第9話 津島修治と太宰治
(中略)ざまあみろ! 銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。【完】
底本:「走れメロス」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年7月10日発行
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老舗の三代目の馬鹿社長のように、生まれた時から『ボン』と呼ばれ、崇め奉られ、大抵の我儘は聞き入れられて育った幼稚な大人。
それがイエス・キリストの本性なのだと暴いたのは、ユダでした。
自由と博愛を説くイエスの信奉者が増えれば増えるだけ、国家を統治する側の人間は脅威に晒される。
税を取り立てられ、貧困にあえぐ民人に「不公平だ!」などと、クーデターでも起こされた日には、自分たちの命に関わります。
そのため、権力者たちはイエスの居場所を探していました。
とっ掴まえて、政府への反逆者として処刑するために、です。
その権力者たちに『駆け込み訴え』、イエスの居場所を密告したのが、元は商売人のイスカリオテのユダ。彼もイエスの側近中の側近でした。
この小説の面白さは、たった銀貨三十枚で教祖を売った裏切者として、ある意味名高いユダがなぜ、そんな暴挙に出たのかを書き綴られているところ。
裏切り行為に違いありませんが、なぜユダはイエスを見限ったのかが書かれている。
このクエスチョンマークにより、読者はWeb小説としても紙媒体の本としても等しく感情を揺さぶられ、考えさせられ、独白者の正体が最後の一行で明かされるエンターテイメント性にも
この作品の背景にあるのは、作者の太宰治の成育歴です。
太宰は青森県の金木町の大地主の家に産まれました。
金木町は、津島家(太宰の本名:津島修治)を中心にして道路の整備、病院、銀行、商業施設、学校などが作られたと謳われたほどの名家です。
津島家は、田畑を貸している小作人から小作料を取り立て、莫大な財を成していた。
少年時代の太宰は自分の同級生の親たちが、自分の父親にへいこらするのが堪らなく辛かったと、随筆などで繰り返し書いています。
かといって、小作料を取り立てなくては自分たちの生計は成り立ちません。
つまり、津島家に産まれた人間は、小作人のように汗水垂らして働かなくても、小作人から搾取することで贅沢三昧できたわけです。
太宰は小作人から搾取する津島家を
彼は、生活のために働きたくはなかった人です。
本人がそのように書いています。
代々、それが許されてきた津島家の人間としてのプライドがある。
この小説では、ユダの訴えが二転三転しているのも、搾取する側の津島修治と、される側の太宰治の葛藤があるからなのでは。
私は、そのようにして読みました。
つまり、津島修治はイエス・キリスト。
太宰治はユダなのです。
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