第3話 砂糖水

 私は無事志望校に合格し高校生になった。高校生になってから初めての夏休み、私は髪を明るい茶色に染めた。

 美久とはあれから少しずつ話せるようになり、高校生になった今でもメールや電話でやりとりするようになった。今はただの友達。そして私は今日、美久と花火大会に行く。

「寧々ー!」

 遠くから手を振る美久は浴衣を着ていた。久しぶりに会う美久はなんだか大人っぽく見えた。


 会場は想像していたよりも混んでいて、時々美久と離れそうになる時もあった。すると美久は人混みの中で離れないようにと私の右手をつかんだ。右手からびりびりと心臓に電流が流れたような気がした。突然ことで驚いたからだろう。中三の時も、美久は塾で女友達と手を繋いだりハグをしたりしていたため、美久にとっては普通なことなのかもしれない。実際私達は友達だし、中三の頃のように恋心のようなものも今は抱いていない。ふと中三の夏に書いた日記の一行がよみがえった。あの夏の恋していた私は今の状況を見て何と言うのだろうか。

 もうあの夏は過去の記憶だ。もう今は好きじゃない。そんなことは自分が一番分かっている。なのに電流はなかなか止まってくれない。何かを期待してしまっている自分がいる。

 封印していた気持ちが溢れてしまうように、夜空に花火が打ち上がった。


 花火大会はまだ終わっていなかったが、私は美久と屋台が並んだ通りを歩いていた。ラムネが売られた屋台があるたび私は反応してしまう。私は今でもラムネに翻弄されている。今の私の美久への感情をラムネにならって飲み物に例えるなら、砂糖水だろう。甘ったるくて爽やかじゃなくて、色褪せたただの水。だからまた飲もうなんて思わないし、他の味を求めてるはずだ。さっき手を繋いだ時に心臓から聞こえた鼓動はきっと夏の暑さのせいだろう。ラムネから炭酸が抜けたらただの砂糖水。友達に戻っただけだ。


 すぐ近くに美久の手がある。触れようと思えば触れられる距離。触れるか迷っていたとき、

「彼氏ができたんだ、この夏」

 美久が突然そう呟いた。

「おめでとう」

 私は笑顔でそう言った。

 ハッピーエンド。これでいいんだ。


 彼氏との惚気話を聞きながら、手を繋いで美久と歩く。私はうまく笑えているだろうか。

 人混みに飲まれて手が離れてはぐれたと思ったら美久が二本のラムネを買ってきた。また日記の一行がよみがえった。

 私は君のここが好きだったんだ。

 もう好きでいてはいけない。そんなこと分かっているはずなのに期待させられている自分がいた。

 でもそれももう終わりだ。

 花火がぼやけて散った。


 花火大会が終わり、私たちは公園のベンチに座っていた。花火大会はもう終わったのに、まだ鼓動は止まってくれない。ただの水なのに、どうして恋の味は消えないままなんだろう。消したいところが消えてくれない。夏の暑さのせいにはできないことなんてとっくに気付いている。

 飲み干したラムネの瓶の底にほんの少しラムネが溜まっていた。もう炭酸が抜けて砂糖水になっているだろう。

 取り出せないガラス玉を眺めていると、

「ラムネのガラス玉って取り出せるんだよ」

 美久が可愛い顔をして言った。

 何であの時教えてくれなかったの。

 そう言いかけて口をつぐんだ。

 瓶を傾けて、底に残ってたラムネを口に含む。炭酸が抜けたと思っていたのに、まだ小さな泡が邪魔をした。

「寧々って好きな人いるの? 教えてよ!」

 美久が聞いてきた。

 もう遅いよ、今更言ったって。私は時間かけて諦めたんだから。

「いないよ」

 私は笑顔で言った。

「私が男だったら寧々のこと好きになっちゃうと思うけどなあ。」

「えー? ありがと!」

 私は最後まで笑顔を絶やさなかった。


 高校生になって初めての夏が終わり、夏休み初日に染めた髪は、少しプリンになってきていた。

 私はラムネをもう飲まないだろう。きっとラムネを飲んだら思い出してしまう。


 甘ったるくて爽やかじゃなくて、色褪せたただの水だから、また飲もうなんて思わないと思い込もうとしていたけれど、まだ残ってるラムネの香りが私をあの夏に引き戻すんだ。

 さようなら、飲み込んだ「大好き」。

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