6 おいしい紅茶は苦くないはずなのに
子供たちが寝付くと、さっきまでの賑やかさが嘘のように静かになった。
私たちとティマナさんは、元はテーブルを囲んでいた。目の前には小さなカゴに入ったクッキー。
「私の手焼きなんですよ」
少し歪んで楕円形をしたクッキーを見ていると、ティマナさんが少し照れくさそうに言った。
「お疲れさまでした」
その時、ドアを開けて中年の男の人が入って来た。
黒い髪を短く切った、痩せた優しそうな雰囲気の人。
「誰だっけ?」
小声でアズが言った。
「ここの孤児院の院長さんよ……そのくらい覚えておきなさいよ」
さっき漫才をしていた時も、子供たちの後ろでにこにこと笑っていた。残念ながら、私たちの芸を見て笑ってくれていたようではなかったが。
「安物のお茶で申し訳ないですが」
そう言いながら、手にしたお盆からカップを私たちの前に置いて、ティーポットから紅茶を注ぐ。
そして、レナインさんが腰を下ろすのを待って、紅茶を口にする。
普通の紅茶だとは思うけど、私やアズが淹れるのと違って、香りと甘みとかすかな渋みがちょうどよく出ている。
おいしい。
一口飲み終わるのを待っていたかのように、ティマナさんが言った。
「最後に、ありがとうございました」
「……最後に?」
私はカップを置いて、聞き返した。
レナインさんがそれに続けて、何事もないかのように言った。
「実は、今度この孤児院を閉じようかと思ってるんです」
一瞬、その言葉の意味が分からなかった。それから、手に持ったクッキーを取り落とす。
私が声を出す前に、レナインさんは口に人差し指を当てた。
「まだ子供たちには何も言ってないから、秘密ですよ」
私は無言でこくりと頷いた。
「今まで何とかやって来たんですけど、赤字ばかりでもう建物もこんな状況ですし、これ以上良くなる見込みもありません」
淡々と。……しかし、言葉尻が何度も上擦る。いかにも感情を無理に抑えて話しているのが分かる。
「あの子たちはどうなるんですか」
私が言うと、レナインさんは少し目を伏せた。
「他の地方の孤児院や施設に何人かずつ引き取ってもらおうかと思います」
うつむいたレナインさんの後を、ティマナさんが続ける。
「……残念ながら、ここは決して良い環境じゃありません。建物はこの通り老朽化していますし、場所自体にしても町から離れたかなり不便な場所です。面倒を見る人間も、私とレナインさんしかいません。……ちょうどいいんですよ」
「……どうにかならないんですか?」
アズが言うと、レナインさんは首を横に振った。
「カルピアの何人かの資産のある方にお願いしたんですけど、やはり慈善事業にお金を出せるほどの余裕はないようでした。市役所にもお願いして、明日答えを聞きに行きますが……今までの口調だと、無理だと思います」
それっきり沈黙が訪れる。
私は一口クッキーをかじった。少し粉っぽいところまで含めて、いかにも手焼きの素朴で優しい味のクッキー。……多分子供たちも、いつもこのクッキーを食べているんだろう。そんな時間が、もう失われてしまう。
この孤児院に着いた時、ティマナ、てぃまな、と言いながら集まってきた子供たちを思い出す。さっき一緒になってぎゃーぎゃー騒いでいたことを思い出す。
施設がいいとか悪いかなんて関係ない。
みんな、この場所が好きなんだ。
それを言おうとして、私は言葉を飲み込んだ。うつむくレナインさんとティマナさんの目尻に、きらりと輝くものが見えたから。
だから私は、紅茶をもう一口、口に含んだ。
なんだかさっきより少し苦味が強い気がした。
「俺、明日一緒に行っちゃ駄目ですか?」
静まりかえった中で、不意にアズが言った。
「アズ……」
私が声を掛けようとすると、アズはさらに言葉を続けた。
「俺、何とか説得できるように、自分の芸の全てを賭けてみますから。……ご一緒させて下さい」
テーブルに大きく乗り出すアズ。
私にはアズの考えている本当のところがよく分かっていた。
間違いなく、アズは何の腹案も持っていないだろう。ただただ、何とかしたい思いだけで、勢いで言っているだけにちがいない。つい感情的になってしまう、思いこみの強い、いかにもアズらしいめちゃくちゃな行動だ。
でも、私はこれ以上アズを止めなかった。
私だって。
このまま謝礼だけをもらって帰るなんてことは、できそうになかったから。
ひざに置いた両手をぎゅっと握りしめる。
「……わかりました」
半分何かを決意したような、半分何か諦めたような口調で、レナインさんは言った。
「……よろしければ、付いてきて下さい」
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