思いが届くまで

@Aoiumino

第1話

 八月下旬はいえ、まだ夏の暑さが厳しい日曜の体育館。


 悠斗は、ひたすらにボールを追いかける選手たちの姿を眺めながら、無感動に用具を磨いていた。


 ボールが体育館の床に何度も叩きつけられて、ぼやっとした思考に鈍い音が響く。


 部活に全てを注いだ青春。県内でも屈指の強豪バスケ部に入部し、毎日バスケのことだけを考えて努力してきた。


 そんな日々は、練習中のほんの些細なプレーで崩れ落ちた。足首の怪我だった。


 練習が終わり体育館全体の整備を始める。悠斗も同じように作業に取り掛かるが、誰とも話さず黙々と手を動かす。


 他の部員たちも重苦しい空気に圧されて話しかけようともしない。


 整備が終わると悠斗は一人で家へ帰るのが定番になっていた。


 家の近くの中学校を通りかかった時、反対側から見覚えのある制服を着て自転車に乗ってくる人の姿があった。


 悠斗は嫌な予感がして視線を落とす。しかし、すでに遅かった。自転車は悠斗の横で止まると、そいつはゆっくりとこちらに近づいてきた。


「あれ、悠斗じゃん。久しぶりー」


 どこか浮ついた感じの口調に嫌気が差す。声の主は、中学時代に同じチームでプレイしていた孝太郎だった。


「そういえば聞いたぜ、怪我したんだってな!」


 明らかに悪意のこもった声音に悠斗は内心でため息を吐き、無視して帰ろうとする。


「おいおい待てよ。都合が悪くなったからってまた自己中プレーか?こんな様子じゃ、チームメイトもお前が怪我して喜んでるかもな」


 孝太郎は手を叩いて笑う。


 孝太郎がどうしてここまで敵意を持って接しているのか、悠斗はわかっていた。


 中学時代、悠斗は自分一人の力で得点を取ることにこだわり、実際それが勝利につながることは多かった。


 悠斗は真剣にバスケに向き合った結果としてのプレーのつもりだったが、それをチームメイトが快く思うかは別だ。


 それが原因で影では自分が嫌われていたことも知っていた。


「もう関係ねえだろ」


 嫌な記憶を振り払って歩き出す。


「そうだな。コートに立てないお前には関係ないか。今年の全国はうちがもらったわ。お前は指咥えてベンチで眺めてろよ」


 背後から追い討ちをかけるように孝太郎の言葉が刺さる。悠斗は逃げるように足を速めた。


◇ ◇ ◇


 翌日、いつも通り部活は始まった。


 蝉が耳障りなほどに鳴いて、じめじめとした空気に鬱憤は積もっていく。ボールが転がっていけば集めて、練習が円滑に進むように勤める。


 自分の気持ちも知らないで練習に取り組むチームメイトを見ると、羨ましくて、悔しくて、本気でバスケに取り組んできたからこそ、悠斗はその場にいるのが辛かった。


 呆然とゴールに吸い込まれていくボールを眺めていると、足元に別のボールが足音と共に転がってきた。


「すいません、先輩……」


 後輩の和弥だった。練習中はあえて見ないようにしていた相手。


 悠斗が怪我をしたのは、練習中に和弥と接触したことが原因だった。お互い本気でプレーした結果。だからといって悠斗は簡単には割り切れなかった。


 医師から大会に間に合わないと言われた瞬間は、鈍い衝撃が頭から体中に広がっていった。それからは嫌でも和弥のあのプレーがなかったらと考えてしまう。


 悠斗はできるだけ自然にボールを返した。


「ありがとうございます。先輩……」


 和弥はやはり申し訳なさそうな表情を見せていた。怪我のことならもう十分謝ってもらっていたので、複雑な気持ちだった。


「ほんと、すいません……」


 自分はボール拾いをしている中、チームメイトの練習を見ているだけでも鬱憤が溜まっていた悠斗は、どくどくと心拍数が上がるのを感じた。


「もういいって。謝ったって怪我が治るわけじゃねえだろ。早く練習戻れよ」


 ふつふつと湧き上がってくる怒りを必死に沈めて、悠斗は歩き出そうとする。和弥はどうしたらいいのかわからないという表情でその場に立ち止まっていた。


「でも……」


 悠斗は落ち着きかけた感情が再び暴れ始めるのを感じる。自分が子供なのはわかっていても、抑えることができなくなっていた。


「なんで俺なんだよ……。お前があんな場面で突っ込んでこなければ……」


 悠斗は必死に声を抑えて苛立ちを噛み殺すように言った。


 しかし、一度溢れてしまった言葉は、悠斗の意志とは関係なしに次々と流れ出ていく。


「なんで俺がお前らの世話係なんかやらなきゃいけねえんだよ!俺はコートに立ってバスケしてるはずだろ!ふざけんなっ!」


 悠斗と和弥の間に流れる異様な空気に気づいた部員たちが集まってくる。


「そんなふうに思ってたのかよ悠斗」


 間に入ったのは部長の俊だった。


「当たり前だろ。こいつのせいで高校最後の大会が終わったんだぞ?」

「和弥のせいじゃねえよ。お互い本気でプレーした結果だろ」

「本気でプレーしたら怪我させていいのかよ!何で俺だけ……。本気でプレーしてたんなら俺の気持ちわかるよな!?」


 違う。本当はこんなこと言いたいんじゃない。


 悠斗は内心で自分を嘲笑いながらも、震え出す心を誤魔化すように感情に任せて和弥に掴みかかる。


「練習見ててもうんざりするよ。俺がお前だったら何本決めてるかってさ……。お前の消極的なプレーがずっと気に入らなかったんだよ」


 俊が強引に悠斗の服を引っ張って和弥から離させる。


「それは今関係ないだろ。それに和弥が……」

「うるせえな、もういいわ。監督に頼まれてたからマネージャーなんかやってたけど、やってらんねえ」


 悠斗はコートに背を向けて歩き出した。


 少しして、電話の対応で体育館を空けていた顧問が戻ってきて、俊や和弥たちは練習を再開するしかなくなった。


 悠斗はそれから練習に顔を出すことなく、チームは重たい空気を抱えながら予選を迎えようとしていた。


  ◇ ◇ ◇


 夏休みが終わり、学校が始まっても悠斗は部活に顔を出さなかった。


 練習を途中で抜け出したあの日。家に帰って冷静に考えれば考えるほどみんなにどんな顔を見せればいいのか分からなかった。


 顧問には少しの間休むと言ってあるが、悠斗に戻る気はほとんどなかった。


 そうして過ごすうちに、初めは悠斗を呼び戻そうとキャプテンの俊や部員たちが教室を訪ねてきていてが、予選が始まれば次第にそれも無くなっていった。


 一度負けたら終わりの試合で余計なことを考えている暇はないはずだ。悠斗にとってもそれは気が楽になることだった。


 それでも俊からは毎日携帯に連絡があった。試合がある日には必ず結果と、どんな内容の試合だったかが送られてきている。


 結果自体はクラスメイトを通じて勝手に耳に入ってくるが、試合の内容が気になって悠斗は毎日連絡を見ていた。


 六年連続で突破している県予選。先輩たちから続く記録を途絶えさせるわけにはいかず、部員たちには相当な重圧が伸し掛かっている。


 そのプレッシャーが足枷になっているのか、トーナメントを勝ち進むごとに相手チームと得点を競り合う試合が増えていた。


 周囲の評判では毎年決勝でぶつかるライバル校の調子が良いらしく、ついに王者が入れ替わるとまで噂されていた。


 準決勝にいたってはほとんど主導権を握られ、相手チームのミスがなければ負けてもおかしくなかった。


 悠斗は気づけばバスケのことを考えていて、チームが苦しんでいる状況を歯痒く思う自分が惨めに思えてきた。


「もう忘れさせてくれよ……」


 ——明日が決勝。みんな待ってる。


 俊からのメッセージが映る携帯をベッドに投げ捨てて悠斗は横になった。


      ◇ ◇ ◇


 早朝に目が覚めた。悠斗は誘い出されるように散歩へ出かける。透き通る空気はざわつく心を鎮めて

思考を明瞭にしていく。


 眠る前も、起きてからも、今でさえもみんなのことを考えている。


 かなり長い時間歩いた。見えてきたのは隣の市にある体育館。全国大会への切符をかけた決勝の舞台がここだった。


 ずっと観にきていいのか悩んでいた。結果がどうであれ自分のいなくなったチームが導き出した答え。


 逃げ出した自分に応援する権利などない。だからこそ最後に結果を見届けたかった。自分は不要なのだと諦めがつくように。


      ◇ ◇ ◇


 観戦席には誰にも気づかれずに上がることができた。すでに両チームの選手がアップを始めていて会場の熱気は高まり始めていた。

 

 しかし、会場の空気がこれまでと明らかに違う。今年こそ王者が入れ替わるという、勝手な憶測と期待の入り混じった異様なプレッシャーを悠斗は感じた。


 コートに立っている選手たちなら尚更だろう。


 そのせいか相手選手のプレーのほうが幾分、力強く見える。そのうちの一人。一際目立ったダンクを決める選手が、中学時代悠斗と同じチームだった孝太郎だ。


 孝太郎のプレーを目で追っていると動悸が激しくなる。


今考えれば、いつか孝太郎に言われたようになってしまった。自分勝手な自己中プレー。


「なんも変わってなかったわ……」


  悠斗は逃げるように視線を逸らした。


     ◇ ◇ ◇


 アップを終えた選手たちがベンチからコートへ並ぶ。熱気に包まれた会場が静寂に包まれ、試合が開始した。


 前半戦はやはりこれまでの試合のように調子が出ず、相手の攻撃力に必死に食らいつくので精一杯だった。


 選手たちの表情も険しくリードされる展開が続く。


 インターバルを終え、第3クォーター。交代で出てきた選手に悠斗は驚いた。


 コートに立っていたのは和弥だった。悠斗が見ていた限り、この重要な場面で出場できるほどの実力はなかったように思われる。


 監督の意図が読めない悠斗だったが、その疑問は直後には無くなっていた。


「いくぞっ!」

「「「「しゃーーーーっ!!!」」」」


 一年生の和弥が先頭に立っていたのだ。その表情は自信に満ち溢れていた。


「別人じゃんかよ……」


 和弥の控えめな性格からは考えられない覇気。その変化はプレーにも現れていた。


 試合が再開する。和弥はスリーポイントラインでボールを受け取ると、針の穴を通すようなドリブルでゴールへ迫る。


 最後は強引とも言える姿勢で、相手選手にぶつかりながらも得点を奪い取った。和弥の拳が天井に伸びる。


「あれ、あんなすごい選手いたっけ?」

「たしかエースの人は怪我してるって聞いたけど……」


 周囲の観客もざわつき始める。


 他の部員たちも和弥のプレーに活気付けられ、動きのキレが良くなっていた。


 その後も和也を中心に得点を量産し、気づけば同点まで追いついていた。

 

 第3クォーター終了。完全に流れは変わり始めていた。

 

 悠斗は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。同時に試合を観に来れて良かったとも思う。


 その肩を誰かが掴んだ。


「さすがうちの新エースだろ」

「え……」


 振り返るとそこにはキャプテンの俊がいた。


「あいつずっとお前のプレーに憧れてたんだぜ?知らなかっただろうけど、和弥は一番最後まで体育館に残って練習してたよ。お前に情けない姿見せないために」


 初めて知った事実に頭を殴られたような衝撃を受けた。淡々と語る俊のせいでいろいろな感情が余計にごちゃ混ぜになる。


 同時に自分の言動がどれだけ身勝手で、和弥を侮辱していたか思い知る。


「なら、なおさら俺にできることはないだろ」

「あるよ。お前の背中を見て和弥は育ったんだ。最後にもう一回気合い入れてやれ」


 悠斗は俊に手を引かれ、されるがままベンチへ連れていかれる。


「俺メンバーに入ってないだろ」

「何のために後輩がベンチを一つ空けといてくれたと思ってんだよ」


 俊が指差した先の観客席では、メンバーに入っていない後輩たちが手を振っていた。


「なんで俺なんかのために……」


 ベンチが見えてくると悠斗は放り出されるような形で仲間の前に立つ。みんなの表情は笑顔だった。


 今まで一番近くにあったのに気づかなかった。チームメイトの優しさに悠斗の体は勝手に動く。


「すいませんでしたっ!みんなの覚悟を踏みにじるようなこと!なにより、和弥の努力を馬鹿にしたこと!」


 仲間たちから笑い声が聞こえた。


「戻ってくんのがおせーよ!」

「そんで、悠斗は何しにきたんだ?」


 許して欲しいなんて思っていなかった。ただ、最後まで一緒にプレーしたい。


 そんなどうしようもないわがままを聞こうとしてくれる仲間に、溢れ出る感情のまま悠斗は声を出していた。


「みんなと、もう一回バスケがしたいです!自分勝手なのはわかってるけど、最後まで一緒に戦わせてください!」


 ゆっくりと頭を上げる。目の前には和弥がいた。


「先輩がいなきゃチームじゃないですよ。一緒に全国行きましょ!」

「和弥……ありがとう!」


 全員が再び一つになり円陣を組む。監督と俊の掛け声とともに全員が声を張り上げた。


「「「「「しゃーーーーーっ!!!」」」」」


 選手たちの表情は明らかに前向きなものに変わっていた。悠斗もベンチからできる限りの声援を届ける。


 最終クォーターが始まった。俊や和弥の気迫のこもったプレーは続く。それでも県内有数の強豪校となれば、簡単に攻め切ることはできない。


 一進一退の攻防は続き、試合終了を意識し始める時間帯。和弥が相手のパスをカットすると、稲光のような素早いドリブルでディフェンスを突破する。


 目にも止まらぬスピードで駆け抜けるその力強さと技術は、和弥の日々の努力が如実に表れていた。


「和弥!決めきれっ!」


 体制を崩しながらも放ったボールはリングに吸い込まれ、ついに同点に追いついた。


 会場の熱気は最高潮に達する。どちらが勝ってもおかしくない状況。


 相手のボールで試合が再開される。残り時間は僅か。おそらく次のゴールが決め手になるだろう。


 極限の状態の中でも相手の攻撃は隙がなかった。丁寧なパス回しから簡単にゴールを奪われてしまう。


「切り替えっ!」


 試合終了まで残り十三秒。泣いても笑ってもこれが最後だ。


 パスを受け取った和弥は低い姿勢から相手コートへ駆け抜ける。しかし、ディフェンスに徹した相手を突破するのは厳しかった。


 シュートモーションに入るもあまりに強引でわかりやすいプレーに相手は簡単にブロックに入る。


「俊っ!」


 しかし、和弥はそれを見越していたかのように倒れ込みながらスリーポイントラインの外側にいる俊へ強烈なパスを出した。


「行け……」


——ばしゅん!


 俊がボールを受け取った瞬間、会場は一瞬の静寂に包まれる。


「行け……!」


——きゅっ、すたっ……。


 滑らかな動きで跳んだ俊の手から、優しくボールが放たれる。


 美しい放物線を描くその軌道を、会場にいる誰もが確信を持って追っていた。


——ビーッ!


 試合終了のブザーと同時にボールはネットに吸い込まれる。


「勝った……」


 逆転のスリーポイントシュート。落下したボールが地面を叩き、会場は歓声で溢れかえった。


 全員が拳を空に突き上げ、喜びを全身で表現する。


「しゃああぁぁぁーーーっ!!!」


 それは悠斗も例外ではなかった。


 間違いなく全員で掴んだ勝利。全員の強い思いが繋がった証だった。


◇ ◇ ◇


「「「「「ありがとうございました!」」」」」


 挨拶を終えて悠斗たちは再びベンチで試合を振り返る。


「今日は大活躍だったな和弥」

「ありがとうございます!先輩たちのおかげで思いっきりプレーできました!」

「エースもそろそろ交代か」


 他の部員が茶化して笑い合う。


「それに、最後の場面でパスを出せる冷静さは悠斗にはないよな?」


 みんな納得したように頷く。悠斗もその自覚はあったので何も返す言葉がなかった。


「でも、自分はいらないなんて言ってたけど。お前が全力でバスケに向き合ってきたから和弥が成長できたんだ。たまに周りが見えなくなる時はあるけど、それがいいところでもあるだろ」


 俊は悠斗の肩に手を置いて言った。


「先輩をがっかりさせないようにこれからも練習頑張ります!」


 和弥は笑って胸を張る。


「そっか……。俺、頑張っててよかったんだな……」

「あれ、泣いてんの?」


 部員たちの中で大笑いが起こる。悠斗は恥ずかしさを感じつつも、喜びを満面の笑みに表して言った。


「ありがとう」


     ◇ ◇ ◇


 みんなと解散して会場を出ると見覚えのある姿があった。


「孝太郎……」

「チッ。とりあえず、俺の負けだわ……」

「俺……」

「謝ろうとしてんならやめろよ。俺はムカついてるけど、お前がバスケに全力だったことは知ってる。悪いのはお前を言い訳にしてた俺のほうだ」


 頭を掻いて孝太郎は続ける。


「大学でもバスケやるんだろ?」

「ああ。今日また覚悟が決まったよ」

「だったら早く怪我治して練習しとけよ。次は絶対勝つ」

「俺も負けねえから」

「じゃあな」


 孝太郎はそれだけ告げると去っていってしまった。


 抑えきれない高揚感に包まれながら悠斗は空を見上げる。本気で仲間と向き合えたのは本当に久しぶりな気がした。


 繋がる思いはきっとまた、誰かを支え、誰かを救い、誰かを勇気づけるだろう。


 この強い思いがあれば悠斗は何度でも奇跡を起こせると思った。


 もう二度と諦めたりしない。この思いが何度でも仲間に届くまで。

 

 


 

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