大事なうちの子

 隣人はその月の内に退去していなくなった。夫は不思議に思ったようだが、深く気にすることもなく忘れて行った。

 亜理紗の傷はきれいにふさがり、我が家に日常が帰って来た。

 わたしは知らなかった。隣人の前職が電気技師であったことを。


「また来てるわ」

 三か月後のある日、わたしはベランダを見て呟いた。

 最近ムクドリがやって来る。なぜか我が家だけに。

「あの機械は使ってるよね?」

 超音波撃退機のスイッチは再びオンにしてある。

「管理人には連絡してあるから、市の方で対策はしてくれるはずだ」

 だが、何をしてくれるというのか? 巣を探して撤去するとか、ベランダにネットを張れと指導してくれるとか?

 毒団子を巻いてくれることはないだろう。

「ゴン!」

 一羽のムクドリが窓ガラスにぶつかった。

 空にはムクドリの群れがこちらに来ようと円を描いている。

「どうして……?」

 髪を掻きむしって外を見ると、眼下の公園に黄色い帽子が見えた。

「あの人?」

 黄色い帽子を被ったかつての隣人は、双眼鏡を目に当ててこちらを見ていた。


「超音波撃退機が効かなくてお生憎あいにくね」

 女は黄色い帽子の下で呟いた。

「太陽電池のパワーくらいじゃ、たかが知れてるのよ」

 女は公園の公衆トイレから電源を取り、パラメトリック・・・・・・・スピーカー・・・・・をトイレの屋根に取り付けていた。 

 規則的に並べた多数のスピーカーはそれぞれが超音波を発することで、まるでレーザーのような超指向性の音波を発信する。

 超音波である以上人間の耳には聞こえないが、ピンポイントにターゲットまで届けることができるのだ。

お宅の窓に・・・・・・照準を合わせてあるわ」

 窓ガラスに当たった超音波は、ガラスを振動させて反射する。撃退機の超音波より数倍強く。

 女はマンションを退去して以来、毎日ムクドリに餌付けをしてきた。マンションの遠くから徐々に近づきつつ。

「カラスはね。ムクドリの天敵なのよ。カラスがいなくなったら、そこはムクドリの縄張りになっちゃうの」

 餌を与えるとき、女は超音波を発信させていた。その音を聞けば餌がもらえると教え込むために。

「お食事の歌が聞こえているのに、餌がもらえないなんて。かわいそうな子たち」

「Gyaaa!」

 体に似ず大きな声で、ムクドリは叫びを上げる。二匹、三匹とガラスにぶち当たってベランダに落ちた。

「あなたがいけないのよ。大事なうちの子・・・・・・・に手を出すからよ」

 女は黄色い帽子を脱ぎ捨てて歩み去った。


 空を黒くするほどのムクドリの群れが、我が家の窓を突き破って飛び込んできた。


(完)


――――――――――

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

本作は「カクヨムコン8」短編部門/現代ドラマ・ホラーにエントリーしております。


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大事なうちの子 藍染 迅@「🍚🥢飯屋」コミカライズ進行中 @hyper_space_lab

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