第3話 ノリが悪い前頭葉
紙媒体での読書は、後頭葉が知覚した『文字』を、
後頭葉から前頭葉に伝達→前頭葉が受理して考える⇔感情喚起
といったように、文学がWeb小説と異なる点は、文学では思考が先で、感情の喚起は、そのあとになります。
紙で読む場合、後頭葉では情報が『何なのか』という認知がスルーされるので、前頭葉では、最初にそれを処理する必要が出てきます。
上記の⇔の思考と感情の間は一方通行ではなく、行き来していると捉えて下さい。
そして、それぞれの分担のパーセンテージは、
文字の認知(後頭葉10%)→思考と推察(前頭葉50%)⇔ 感情の起伏(40%)
ぐらいというのが、主観です。
文学を読んでいる時も、もちろん感情の起伏はあるけれど、Web小説に比べると、かなりセーブされている。
それは前頭葉で思考し、理解し、判断する時、ヒトは理性という抑制装置を、自動的に起動させるからだと思います。
ケガなどで前頭葉を損傷すると、喜怒哀楽の感情をコントロールできなくなってしまいます。目の前の相手が見ず知らずの他人だろうと、会社の上司だろうと、腹が立ったらぶん殴る。
乱暴な言い方ですが、前頭葉が機能低下すると、そうなります。
認知症でも、そうなりやすい。
ですから、紙媒体で本を読む。
文学を読む時の感情の起伏は、Web小説ほど強烈ではないにしろ、理性という蓋があるせいで、上にではなく下降して、静かで深くなっていく。
つまり、Web小説を読む目的は『あがる』こと。
文学を読む目的は『沈む』こと。
感情が向かう方向性が、真逆です。
その、何となくセーブされてしまう感覚が、読み手と文学の間に、微妙な距離感を生むのかもしれません。
主にWeb小説(ライトノベル)を読む人には、文学全般に、よそよそしさを感じる場合もあるでしょう。こっちが盛り上がってハイタッチしようとしてるのに、文学は答えようとしませんし。
せっかく、皆で感情を共有し合っている。
なのに、ひとりだけ輪の中に入ろうともせず、冷めた目でこっちを見てやがる。
なんかノリが悪い奴。
Web小説にしてみれば、それが文学の立ち位置なんじゃないでしょうか。
文学、嫌いな人は生理的に嫌いなんだろうと思います。
Web小説が嫌いだという人が、そうであるように。
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