第6話 同時進行


私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭さいせんを巻き上げ、また、村の物持ちから供物くもつを取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、はんをいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢ぜいたくを言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調えることが出来るのです。わば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危い手品の助手を、これまで幾度となく勤めて来たのだ。私はこう見えても、決して吝嗇りんしょくの男じゃ無い。それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。




 上記の内容、展開を、かいつまんで書きます。


 主人公の『私』は、新興宗教の師である『あの人』が引きつれる信者のひとり。

 せっせと布教に励む師や弟子の衣食住の世話は『私』の役目。


 なぜなら『私』は商人出身。人との交渉事が得意だという自負がある。


 それなのに、感謝されるどころか、寝床と明日のパンのことばかり気にかけて、難しい顔ばかりしている『私』は、師である『あの人』からも、嫌われる。

 ケチ(吝嗇)だと言われ、精神性が低いと言われて、いやしめられる。


 納得いかない。腹立たしい。 

 だって『私』は他の信者の誰よりも、あなたに尽くしているのに。

 それなのに。



 といった感じです。

 この『駆け込み訴え』では、太宰は改行をほとんどしていない。それが駆け込み感と訴えかけに臨場感を与えます。

 Webでは少々、読みづらい。文庫で読んでも読みづらい。ですけど、書かれているのは単純明快な悪口ですから。

 読みづらさは、中身の薄さで清算されます。

 


 主人公の『私』が、いくら師や弟子を飢え死にさせない為にもと、東奔西走とうほんせいそうしようとも、師からは認めてもらえない。感謝もされない。

 それどころか、金、金、ばっかり言いやがってと渋い顔で見られたり。

 

 だったらテメーでやってみろよ! と、叫んだ場面。


 このあたり、三代目のバカ社長のわがままに、翻弄ほんろうされる社員(私)のぼやきに酷似してます。


 生まれた時から老舗料亭社長の地位を確約された三代目は、周りが自分の世話をしてくれたり、言うこと聞いてくれるの、当たり前だと思わされて育ってますから。概念としても、気持ちの上でも感謝がない。


 太宰は聖書をベース(テンプレート)にしながらも、サラリーマンの憂苦を代弁する。太宰が庶民派作家と称される所以ゆえんです。

 会社から、へとへとになってこれを読めば、自分の気持ちを、こんなにわかってもらえる歓喜の涙が湧くかもしれない。


 脳内には多幸感と快感をもたらす神経物質、ドーパミンが溢れかえっていることでしょう。


 この理不尽さを、わかってもらえた歓喜の涙が出そうになるのは、前頭葉が反応するから。

 ドーパミンをドバドバ出すのは後頭葉の反応です。

 

 少しずつ、少しずつ、脳は後頭葉と前頭葉がで、同じ反応をし始める。



*聖書うんちく(パンと魚)*


 五つのパンと二匹の魚は、神の愛と希望の例。

 どんなに些細な愛情でも、隣人の乾いた心を潤し、満たすかもしれない。

 やがて、その教えは大群集をも動かす力にもなりうると、イエス・キリストが説いた場面です。

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