5-2 思い出の中で、永遠に。永遠に
瑞穂が公園に行くと、茉莉は当然のように先にいた。
ベンチに座っている彼女の姿が見えた。瑞穂の方が先に来たことなんて一度もない。
「早いですね」
本を読んでいた茉莉は、顔を上げずにそう言った。
「あぁ」
その声を聞いて何か思ったところがあるようで、茉莉は横に本を置いて、意外そうに顔を上げた。
「どうかしたんですか?」
「いや……。なんでもない」
「らしくないですね」
気を遣ってくれたのか、それ以上茉莉が踏み込んでくる様子はなかった。
それから茉莉は読書に戻り、瑞穂は適当に空でも眺めて時間を潰した。
やがて日は傾き始める。祭りが盛り時へと近づき始める頃合いになる。
「そろそろ行くか?」
「そうですね。行きましょう」
そうして二人は、祭りへと向かう。
*
公園から三十分くらい歩くと、どこからか笛の音が聞こえきた。
二人はその方へと向かっていく。
そこから五分ほどして、祭り屋台が見えた。
二階建ての一軒家くらいの高さで、上の方には二メートルほどの飾り物が乗せられている。囃子に合わせて大人たちが祭り屋台を動かし、それを大勢の観光客が囲うように見ていた。
「へぇ、凄いですね」
「あぁ。本当だな」
今まで瑞穂は、祭りに来たことがなかった。
瑞穂にとって、祭りは一人で来るものではなかったからだ。
それは茉莉の方も同じで、似たような理由から、祭りに来たことがなかった。この祭りに限らず。
「もっと近づきましょうよ」
そう言って先に走り出した茉莉に、瑞穂はついていった。
それから色々な祭り屋台を見て歩いた。やがて空は黒色になり、夜が到来する。しかし祭りの盛り上がりが、空を完全な黒にはさせなかった。
きらきらと光る宝石がいくつも散らばっているようだった。
祭りとは、こんなにも華やかなものなのだと、初めて知る。
初めての景色、初めての音、初めての経験。
二人にとって、それらは全て初めてのものだった。
互いに感想は「凄い」しか出てこなかった。
今の時間を、素直に楽しいと思えた。久しぶりに心が大きく動いたような気がした。
普段は栄えていない通りも、今日だけは輝いている。
「向こうに行きましょう」
茉莉は出店の方を指差して言った。
「いいな。面白そうだ」
いかにも祭りらしい光景に、瑞穂は興奮する。
出店の方は、人が溢れかえっていた。
まるで東京の満員電車一歩手前のようで、何とか身動きが取れる程度。行きかう人々は、皆一様に楽しそうな表情を浮かべる。
ちらほらと浴衣を着衣している人もいる。
中にはカップルもいた。手を繋いで、あるいは手を絡めて歩いている。
自分たちも、傍から見ればそんな風に見えているのだろうか。
そんな風に考えながら、二人はそんな人混みの中に入っていく。
そんな時、ふと、運命なんてものは存在するのだろうかと思った。
*
かき氷、チョコバナナ、輪投げ、フレンチドッグ、焼きそば、お好み焼き、射的など、様々な出店が通りの向こうまで並んでいる。
二人はその一つ一つに驚き、興奮しながら歩いていく。
そのため歩みはとても遅いものとなり、多くの人に追い抜かれていく。
けれど二人は、その緩やかな歩みのまま進んでいく。
「わぁ、これ美味しそうですね」
たこ焼きを指差しながら言った。
「たこ焼きって言うんですね。どんな味するんですか?」
「茉莉、たこ焼き食ったことないのか?」
「ま、まぁ、はい」
少し申し訳なさそうな顔をして、けれど表情を緩める。
瑞穂にはその表情の意図が理解できたから、黙ってその出店の前に行った。
「すいません。たこ焼き一つ下さい」
店主は「はいよ」と言って、店前にあった作り置きを差し出した。瑞穂は交換するように、五〇〇円を手渡す。
「後ろの子は彼女かい?」と店主は訊いた。
「いえ、まさか。まぁ友達みたいなもんです」
笑って言う。
「そうかい。仲良く食べな」
「ありがとうございます」
瑞穂は受け取ったたこ焼きを持って、茉莉の元へと戻った。
「買ってきてくれたんですか?」
「あぁ。少し出たところで食べよう」
そう言って二人は、出店のある通りを出た。
うって変わって人気のない通りに着く。
二人は階段に腰を下ろす。
瑞穂は買ったたこ焼きの入った袋に手を伸ばした。割りばしが二つ入っていることに気づく。店主が気を遣ってくれたのだろう。
茉莉に全てあげるつもりだったのだけれど。
取り出したたこ焼きを、茉莉は美味しそうに頬張る。
熱いから気をつけろと言おうとしたところで、茉莉は「熱っ」と言った。一歩遅かった。
「ごめん。早く言わなかったから」
あまりの熱さに返事ができないようで、口に空気を含ませながらうんうんと頷いて、それから熱さを我慢して飲み込んだ。
きっと口の中は火傷をしていることだろう。
「たこ焼きって凄いですね!」
けれど火傷を感じさせないように、茉莉は幸せそうな表情で言う。
「美味しいだろ?」
「はい! 瑞穂さんも食べてくださいよ」
「いいや、茉莉が食ってくれ。そのために買ったんだからな」
「分かりました」
少しだけ嬉しそうに言う。独り占めできるからだろう。
茉莉は美味しそうにたこ焼きを頬張った。そして幸せそうに噛みしめる。ふと思う。どうしてたこ焼きを食べたことなかったのだろうか、と。
しかし家庭環境を無理に訊くのも良くない気がするので、そのことについて触れないでおく。
茉莉が食べ終わると、再び出店のある通りに戻った。
それから茉莉が食べたいと言ったものを全て購入して歩いた。聞いてみれば、どうやら出店に並んでいるもののほとんどを口にしたことがなかったらしい。
「あ、ごみ捨ててきますね」
そう言って茉莉は、少し先にあるごみ捨て場に向かう。
瑞穂は一人になる。
何の気なしに、輪投げで手に入れたよく分からないおもちゃで遊ぶ。
手から滑り落ちて、拾おうとするが、行きかう人々の中に転がっていき、足で踏みつぶされる。
ゴキと砕ける音がした。瑞穂は追うのを諦めた。
瞬間、懐かしい風が吹き抜けた。
短くなった瑞穂の髪を揺らす。
下ろした顔を上げた。
顔を見たわけでもない。声を聞いたわけでもない。ましてや今の姿なんて分かるわけがない。なにせもう十年も前になるのだ。
けれど確かにそれが誰だか、瑞穂には分かった。
ひなただ。通りすぎていった人混みの中にひなたがいる。間違いない。根拠なんてどこにもない。けれど確信する。
瑞穂は流れに逆らうように、ひなたの影を追った。
向こうの方にも、流れに逆らって瑞穂に近づこうとしている頭が見えた。
しかし逆らうことができず、流れに飲まれる。
瑞穂はひなたから遠のく。
身を任せているうちに、やがて茉莉からもひなたからも離れていった。
瑞穂は人ごみの中に消えていく。
そんな瑞穂の様子を、茉莉は確かに遠くから見ていた。
*
一人になった瑞穂の頭は、ひなたでいっぱいだった。
人混みの中を懸命に探す。けれど見つからない。それでも懸命に探す。
三十分ほどして足を止めると、どっと疲れが襲ってきた。座る場所を求めて、少し前に茉莉とたこ焼きを食べた階段へと向かう。
運命だった。
そこに彼女が座っていたのだ。
背も髪も服装も、顔立ちも声も雰囲気だってまるで違う。
写真で見たら絶対に分からない。それほどまでに面影を残していない。
けれどこうして会って、会えたからこそ、それがひなただって分かった。それは根拠のない確信だった。
「瑞穂くん?」
「ひなた……?」
声も違う。けれど確かにひなただ。
「そうだよね、瑞穂くんだ!」
彼女は口に手を当てて、驚いている。
これを運命と呼ばずして、何と言うのだろう。瑞穂はそう思った。
しかしそれは運命のいたずらとも呼べるものでもあり、あるいは、ここでひなたに会うべきではなかったのかもしれないと思えるほどの、巡り合わせでもあった。
月に雲がかかった。祭囃子が遠くで聞こえた。
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