異世界のペンタメローネ―あるいは枠物語の枠物語―

@MeatOgg

さあまずはごゆるりと、これから紡がれるお話の大枠をお聴き頂ければと存じます。

 ああなんとこの世は敬虔で善良に生きる人々に、かくも斯様に残酷なのでしょう。

 無垢な幼子病に臥せり、信心深い人々は自らの手でその血を流し、腹を満たすは割って入った盗人達。

果たして神は此の世を呪い、見放しになられてしまわれたのでしょうか。

 今宵物語は、斯様な病に侵された、祈る、闘う、耕す人が、此の世に生を受けた時、決められてしまう約定の、そんな世界のある街が舞台の話で御座います、さあさあ幕が上がります。

 病に苦しむ無垢な少年、我が事のように手当てをするはその子の母親、病んで苦しむ人々の、快癒を願う敬虔で愚鈍の行列鞭打行者、行者の群れに潜むは盗人、其の対応に、忙殺されるは街のお偉い参事会員、あとはその他大勢の、傍役が務める賑やかし。

 整う舞台は単純明快、病と死。なのに舞台で踊る人々は、複雑雑多な有象無象、そしてそれぞれ抱く心持ち、それも取々なものばかり。

 これでもし互いの想いが通じ合えたなら、舞台が向かう行き先は誰もが愉快で幸福なそんな結末なのでしょう、しかしどうやら物事はそうは上手くいかないようです。なにせ人は誰しもが我こそ舞台の主人公、そう思いたいようなのですから。

 そうした小さな綻びが、積み重なっていく先は、哀しい哀しい不幸な結末。けれどもしくはこれこそが、この世の必然なのかもしれません。

 それでも万が一にでも、それを覆すことが出来るなら、そんな存在がいるのでしょうか……。

 これはそんな男と女の数奇な物語です。


 あんなに憂鬱だと思っていた、満員電車に憧憬の念を抱く事になる日がくるとは思ってもいなかった。

 それはそれとして、今の私はどの階層の住人なのだろうか。

 いや、住人というのは私と私を取り巻く世界を説明するのに適切な表現ではないかもしれない、私は今どの物語の誰の役割を任せられているのだろうか。

 私は何の変哲もない普通の男だと自分の事を思っていた。人並の仕事に就いており、とは言ってもフリーターだが、賃貸ながらも雨風をしのげる家があり、最近疎遠とは言え家族は皆健在、何人かの友達もいて、結婚の予定は無いが恋人もいる。

 そんな私がある朝目覚めると、いつものアパートのソファベッドでは無い全く別の部屋の寝床にいた。その後に鏡が手近になかったので、自分の手や足をまじまじと見てみるとまるで自分とは思えなかった、私の手はこんなにゴツゴツとして赤切れてはいなかったし、足も寝る時にいつも履く靴下をしてないし、爪もこんなに黒ずんではいなかったはずだ。

 今思えばこれが私の物語の世界への移動、後にわかり易く巷で流行っていた言葉を使って転生と表現するようになるが、それの一番最初の体験だった訳だが、当時の私はおおいに狼狽した。当たり前だ、自分が別の存在になって、全く知らない世界にいるのだから。

 その後頭を落ち着かせてから、外に出てほうぼう見て回ったり、幾人かの人と話していると、何度も奇妙なデジャヴのような感覚を覚えた、そして頭を整理してみると一つの奇妙な一致を見つけた。それはこの世界が私が先日買い求めて読んだ小説にそっくりではないかと言う事であった。

 その後は先程までの当て所のない行動ではなく、物語を確認するように行動した。

 そうすると、やはり私の予感は的中していた様で、町並みや、話す人達の口調や名前等が偶然では片付けられない一致をみた。

 またこれは名前を呼び掛けられて気付いたのだが、どうやら私も其の物語のさる登場人物の一人の様で、主人公で無かったのは少し残念だがこれで私の推測は確信にかわった。そしてその頃には夜の帳も降りて一日が終わろうとしていた。

 確かこの話はとても愉快な内容だったが、短編だからか一日で終わる話のはず、私が寝てしまったらどうなってしまうのだろうと言う考えが頭をよぎったが、不安を紛らわす為に酒を飲んでいたら、気づけば眠りにおちていた。

 目が覚めると私はまた、全く別の世界の別の人物に転生していた。

 こんな事を何度も繰り返していると、ある程度の法則の様な物が解ってきた、幸いにも今の私の手もとには紙とペンがあるので確認しつつ書き出してみようと思う。

 一つ。私は朝目覚めると物語の世界の住人になっている事がある。これを便宜上は転生と名付ける。

 一つ。物語の中にも物語があり(登場人物の読んでる本、酒場のお話等。)その世界に転生することもある。

 一つ。私の元々生きていた世界には一度も転生できていない事。

 一つ。物語が不幸な結末を迎えると(不幸の基準は不明。)同じ物語で最初から転生し直す、其の際に別の人物になることもある。

 一つ。物語が幸福な結末を迎えると(これも同じく基準不明)別の物語の世界に転生する。

 一つ。これが私の大きな支えになっているのだが、転生はしないものの私と同じように物語構造を理解していて私と語り合える女性がいるという事(これは夢の中で会うことが多いがそれ以外のケースもある。)

 いくつか列挙してみたが解ったところはこんなものだろうか、そろそろ文章を書くのも億劫な暗さになってきた、床に入るとしよう。明日の私はいったい誰になるのだろうか。


 さあ現れましたは自らを、お話の世界を旅から旅のドサ回り、彼の言葉を借りるなら、転生できると言う男。

 果たして彼は只の狂ってしまったそれだけの、哀れな男か。はたまた彼の考えが的を射てるとするならば、お話を覆す力を持った万が一、不幸で雑多な哀しい舞台、それをみんなが幸福分かち合える様、導いてくれる救世主、いやさ自ら生まれ育った世界を捨てて、それに準ずる生き方ならば、むしろ幸福の王子か青い鳥。真っ事高潔な人とも言えるのです。

 男の事はなんとなしにはわかりました、しかし高段語った様にこれは男と女の物語、女の方のお話も語らなければ片手落ち。

 ここからは男と同じく、幸か不幸かお話に巻き込まれ翻弄される女のお話。

 しかし彼女は男とは、その根本を異にするそんな存在、それを最初にお断りしておきます。


 代わり映えしない一日と言う言葉を、何気無く言えた事がこんなにもありがたい事だったと思う日がくるとは思ってもいなかった。

 だって私にとっての一日は、本当に変わらない一日の繰り返しになってしまったのだから

 私は何の変哲もない普通の女だと自分の事を思っていた、お針子の仕事は偶に怒られたり旦那様の坊っちゃんから色目を使われたりすることはあっても特段不満は無かったし、ハンナみたいに若くて子持ちでしかもその子が流行り病にかかってるなんてこともなくて、ヴィルヘルムみたいに結婚の為の持参金を必死に溜めるために馬車馬のように働いてるってわけじゃないし、特別ではないけど悪い暮らしだとはおもってなかった。あの日までは。

 朝起きたら私は自分が物語の登場人物だって気付いてしまったの。

 何を言ってるんだと思うだろうけど、私自身が一番混乱してる、ただ漠然と私、いや周囲の人達も含めた私達はみんな物語の登場人物で同じ生活を何回も繰り返しているって。

 それに気付いてからは本当に地獄のような日々だった、私は坊っちゃんに色目を使われて素気無く断るって言う役どころなだけの傍役だって気付いちゃったし、お話では、なんか鞭打行者が来たから臨時のミサがあるからそれに参加するからとか言う理由であしらったらしいけど、今は馬鹿馬鹿しくてミサなんて行ってない。

 ハンナの小さな子供が流行り病で死ぬのを何度も見てきたし、ある時は鞭打行者の血をハンカチに浸してそれを与えたりもしたみたいだけど結果はおんなじ。

 ヴィルヘルムも持参金の為に貯めてたお金を鞭打行者に混じって街に入ってきた泥棒に全部盗まれて、廃人みたいな虚ろな目で鞭打行者の列に参加したり、自分で首を括ったのも何回も見てきた。

 それでそんな最悪な終わり方をしても、私は目が覚めてみると全部元通りになってて、ハンナもヴィルヘルムも今まで通り、でもやっぱり最後には目も当てられない結末。

 もうこんなのをどれだけ過ごしてきたかわからない、頭がおかしくなってしまわなかったのが自分でも不思議だけど、心の支えとでも言えるものが三つあったのが大きいかもしれない。

 一つ目はあまり大した理由では無いんだけど、私が物語の登場人物なのと同じように、このお話というか私の生活の中にあるお話、本とか酒場のお話とか、それにも物語があってその登場人物を俯瞰して見るって言えば良いのか今だにうまく説明できないけどとにかくそう言う感じ、私はあんまり字が読めないから本は読めないけど、これはせめて読み書きができるようになりなさいって言う神様の思し召しだと思い込む事にして少しの励みにしてる。

 二つ目の理由は本当に私の励みになった。

 私みたいに物語の登場人物だって自分の事を知ってるんだけど、私と違って物語から物語に移動できる、彼はこれを転生って言ってたけど、そんな彼に出逢えた事。

 最初に夢の中で彼に出逢った時は私もとうとうおかしくなってこんな夢を見るようになったのかって思ったけど、その後も何度も夢の中で彼と出逢ったり、起きてる時も白昼夢みたいに、彼が今いる全く別の物語の光景を見ながら彼と会話が出来た時に確信した。ああ私と同じ境遇の人が私以外にもいたんだって。

 最後の三つ目これは支えと言うか希望のようなものだけど、彼が転生して、そして去っていった世界と言うか物語は幸福な結末を迎えるらしいって事。

 だからもし彼が私の物語に転生してくれたら、私をこの地獄から解放してくれるんじゃないかっていう一筋の光みたいな淡い期待。

 勿論そんな期待通りに都合の良い事がおきるとは思ってないけど、それでも彼と出逢ってからは、毎日毎日、明日からまたはじまる地獄のような日々に怯えて眠るんじゃなくて、夢で彼と出逢えるか、もしくは明日には彼が私の所に来てくれるんじゃないかって希望を持って眠れる様になったのは確か。物語の事をもっと知るために読み書きの勉強をするようになったのも、そんな心の余裕が生まれたからかもしれない。

 そろそろランプの油も無くなりそうだし読み書きの勉強はおしまい。明日には彼が私のところに来てくれる事を願って、今日のところはおやすみなさい。


 ある数奇な運命を持った男と女、お話の大枠となるお二人の、そのお披露目は麗らかにとは参りませんが済ませる事ができました。

 皆様ご拝聴の程ありがとうございました、そして名残惜しい所では御座いますが、今宵はお開きの時間が近付いて参りました、次はまた本日以上の素晴らしいお話を、ご用意した上皆様をお待ちしております。

 皆様におかれましては、それまでに彼の事、彼女の事を考えて、頭の中を想像で一杯にしてお越し下さい。期待通りの展開か、はたまたご想像を裏切られるか、どちらにしても皆様きっとご満足頂けるお話になるはずです。

 それでは次回もまた足をお運び下さればと思います。

 そして最後にこのお話にご満足いただけたならば、皆様からの少しばかりのお優しさ、誠意、ご声援の程を形にしまして、目の前に御座います帽子の中に入れて頂ければそれに勝る幸福は御座いません。

 宴が盛り上がり、お話が一番輝くその時まで、一時のさようならを言わせていただきます。

 それではまた。

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