第7話 前頭葉と後頭葉の比率の変貌

私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のようによくが無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯ためたっても、すぐにそれを一厘いちり残さず、むだな事に使わせてしまって。けれども私は、それを恨みに思いません。あの人は美しい人なのだ。私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精神家というものを理解していると思っています。だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。


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 だけど、そんなにイヤなら転職すればいいのにとか。

 つまり、所属している新興宗教団体から離脱すればいいのにと、思いますよね。

 ですけれど、ほんとにイヤでも安易に転職できますか? そのから離脱なんてできますか? しかも所属団体からの離脱は、挫折感にも直結する。

 恐いですよね。

 だから、多くの人はイヤでも踏みとどまろうとするでしょう。この小説の『私』のように。

 

 そして何とか活路を見い出そうと模索する。


 能天気で他力本願の『あの人』を、美しい人だと持ち上げてみたり。

 こんなに尽くしているはずなのに、感謝の言葉もかけてくれない。感謝どころか、金策に走れば走るほど『金に小汚い商人』などと見下されると、嘆いてみたり。


 そもそも信仰宗教の教祖様は、日々の生活の糧といった日常生活全般に関わることが大嫌い。働く気なんて、さらさらないし。

 人にペコペコ頭を下げて稼ぐだなんて『卑しい』ことだと忌避をする。

 なぜなら自分は、教祖であらねばならないからです。


 読み進めると、なんだかモヤモヤしてきませんか?


 訴えてきている方が善人で、殺してくれとまで言い切った『あの人』方が悪人にさえ、思えてくる。

 

 後頭葉よりも、前頭葉の反応が同等ではなく、前頭葉の方が活発になっている。

 つまり、この辺りから寄りに路線が変わる。

 人間誰しもが持っている、承認欲求が、全編を通して主題なんだと、ができる。


 は、前頭葉が司ります。

 Web小説を読んでいたら、文学だった。だからといって現時点では、完全なる文学だとも言い切れません。なぜなら、情景描写が一切含まれていないから。

 

 いつ、どこで、誰が、どんな風にが、全く書かれていないから。

 

 文体だけで鑑みるなら、SNSと同じです。

 SNSの殴り書きを、誰も文学だとは言いません。一時の感情の捌け口にすぎない殴り書きです。


 ここでも太宰は本作を、完全なる文学にまでは昇華させずに描いています。

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