国啄みとは別次元の災害を発生させる事が可能だろう。
自領の民の命を犠牲にし、自身のカリスマを高めたのみならず、貴重な魔導触媒を手に入れたメルル。
冷酷かつ狡猾なやり口には一切の無駄がなく、その鮮やかな手腕はアクアに畏敬の念を抱かせる程のものであった。
一方で、反旗を翻した従者すら慈しみ、危険も顧みずその身を投げ出せる優しさを持つ。
メルルの従者愛に、アクアは感動を禁じ得なかった。
高潔な精神に、最高の才能。
悪魔の如き頭脳に、残虐な性質。
ちぐはぐな主の将来を夢想し、アクアは表情を綻ばせる。
そう遠くない未来、メルルは世界に大きな影響を与える人物へと成長を遂げるだろう。
その時メルルは、万の軍勢を率いる王として君臨しているのか、それとも万の軍勢に挑む英傑として奮闘しているのか、どちらにせよアクアは、自身の身が滅ぶ逝くその瞬間まで、共にあろうと強く心に誓ったのであった。
ーー夜も更け、メルルが寝静まった頃に神聖な儀式が始まる。
この儀式の最中は、アクアも無防備になるため、メルルの警護はクロと交代されている。
メルルが眠る寝室の屋根裏に備えられた魔法陣の中に入ると、アクアは膝を抱えブツブツと何かを唱え出す。
唱えるといっても、詠唱の類ではない。
この魔法陣も、魔法の効果を高めるといったものではなく、彼女の集中力を極限まで高める為のものである。
アクアが、何をやっているのかといえばーー
「ねぇ、アクアがいつも料理にかけている。アレって、何でできてるの?」
「アクア、あれとって来て」
「アレ、持ってきてアレ!」
「次回は脇の下から出してね」
「アクアぁ~、いつものアレやって。え~と、アレよ。そうそうソレソレ!」
今日一日のメルルの言動をトレースすることにより、メルルになりきっているのであった。
これにより、アクアはメルルと驚異的なシンクロ率を発揮する事を可能にしているのだ。
そして、この行動はアクアの人格生成に大いに影響を与えてるのである。
メルルを理解するために、メルルになりきっているうちにアクアは趣味、嗜好の面でまでメルルから多大な影響を受けている。
つまり、アクアの嗜好に極端な偏りが見られるのはメルルが原因なのであった。
ちぐはぐ聖女伝 ‐メルルさんは幸せになりたい!‐ 高田 正義 @disneyplus
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