5 その場の人を楽しませるのが旅芸人冥利で
多分昔は食堂か何かであったであろう、子供たちが待つ部屋の前で、私は大きく息を吸った。
隣には同じように緊張した面持ちのアズがいる。
「いくよ」
「うん」
頷きあって、部屋の扉を開いた瞬間。
私たちを子供たちの大拍手が待っていた。
「こんにちはっ」
挨拶すると、一斉に「こんにちは」が返ってくる。
その声に、逆に私の緊張が高まってくる。
「いい挨拶だねっ。じゃあ、始めますね」
「待った、待ったーー!」
アズが大声を張り上げる。
「……どうしたのアズ」
「なんでそんなお姉さんみたいな挨拶をしてるねん」
「いや、孤児院だし普通そうでしょ」
「ちゃうやろ、俺たち旅芸人やろ!」
「そりゃそうだけど」
「やり直し、やり直しや」
「そう言われても困るんだけど」
「分かった。俺が見本見せてやっから」
そう言うとすたすたと扉の外に歩き去っていく。
ぱたん、と勢いよくドアが閉じた。
「おにーちゃん、へんなひと」
目の前に座っていた5歳ぐらいの女の子が首を傾げた。
「だよねー」
しゃがみこんで首を傾げてみせる。
「おねえちゃんのこいびとなの?」
「え」
このパートはアドリブだ。
普段は適当に天気の話とかをしたり軽く客いじりをしたりしている。
しかしこれは予想外で、思わず絶句して言葉が出てこなくなる。
ちょうどそのタイミングで、ばんと扉が開いて早足でアズが後ろから歩いて来る。
「ユーフォも最初からやり直しやから!」
手を強く引っ張られて、私はその子に「ごめんまたねー」って手を振りながら扉の向こうに消える。
アズにしては珍しく最高のタイミングじゃないか。くすくすと笑い声がした。いいぞ。
扉がぱたんと閉じる。
横に準備してあった服をアズが大急ぎで羽織る。
「よし、じゃ行こう」
至近距離で私の方を向いて、アズが真剣な口調で小声で言った。
私とアズの目が一瞬合った。
さっきの台詞がまだ頭の中にあったせいか、心臓がどくんと脈打つ。
そしてオークの頭っぽいかぶり物とマントを羽織ったアズが、子供たちに向かって走って向かう。
「おおおおにんげんだたべちゃうぞ」
私は横に立てかけてあった桃色のハリセンを掴むと。
ダッシュでアズの背後に駆け寄って、思いっきり後頭部に叩き込む。
「なにしとるんやーーー!」
桃色の閃光。
すぱこーん、という大音量なのに軽々しい破裂音。
おおおおおおお、と大歓声。
……あれ?
笑い声じゃない?
そこからはいつものネタのセットだった。
最後のアズがいちばんの大ボケをかました瞬間……。
一瞬、しんとなった。
静けさの中で、私はハリセンを軽くアズの頭に落として。
「ありがとうございました!」
私はぺこりと礼をした。
座り込んだアズが立ち上がって、私の隣で同じように礼をする。
それに続いて。
「なにそれー」
「しょーもなー。ぶーぶー」
そんな声が飛んでくる。私は目を伏せたまま、数秒顔を上げられなかった。
そして、おそるおそる顔を上げる。
子供たちは……楽しそうだった。
口では面白くないとか何とか言いながら、旅芸人が来て芸を見せてくれるという、それ自体非日常の娯楽を楽しんでいた。
まるで、文句をつけることすら楽しんでいるかのように。
笑顔でいっぱいの観客たちに向かって、私も笑顔で叫んでやる。
「しょーもないって言うなー!」
何故かその叫び声に対して、子供たちがどっとうけた。
公演の出来はと聞かれれば、緊張でがちがちだし、正直言って良かったとは言えないだろう。
……でも、生まれて初めて、自分の芸であんなに楽しそうな笑顔を見ることができた。時には、というよりしょっちゅうブーイングしながらも、子供たちはとても嬉しくて気持ちのいい笑顔を見せていた。
無我夢中で、結局二十分か三十分ぐらい話していたのだろうか。気が付くと、私は全員の拍手を受けて礼をしていた。
「さむいげいにんさんたちー」
「何をっ!」
そう言ってアズが子供たちを追い回し始めた。どたばたどたばた。そのうちにアズが子供の一人を押さえつけてしまう。
「げいにんさんがいじめるー、たすけてー」
そう言いながら、アズの目も子供たちの目も笑っている。
私は無言で部屋の片隅に行くと、桃色のハリセンでアズを殴りつけた。
すぱこーん、という会心の音色に、子供たちの歓声が上がる。
年上の男の子たちが私に言った。
「貧乳ねーちゃんかっこいい」
「ひゅーひゅー」
「誰か貧乳だっ」
エロガキどもにハリセンを振り上げると、歓声をあげながら蜘蛛の子を散らすようにどこかに走っていった。
漫才が終わった後、結局私たちはそのまま子供たちの遊びに付き合わされていた。
鬼ごっこをしたり、部屋の中でカードゲームをしたり、小さい子供のままごとに付き合わされたり。童心に返ったように、という言葉がぴったりだった。
しかも、落ち着いて遊んでいられる時間は少なくて、ほとんどはぎゃーぎゃー騒ぎながら追いかけ回しているだけだった。何故子供ってこんなに口が悪いのだろう。
そして結局、気が付くとアズも私も子供たちを追っかけ回してへとへとになっていた。
……それでいて、心地良い疲れだった。
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