織姫、再び〜文学喫茶オムレット2.5〜
松浦どれみ
織姫、再び
「申し訳ございません、まだ開店前で——!」
日曜日の開店前。文学喫茶オムレットでは開店準備をしていた愛理が、店の入り口の板チョコレートのようなドアをノックする音に気づき、ドアを開けた。
週末は開店時間前に来店する客がいるため、いつものように頭を下げ、開店時間を伝えようとするが、目の前にいたのは客ではなかった。
「愛理! 久しぶり!」
にっこりと笑顔を見せ右手を上げているのは、自分とあまり年齢は変わらないであろう容姿の、おそらく気が遠くなるほどの年上の女性。約一ヶ月前、七夕の前日に藤崎が川から拾ってきた女性、織姫だった。
「お、織姫さん? 牽牛さんと天の川へ帰ったんじゃなかったんですか?」
愛理は目を見開き、驚きの表情で織姫を見つめた。拾ってきた張本人の藤崎はその場にいなかったため信じてくれなかったが、彼女は確かに夫の牽牛と共にマンションの七階から牛車に乗って空に帰ったのだ。愛理と同居している真白もその様子を一緒に見届けている。
なぜここにいるのかと訝しげな顔をしている愛理の考えを察したのか、織姫が口を開いた。
「この地域は今日も七夕でしょう? だから休みをもらって下界に降りてきたの」
「ああ、なるほど……」
納得できるようなできないような、そんな感覚で愛理は曖昧に相槌を打った。確かにこの地域では、七夕は八月七日となっていて、これから夕方近くになれば「ろうそく出せ」なる子供たちが蝋燭ではなく菓子をねだり、各家庭や時には店すら餌食にするイベントがあると先日藤崎に聞いたばかりだった。
本当に子供たちに蝋燭を渡すとその場の空気が凍りつき、シラけるらしい。近年大規模コスプレイベント化したトリック・オア・トリートとはまた別なのだろうかと、昨日は真白とネットで調べて晩酌のネタにしていた。
愛理が昨晩を思い返し若干遠くを見つめていると、織姫が興味を引こうとしたのか愛理の顔を覗き込み、身振り手振りをつけて大袈裟に話し始める。
「ほら、私たち夫婦って、年に一回七夕の日しか会えないじゃない? やっぱり寂しいのよ。この前下界に落ちた時に地域によって七夕の日が違うと聞いていたから、帰った時に休みをくれと直談判したの」
「へえ……許可してもらえたんですね。良かったですね」
天界も意外と融通が効くものだと愛理は感心していた。その少し呆けた顔を見て、織姫が息を小さく吐いて微笑した。
「まあね。だからこれからは七月七日に天の川デート、八月七日は下界でデートよ。今日のために下界風の服も作ったの」
織姫が着ていたのは、まるで今日の快晴の空を切り取ったような、水色のシャツワンピースだった。夏らしい半袖で、白いサンダルを合わせている。いかにもこれからデートといった姿だ。さすがこの道一筋のベテラン服職人だとまたも感心した。そして、今日のためにここまで準備した彼女に笑顔でエールを送る。
「素敵ですよ。きっと牽牛さん、織姫さんに惚れ直しちゃいますね」
「そうかな? あ、そろそろ行かなくちゃ。ケンを待たせているの」
織姫は愛理の笑顔に満面の笑みを返し、手を振って人の流れに溶け込んでいく。
「後でお店に寄るわね! いってきまーす!」
愛理はいつしか恋人たちや夫婦の愛し合う様に幸福感を覚える人間になっていた。いや、安堵かもしれない。自分が掴むことのできなかった、壊れてしまったものを一瞬記憶の箱の中から呼び起こしてしまい、慌てて箱の中へ仕舞い込んだ。
もう織姫はこちらを見ていないが、改めて笑顔を作って小さくなった背中に向けて声をかけた。
「いってらっしゃい。楽しんでくださいね」
愛理は消えていく織姫の背中へ手を振って見送り、完全に姿が見えなくなってから店内へ戻った。
>>終わり
最後まで読んでいただきありがとうございます!七月七日に公開した、関連作もよろしくお願いします(^^)
【笹の葉、銀河、マンネリ夫婦〜文学喫茶オムレット2〜】
織姫、再び〜文学喫茶オムレット2.5〜 松浦どれみ @doremi-m
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