第6話 同時進行
私はあの人に説教させ、群集からこっそり
上記の内容、展開を、かいつまんで書きます。
主人公の『私』は、新興宗教の師である『あの人』が引きつれる信者のひとり。
せっせと布教に励む師や弟子の衣食住の世話は『私』の役目。
なぜなら『私』は商人出身。人との交渉事が得意だという自負がある。
それなのに、感謝されるどころか、寝床と明日のパンのことばかり気にかけて、難しい顔ばかりしている『私』は、師である『あの人』からも、嫌われる。
ケチ(吝嗇)だと言われ、精神性が低いと言われて、
納得いかない。腹立たしい。
だって『私』は他の信者の誰よりも、あなたに尽くしているのに。
それなのに。
といった感じです。
この『駆け込み訴え』では、太宰は改行をほとんどしていない。それが駆け込み感と訴えかけに臨場感を与えます。
Webでは少々、読みづらい。文庫で読んでも読みづらい。ですけど、書かれているのは単純明快な悪口ですから。
読みづらさは、中身の薄さで清算されます。
主人公の『私』が、いくら師や弟子を飢え死にさせない為にもと、
それどころか、金、金、ばっかり言いやがってと渋い顔で見られたり。
だったらテメーでやってみろよ! と、叫んだ場面。
このあたり、三代目のバカ社長のわがままに、
生まれた時から老舗料亭社長の地位を確約された三代目は、周りが自分の世話をしてくれたり、言うこと聞いてくれるの、当たり前だと思わされて育ってますから。概念としても、気持ちの上でも感謝がない。
太宰は聖書をベース(テンプレート)にしながらも、サラリーマンの憂苦を代弁する。太宰が庶民派作家と称される
会社から、へとへとになってこれを読めば、自分の気持ちを、こんなにわかってもらえる歓喜の涙が湧くかもしれない。
脳内には多幸感と快感をもたらす神経物質、ドーパミンが溢れかえっていることでしょう。
この理不尽さを、わかってもらえた歓喜の涙が出そうになるのは、前頭葉が反応するから。
ドーパミンをドバドバ出すのは後頭葉の反応です。
少しずつ、少しずつ、脳は後頭葉と前頭葉が同じひとつの事柄で、同じ反応をし始める。
*聖書うんちく(パンと魚)*
五つのパンと二匹の魚は、神の愛と希望の例。
どんなに些細な愛情でも、隣人の乾いた心を潤し、満たすかもしれない。
やがて、その教えは大群集をも動かす力にもなりうると、イエス・キリストが説いた場面です。
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