4-2 約束
夏らしい青空に白い雲が重なった晴天も、こうして数日も続けば、代わり映えのないものに見えてくる。
けれど隣でまどろんでいる茉莉が空を好んでいるから、下手にそんなことは言えない。
もし言ってしまえば、「一緒に見えても、空には少しずつ違いがあるんですよ」という風に怒られてしまうに違いない。
その姿をなんとなく想像できた。
成人式を明日に迎えて、やっぱり成人式に出たくないという気持ちが勝り始める。
こんな惨めな自分を見せたくない。そう思った。
そんな風に、まだ誰かに見栄を張りたがる自分も存在していることに気づく。
けれど成人式を終えてしまえば、その先の人生の意味はもうないことも分かっている。成人式に出ないということは、佐中ひなたに会うことができない。
心残りともいえる。
場合によっては、自殺を先延ばしにしてしまう可能性もある。
だから瑞穂は、必然的に成人式に出なくてはいけない。
約束のために。そして自分のために。
成人式が終われば、ここに来ることもなくなるだろう。
今日が終われば、ここに来るのはあと一度きり。
自殺をする時だ。
少し寂しいような気もする。
まどろむ茉莉に視線を移すと、まるで視線を感じ取ったかのように、目を開けた。そして数秒間、呆けたような表情を作り、それからハッと、驚いた表情を見せた。
「茉莉もそんな顔するんだな」
「え、あ。はい」
恥ずかしかったようで、声はどんどん小さくなっていった。顔の色は変わっていないけれど、瑞穂から見える右耳が少し赤くなっている。
それを見て、瑞穂は小さく笑う。
「なんですか?」
「いいや、何でもない」
茉莉は澄まして「そうですか」と、いつもの調子に戻って言った。
たったさっきまで眠っていたとは思えなかった。
それからいつもの要領で鞄から本を取り出して、読もうとする。
「あぁ、そうだ」と茉莉に声をかける。
「何ですか?」
「そういえば、本、読むんだってな」
「はい、それなりには読みますよ」
「どんなのを読むんだ?」
「小説ですね」
「あぁ、言い方が悪かった。どんなジャンルが好きなんだ?」
「えぇっと。何でしょうね」
そう言って、茉莉は視線を右斜め上に向ける。
青空を見て、そうですね、と言う。
「青春、でしょうか」
「へぇ」と、瑞穂は頷いて言う。
「意外ですか?」
「いいや、そんなことないさ。俺だって読むしな」
「よかったです。わたしだけじゃないんですね」
「そりゃそうだろ。仮に茉莉だけが好きなら、青春なんてジャンルは一瞬で廃れているはずだからな」
瑞穂はそう言って笑う。
それを聞いた茉莉は、それはそうですね、と微笑み返した。
しばらく本の話で盛り上がったが、やがて話題は大きく逸れて、二人は黙った。いつものことだ。
それからまたしばらくして、瑞穂は思いついたように訊く。
「この一週間と少し、どうだったか?」
「何ですか、急に」
顔を合わせずに、茉莉は言う。
「だって今日が最後だろ? 成人式が終われば、もう生きる意味は無くなるんだ」
「そうですね」
茉莉は慎重に言う。
「新鮮で、楽しかったですよ」
空に向けて、ほんの少しだけ微笑んだ。
横顔であるから、それは瑞穂には届かない。
茉莉は視線を落とし、瑞穂に向ける。
そして瑞穂の目を見て、はっきりと訊いた。
「けれどもし、成人式に佐中ひなたさんが来なかったら、瑞穂さんはどうするつもりなんですか?」
「あぁ――」
瑞穂はそれを考えていなかった。
正確には、考えようとしなかっただけなのかもしれない。
もっと詳しく言えば、来ないはずがない。
そう思っているのだろう。
理由は簡単で、『佐中ひなた』だから。
「まぁそうしたら、夏の終わりまでは生きてるかな。そして夏が過ぎていくのと同時に、俺はここで首を吊る。もしくは飛び降りる」
「えぇ。分かりました。わたしもそれがいいと思います」
「止めないのか」と、瑞穂は訊く。
「わたしはここで、何人も死ぬのを見てきましたから」
「そうやって、ここで人が何人も死んでいくのを見るのって、嫌じゃないのか? 辛くないのか?」
「辛いこともあったと思います」
笑顔とは相反して、淡々と言う。
「根本的な話なんだが、茉莉はどうしてここにいるんだ? ここの景色が好きだからか? それとも――」
言葉の続きを遮るように、茉莉は言葉を重ねた。
「それもありますね。いや、だからですね。多分、ここじゃなきゃダメなんだと思います。ここなんです」
その言い方はひどく曖昧で――それ以上は、訊いてはいけない何かが存在している気がして。それ以上は来るな、とも言っているようで。
あるいは、茉莉も知らない何か。
いずれにせよ、ここで身を引いておくのが正解には違いない。
瑞穂はそう直感する。
だから瑞穂は、「なるほど」と相槌を打つことで、話しを終わらせた。
*
神社に行きましょう。茉莉はそう言った。
あまりにも唐突にそう言うものだから、瑞穂は最後に疑問符だけを付けて、そっくりそのまま言葉を返した。
すると茉莉は、分からないんですか、と伝えるように瑞穂の方を見てこう言った。
「お祈りですよ」
「何のために?」
「瑞穂さんが死にますようにって」
茉莉が言う「死にますように」には、優しさが含まれていることに気づく。
瑞穂が成人式に出て、ひなたと出会って、瑞穂が思い残すことなく死ねますように。ということだろう。
そんな優しさが瑞穂には伝わった。
「なんだそれ」
小さく笑う。
「死んでほしいのか?」
そう言って、彼女の気遣いには気づかないふりをした。
「いいえ。あ、いえ……」
答えに困ったように言いどもり、視線を泳がせる。
「どっちでしょかね」
茉莉は微笑んで、誤魔化す。
「まぁ死ねるように祈りましょう」
自分たち以外の人が聞いたら、ひどい話だと思ってしまうだろう。
いいや、実際のところ、瑞穂たち二人が、自殺という行為に抵抗がないだけだから、『しまう』は意図しないという意味を含んでいるため、不適切な気もする。
死ぬことはたり前でなんかないのだ。
でも、茉莉にとっては違うのだろう。
生まれつきの環境や育つ環境で考え方や価値観が形成されるように、茉莉もまた、自殺を幾つも見てきたから、それを日常の出来事のように思っているのかもしれない。まるで進路選択の一つのように。
瑞穂だって、一年前は自殺を身近に感じていなかった。
だから当時はそんな選択肢は浮かんでこなかったし、逆にきっかけがあったからこそ、瑞穂は自殺を選択した。
齋藤の自殺は、瑞穂にそういう選択肢があるのかと思わせた。
世界の狭い瑞穂にとって、その影響は想像以上に大きかったのだ。そうして瑞穂にとって、自殺は普通のこととなる。
明後日、いや、明日の夜には、瑞穂は死んでいるのだろうか。
死ぬということは、死んだことがないから想像もつかない。
けれどこれから先の十五年を、一瞬で終わらせてしまえる手段であることだけは分かる。
なら、『死ねるように祈りましょう』――そうしなきゃな、と瑞穂は思った。
瑞穂は一刻も早く、このどうしようもない世界に別れを告げたいのだ。
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