第5話 臨場感と伏線と

 この小説において、太宰は特に『どこで』『誰が』の要素を徹底的に省きます。

 それよりも『言いたいこと』に重きを置いて書いている。

 言いたいことから読者の視線を逸らさせないため、情景描写をしなかったとも、受け取れます。


 この小説が限りなくWebっぽいのは、背景に黒幕しか張られていない舞台での、ひとり芝居を観るかのように、だというところ。


 凝っているのは、一人称の心情描写。

 気持ちの移り変わりです。


 文体も一行が短く、テンポが良い。ひらがなばかり。

 ですので、この短編はWebで読んでも疲れない。そして、紙媒体の縦書きで読んでも



 こうまでして、イエス・キリストをこき下ろすのは、なぜなのか。

 誰なのか。

 聖書に関するおおまかな知識があるのなら、簡単に目安はつくでしょう。

 なのに、あえて『名乗らせない』。


 私は読みながら『いつ』『それが』どんな演出でもって明かされるのかを、

ワクワクしながら読みました。


 後頭葉を食いつかせるのは、何がいるのかです。それに伴う喜怒哀楽の臨場感。


 前頭葉を飽きさせない工夫は謎かけ、つまり含みを持たせた伏線です。


 太宰は冒頭では、双方への働きかけを交互に行っていましたが、この辺りから脳への働きかけがに変わります。



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