第4話 Web小説でもあり文学でもある小説を書く?

 Web小説は、喜怒哀楽の振れ幅を楽しむためのアトラクション。

 文学は、思索の海に潜水していくダイビング。

 ツールとして用いる目的の方向性が真逆だと、前頁ではそんな風に書きました。ベクトルが真逆であると同時に、感情と思考は、です。



 たとえば、カウンセリングルームで臨床心理士が、躁うつ病のそう状態のクライアントとカウンセリングを行うと、仮定します。


 躁のクライアントは、喜怒哀楽の感情の針が極端から極端に、振り切れてしまいやすい。ワーッと歓喜したと思ったら、何かの拍子に怒り出し、その激高が悲しみにシフトチェンジすると、今度は、自殺衝動にかられるほどに滅入ってしまう。


 普通に何事もなく、フラットな状態ではいられないというのが、特徴です。


 子供の頃、いつも家の中で両親が言い争っていたなど、一日の中で平和で穏やかな時間の方が、少なかったという場合、その人にとって平穏無事な状態が、むしろ不安に直結する。

 その和やかさを、嵐の前の静けさのように恐怖する。



 躁のクライアントと面談するうち、感情が激高し始めたなと感じたら、カウンセラーは、「相手があなたに、そんなことをしたのはどうしてだと思う?」など、思考しなければ答えられない質問を投げかける。


 考える、という行為が前頭葉を活性化させ、理性というを、機能回復させるからです。

 そうして理由をうちに、クライアントは自然に落ち着きを取り戻す。


 逆に、感情鈍麻かんじょうどんまに陥った、鬱傾向のクライアントとの面談では、カウンセラーは、「そんな風にされて、あなたはどんな風に感じたの?」など、感情へのコンタクトを促す質問を少しずつ重ねます。


 というのも、抑うつ傾向のクライアントは、自分の身に起きたことを、感情を交えることなく、する。


 会社で上司にパワハラされたが、言い返せずにうつ病を発症した。子供は泣いたり甘えてきたりと、うっとうしいとから、幼児期は親から鉄製の犬小屋に押し込められた。


 とても知的に、ごく冷静に言い述べる。

 耳を塞ぎたくなるような虐待の体験も、他人事ひとごとのように話すことができてしまいます。


 ですが、躁とは対照的に、理性で感情を抑圧しすぎているために、傾聴する側には、それをされた本人の喜怒哀楽の感情が、ほとんど見えない。伝わってこないのです。



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