第4話 水飴

 季節が巡り、高校二年生の冬がやってきた。

 高一の夏に染めてから伸ばしっぱなしにしていた髪はかなりプリンになっていた。黒髪の長さが時の流れを物語っていた。

 花火大会の日に抱いた淡い期待を打ち消そうとしたが、一年経ってもずっと離れなかった。

 私は今でもあの甘い水溶液に翻弄されている。


 爪の先に残ったネイルが鬱陶しくて引っ掻いて剥がした。花火大会以来、私は美久が褒めてくれた水色のネイルをいつも塗るようにしていた。しかし、「こんなことしてる場合じゃない」と我に返り、剥がしてしまう。そしてまた塗る。その繰り返しだ。そうやっているうちに好きだったはずの水色のネイルが嫌いになっていった。好きな色が嫌いになるなら最初から透明のネイルにしておけばよかった、と今更後悔している。


 この恋は水飴のようだ。

 甘い記憶だけ美化されて、離さないと糸で縛ってくる。諦めようと、割り箸で練って気泡を潰すほど、すりガラスのように先が見えなくなる。

時間が経つほど甘くなって、「好き」の気持ちがさらに募ってくる。こんなことになるのなら、最後くらいは思いっきり苦くしてほしかった。


 ある夜、買い物の帰りに喫茶店の窓越しに美久を見つけた。看板には「Cafe・Bouteille en verre」と書かれていた。美久の向かいに座っていたのは花火大会の日に見せてくれた写真の中にいた彼だった。白いティーカップに注がれた温かそうなミルクティーを飲みながら、楽しそうに彼と話している。

 美久は透明のガラス瓶が似合っていたのに、どうしてそんな幸せそうな顔をしているのだろう。

 小学生の時に美久とお揃いで買ったハート模様のピンクの鉛筆で、中三の夏に日記に書いた「好き」の二文字がよみがえった。

 喫茶店の中に私が知らない美久がいて、私はずっと花火大会にいる。いや、塾の教室かもしれない。この恋を終わらせようと、心の中で「嫌い」と叫ぶほど、もっと好きになって先に進めなくなる。美久のことを好きになったばかりの頃も、恋心を否定してはさらに膨らんでいたのを思い出す。

 それならば、ガラス玉を取り出そうか。自分に「美久のことが好きだ」と告白してしまおうか。無理に嫌いになろうとしないで、「好き」という気持ちを大切にしてしまおうか。自分で自分の気持ちを受け入れたら、ガラス玉がしゅわしゅわと溶けていくように少し心が楽になっていった。

 今までは自分の恋心を否定して、見てみぬふりをしていた。でもそろそろ自分に正直になってもいいのではないかと思えてきた。

 私は水飴みたいに甘すぎる美久が好きだ。ミルクティーを飲む君が好きだ。ラムネなんか忘れてしまってもいい。炭酸入りの砂糖水なんかより素敵な味を君には飲んでほしい。

 大好きな人だからこそ、美久の恋を応援しよう。好きなのに、嫌いになることなんてできない。だったら私は友達として美久の一番側にいよう。

 言えなかった「好き」の分、ミルクティーが甘くなるように水飴を溶かすから。


 Cafe・Bouteille en verre

 カフェ・ガラス瓶。

 私はその看板に背を向け、知らない道で遠回りして家に帰った。

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