第2話 文学は読者から微妙に距離を取る

 対して、文学を読む時の脳の起動推移と、優位性を推論してみます。


 まず、紙書籍の本を開く。

 そこに字が書いてある。それにより、視覚から何か情報が入ったなと、後頭葉が動き出す。後頭葉は、視覚から入った情報が『何であるのか』、認識する役割を担っていますので。

 後頭葉は「あっ、なんか紙に字が書いてある」と、反応する。


 すると、後頭葉はその情報を、そのまんまスルーさせて前頭葉に伝達する。

 言いかえれば、前頭葉に「なんか、紙に字が書いてあるんだけど」と、伝言する。後頭葉の役目は、これで終了。


 だって、紙で本を読む時は、視覚から受けとった情報を『噛み砕いて理解』するのは、っていう、1000年以上培われてきた脳の慣習なんですから。


 それは、会社のシステムと一緒です。

 そういう会社のシステムだというのなら、社員(後頭葉や前頭葉)もそれに準じます。



 そこで、前頭葉は「文字の羅列」にすぎないものを「文章」だと、認知する。

前頭葉は、

視覚や聴覚などから集まってきた情報が「何であるのか」を推測し、

理解するのが仕事です。


ただ、と決定的に違うのは、前頭葉は、理解する、という点かもしれません。



ものすごく大雑把に比較すると、


後頭葉……目から入った情報が、『なに』であるのかを知覚する。

前頭葉……これまで培ってきた自分の『知識や経験と照らし合わせて』考える。



 ですので、かなり差別的な表現になってしまいますが、あえて言うなら、文学では、Web小説より多少小難しいことを書いても、読み解いてもらえます。

 読み手の前頭葉が、蓄積してきた知識と経験を用いつつ、これは、こういうことかなと考えたり、それとなく含みを持たせた行間の意味合いも、察してくれたりしますので。


 そうやって書かれていることを理解すれば、喜怒哀楽の感情も動き出す。

 そうだそうだと、共感したり、腹が立ったり、読んでいて何だか悲しくなる。

 その辺は、Web小説と同じです。

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