8-3 不幸宣言
いつもⅯは太陽が朱色になる前に来るはずなのだけれど、今こうして太陽は沈みかけているというのに、Ⅿはまだ来ていなかった。·
来るはずの時間になってもⅯが来なかったし、そもそも今日は振り返り休日だと言っていた。加えて朝に目を覚ましたⅯは「また後で来るからね」と言っていた。
Ⅿが来ないはずがなかった。
茉莉は心配して公園から出て町の中を探しはじめる。
その頃には日は沈んでいた。
町の通りを歩き回り、人が往復できるかどうかの小道まで探し、挙句の果てに用水路の中で倒れていないかを確認した。
しかし町のどこを探しても、Ⅿの姿が見当たらない。
心配をし過ぎなのは自分でも理解している。
一日くらい会えなくたって別に構わない。
けれどそんな考えを吹き飛ばしてしまうくらいに、嫌な予感がする。
何もないならそれでいい。過保護でもいい。
今はただ、Ⅿの顔が見たかった。
杞憂であれと願うばかりだった。
すると、Ⅿと同い年と思われる女の子の二人組を見つけた。
茉莉は後ろから「すみません」と声を掛ける。
彼女たちは不思議そうに振り返った。
「どうしましたか?」
「あの、Mって人、知ってますか?」
「あー、Ⅿ先輩ですね。知ってますよ。それがどうかしましたか?」
茉莉の方が年上のはずなのに、焦っているためか、彼女たちの方が随分と大人びているような感じがした。
「彼の家とか、知ってたりしませんか? 会いに行きたいんです」
どうしても、今。と付け足して言う。
茉莉の言葉を聞くと、彼女たちは目を合わせて、何かを企んだように微笑む。
「そうですか」と、片方の少女は言った。
茉莉の恋心を見抜いていたのだろうけれど、今は恋よりも心配の方が勝っていた。早く言ってくれと思う。
「Ⅿ先輩の家はここの通りを真っ直ぐ行って、白い壁の大きな家が見えたら左に曲がってください。そうして小さな小屋が見えるはずです。そこの二軒隣の庭のある茶色い壁の家が、先輩の家です」
「分かりました」
うまく理解できていなかったけれど、深々と頭を下げる。そして礼を言い、すぐに言われたほうへと走り出す。
そこまでの道のりで、自分はいつからⅯにそんな感情を抱いていたのかを考える。
きっかけらしいきっかけはなかったような気がする。
けれど自分のことだから何となく理由は分かっていた。
彼だけだったのだ――わたしを人として対等に扱ってくれたのは。
死ねないことは人生を大きく制限する。
どうしても一般的な容姿にはなれないし、そこからみれば随分と劣ったものになってしまう。
どうしてあなたたちが基準になること、そうでない者を排除することを正当化しているのだろう。茉莉はそう思っていた。
しかし茉莉が一般社会に産まれてしまった以上は仕方のないことなのだ。
諦めるしかない。
ここではないどこかで生まれてくればよかった。
生まれも育ちもよく分からない。
記憶は曖昧だし、みんなに当たり前にあるものが何も与えられてない。だからといって死ねない。死にたいのに死ねない。そんなどうしようもない状況でも、差し伸べてくれる人は一人だっていなかった。
言ってしまえばⅯだって手を差し伸べてくれてはいない。
普通、茉莉はどこか違うモノだと察知して避けるのだ。
Mは茉莉が出会った「人」として見てくれた初めての人だ。
だからそれがただ単純に嬉しかった。
それが恋心に発展しただけの話。
恋する権利くらい、茉莉にも与えられていいと思う。
この今を一言で言うのなら、そんな風に驚くほど簡単に恋に落ちてしまう、女の子の話なのだ。
*
言われたとおりに道を進み、Ⅿの家に辿り着く。
全く緊張なんてしなかった。色んな感情が混ざり合って、脳がショートしたようだった。玄関のドアを開ける。
「こんばんは」
少し声を張った。
「はい」と女性の声が聞こえて、その後せわしない足音が茉莉の方に近づいてきた。
「こんばんは」
母親らしき人物が現れ、そう言った。
「えっと、どちらさん?」
その表情には明るいものは見えない。ひどく疲れているように見えた。
「わたしは茉莉と言います。Ⅿくんの友達です」
その言葉を聞くと目を開いて驚き、「そっか」と言った。
「Ⅿ、まだ帰ってきてないんよ。昨日、体育祭が終わった後から。『友達ん家泊るの許して』って言われてそれを許したきり、帰ってこなくなった。それからⅯの顔も見てないし、声も聞いてないの」
茉莉は落胆する。それが表情に現われていたようで、母親は「お父さんが探しに行ってるの。ごめんね」と言った。
「いえいえ、わたしも探します」
そう言って振り返る。
「お邪魔しました」
Mの母親の「待って」は、茉莉には届かなかった。
それから茉莉はまた、町を巡って探しはじめる。
ふと、町はずれの方までは探していなことに気づく。
家に帰っているものだとばかり思っていたから、そっちの方までは探していなかった。
しかし家に帰っていないとなると話は別だ。
二十分ほど歩いて茉莉は、以前、Ⅿがいじめられていた公園の前を横切る。
そして目に入る。
そこにⅯがいた。
まったく変わり果てた姿で。
横になったまま動かない。
まるで眠っているかのように。
血を吐き、涙で頬は濡れ、服は汚れ、破れていた。
足はあらぬ方向を向いている。
間違いなく骨は折れている。出血量も多い。
何があったかはもう、言わずとも分かった。
その有様は、今までで見た中で、最も悪意を持った暴力行為のように見えた。
「大丈夫ですか!」
声を掛ける。しかし届いていないようで、反応はない。だがまだ息はある。
「大丈夫ですか!」「大丈夫ですか!」「ねぇ、大丈夫ですか!」
出血がひどいため身体は揺すらず、何度も何度も、同じように声を掛け続けた。
そうしている間に、茉莉の頬に涙が伝う。
「お願い、起きて。目を覚まして――」
やがて茉莉の声によって人が集まり、Ⅿは救急搬送される。
Ⅿは一命をとりとめた。
しかし身体に麻痺症状が残ることになった。自力ではほとんど動けないのだ。
Ⅿは車椅子によっての生活を強制されることになった。
病院に運ばれたことによってⅯは、図らずも外の世界を知ってしまった。
Ⅿの母親からそう聞かされ茉莉は、特に深く考えることはなくただ、運命とは何とも皮肉なものだな、と思った。
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