第5話 緊急退避

 空間が白という無色に埋め尽くされた。

 網膜がどうにかなりそうな白だ。


 ドローンが爆発したのだ。

 これで、煙幕はもう少しの間僕たちを隠してくれている筈である。

 おそらく、きっと。




 ああ、一難去った。

 去ったか?


 去っていてほしい。

 なんなら万難が排されていてほしい。



「はああああああああああぁぁぁぁぁ」



 と、ため息とともに全身の力が抜ける。

 一緒に張り詰めた筋肉も揮発していく。

 自身の身体の表面に柔らかさが戻ったような気がした。


 もう一度ふぅっと息を吐き、視線を下に落とす。

 周囲に不自然な音は鳴らない。まだ増援は到着していないようだ。


「すうぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 吐いた後は吸う。

 自然の摂理である。

 まだゴールじゃない。

 僕は見失ってない。目的達成まであと少しなのだ。


 煙幕のなか粉の山になった階段前の空間を一歩ずつ進む。

 粉埃を被った金属の塊は、すぐに見つかった。


 転がっている金属の塊、もとい防火扉だったものは先ほどの戦闘に巻き込まれてもなんとか吹き飛ばずにいてくれたらしい。

 最初位置からそう離れていない場所に転がっていた。


「………生きてるか?」


 一応確認しておく。十中八九生きているだろうが、防火扉が小籠包みたいに拉げているのを見るとつい不安になる。

 具がミンチになっていると困るのだ。

 せめて粗挽きであってほしい。


「………生きてる」


 ああ!

 ああ!!

 美作の声だ!

 生きてる!

 生きてるって言った!!

 美作が!!!美作が!!!


「でも出られないの。ちょっと手伝って」

「あ、ああ…」


 美作の声で内心お祭り状態の僕とは対象的に、美作自身はなんだか思いの外冷静な様子である。

 戸惑いつつも、鉄餃子を開くのはまあそれほど難しくはなかった。

 ぐにゃぐにゃに変形した鋼の塊の中に手を挿し込み、無理矢理こじ開ける。

 分厚い鉄の筈が、硬めの粘土みたいに簡単に曲げられる。

 この肥大した腕の中身はいったいどうなっているんだろう。

 先程までは目の前の事象に対処する事で精一杯だったが、落ち着くと色々と気になる所がある。気になる所というか、おかしなところがある。

 おかしな所が山程ある。


「ありがと」

「おお」


 鉄の中から黒く光を反射する人型の異形いぎょうが頭を覗かせた。

 散々餃子だ小籠包だと言ってきたが、こうして見てみるとどうだろう。

 大きな真珠をたたえる黒蝶貝クロチョウガイの彫刻のように思えてならない。


「なあ、み」

「こっち来て」

「え?」


 貝のオブジェからにゅるりと出てきた美作は、そのままの流れでまっすぐ歩き始めた。

 顔は見えないがわかる。こちらに一瞥もくれていない。


「どこに…」

「こっち、早く」


 女子トイレだった。

 うわぁ、初めて入った。

 そういえば、散々戦っていた場所がトイレの真横だった事を思い出す。

 個室だけが並んでいる圧迫感が凄い。壁とドアのせいで空間が異様に狭く感じる。本当にここは、僕が知るあのトイレなのか?

 内心謎の罪悪感に苛まれながらも、それに抗う権限は生憎持ち合わせがない。

 勝手知ったると言わんばかりの堂々っぷりでトイレの中を突き進む美作の後ろに黙ってついて歩くしかないのだ。

 許されたい。

 誰にだ?

 誰かにだ。


「ここ、入って。早く」


 急かされるままに、一つの個室に押し込まれる。

 美作も同じ個室に。

 もう返事すら返していない。

 違うのだ。

 流石に予想外の展開なのだ。

 僕は誰に言い訳をしているのだ。

 誰かにだ。


 美作が深呼吸をする音が、狭い個室から他の雑音を押し流してゆく。


 ほんの数秒そうした後、美作は黒真珠のようなその頭をこちらに向けた。

 ぐるりと。


 目と目が合う。


 ような気がする。


「物部だよね……??」


 確信に確証が与えられて、喉がきつく締まったような感覚が込み上げてきた。

 鼻の奥が熱い。

「あぁ」とか「おぉ」とか、そんな間の抜けた返事になった事については深く考えないことにする。


「助けてくれてありがとう。もうあそこで終わるんだって、半ば諦めてたよ」

「…助けになったんなら何よりだ」

「私の命の恩人になっちゃったなぁ」


 いたずらっぽい笑い声と一緒になって、黒真珠がころころと溶け始める。


「お前が逃げる前に、一回話しときたくて」

「え、それだけの為に追いかけてきたの?」

「そうだけど」

「……そっかぁ」


 溶け落ちた頭の中から、見慣れた笑顔が覗いた。

 首から下を見なければ昨日までの見慣れた風景だ。

 背景も除外せねば社会的に死ぬが。


「でも、何だろうな。こうやっていざ目の前にしたら何話せば良いのかわかんないな」

「なんでだよ。さっきの授業までは普通に喋ってたでしょ?」

「だからこそだろ。お前が急に別世界の人間になったみたいだ」

「また大げさな」


 美作の身体が崩れ始める。

 崩れ始めるというと崩れ落ちているようだが、全身の装飾のような部位が床に落ちることはない。

 どちらかと言えば、形状記憶合金を加熱した時の挙動を思い出す不気味さを感じる。

 液状化した漆黒と表裏入れ替わるように段々と見慣れた制服が顕現する。

 赤いネクタイ。

 白いブラウス。

 紺のブレザー。

 の、隙間に向かって黒が収縮していく。


「ヴィランのそれってそういう風になってたんだな」

「なんだよ、見んなよ乙女の着替えをよぉ」

「じゃあせめて見せない努力をしろ」


 もうすっかり、見慣れたいつもの美作である。

 未だに目を疑うというか、もしかして僕は夢でも見ていたんじゃないかと思い始めている。

 脳を疑っている。


「で、だ」

「ん?」


 美作がどこからともなくビニールテープを出してきた。

 本当にどこから出したんだ。

 変身の次はマジックか?

 もしかして変身もマジックか?

 と脳内で右往左往していると、美作はやはり何の迷いも躊躇いも無く自分の両足首をテープでぐるぐる巻きにし始める。


「えっ」


 面食らう僕には目もくれず、どうにも慣れた手つきで今度は僕の足首を固定し始めた。

 絵面が最悪である。


「ああ、そういうことか」


 流石に気づいた。

 美作はつい先程、『トイレに人質がいる』とかいうとんでもない脅し文句をぶち上げていた。

 人質をとっているのが嘘だというのはすぐにわかったが、わかったからこそ何故そんな嘘を宣ったのか意味がわからなかった。

 何故わざわざ罪を重くするようなことを…、と。

 

 逃げる方法を模索する一方で、捕らえられた生徒として誤魔化す案への布石も打っていたという事になる。


 ………もしかして僕要らなかった?

 ………美作一人でどうにかできた?


 いやいや、今更考えたってどうにもならない。

 考えるだけ無駄なことは考えないに限る。

 父もよく言っていたじゃないか。


「どうしたら良いか、口で言ってくれよ」

「時間が惜しい。その無駄に出来の良い脳みそをフルに使って察しまくってくれ」

「世の中、無駄なものなんて何も無いんだぞ」

「あら良い世の中だこと」


 やけにシニカルな美作である。

 それはそうと、無駄ではない出来の良い脳みそで察しまくった僕が次にやるべき事は何か。


(まあ、こういう時は真似すれば良いよな)


 僕は美作の手からビニールテープを取り、自分の手首に巻きつけ始めた。


「え、ちょっと」

「ん? どうした美作?」


 何か違ったか?

「頭大丈夫かこいつ?」みたいな顔でこちらを見上げる美作の顔がかわいいが、顔がかわいいのはこの際どうでも良い。

 僕は空気を読みに読んで、美作がやったのと同じように手首にビニールテープを巻きつけただけだ。


「いやいやいや、物部。今そんなボケるタイミングじゃないからね」

「何がだよ、僕はTPOを守る男だぞ」

「TPOとかそういう次元の話じゃないけども」

「TPOに次元とか無いだろ。常日頃、常時発動タイプの対人スキルだぞ」

「いや、そういうの良いから」


 つれない返事だ。

 いつもならここから軽口のラリーが始まるはずなのに。

 これはよほどの事態である。TPOを間違えたかもしれない。


「いやだから、TPOとかでは無くてね」


 美作は、それはもう呆れた顔で、なにを当たり前の事を説明させるんだと言う顔で言った。


「そのヒーロースーツ、早く脱ぎなよ」


 ん? ヒーロースーツ?


 何を言ってるんだと、改めて僕自身を見下ろした。

 そういえば、戦闘が終わってからこっち美作を眺めてばかりで自分の肉体の事を忘れていた。


「ヒーロー殴り飛ばしたカッコのままトイレに縛られる気? 2回戦とかごめんだよ」




 僕の体は、シンプルかつ超絶かっこいいヒーロースーツに包まれていた。




 レザー調の化学繊維っぽい布に覆われ、至る所に硬質の装飾だか防具だかわからないものがついている。

 緋色地にアイボリーホワイトのラインはなかなかに趣味の良いカラーリングじゃないだろうか。





 そういえば、いつ着たんだったっけ?

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スーパーヒーローシンドローム 湯屋街 茶漬 @monaka_tya3ke

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