第22話 私と新たなる姉



 その夜、私は随分と久しぶりに昔の夢を見た。幼い子供の私をお母さんが、逃げていかないようにぎゅっと掴んでいる。


 そこは沢山のお花、沢山の椅子、まるで学校の卒業式みたいな場所だった。子供の私は、その空間を何故か昼なのに夜みたいだ、と思って母親の手を握り返す。怖かったというべきか。

 煙たいその部屋には同じような格好の人が沢山いて、花を燻らせたような匂いがずっと漂っている。


 私はお母さんにほら、と言われて前へ出た。目の前には大きな箱があって、でも私の身長では見えない。

 だからお母さんのスカートの裾を引っ張ったけど、ビクともしない。気づいていないんだろうか、と思った私はねえ、となんども声を出してお母さんの裾を引っ張った。私は箱の中身が見たかった。


「​─────うるさいっ!!」


 突然、私はそんな声で怒られて、驚いてしまった。

 お母さんが怒ることは今までにもあったけど、ここまで大きな声を出されたことは一度も無かった。しかもそれだけではなく、お母さんは私を強く突き飛ばしたのだ。


 私は当然泣いた。意味もわからず、ただ突然のことと床の冷たさに驚いてわあわあ声を上げて泣く。


 でも、周りの人はお母さんの方に駆け寄っていった。誰も私のことを気にしてくれない。それが嫌で私はもっとわあわあ泣く。

 すると私と同じぐらい、ううん、それよりもっと泣いたお母さんが私の頬を叩いた。痛かったけど、今度は泣かなかった。それどころか涙は驚くぐらいぴったりと止まる。


「あんたのせいで…………!」


 そこで、目が覚めた。

 スマートフォンのアラーム音は最初から変えていない。もう聞きなれたそれを震える手で止めて、私は呆然としながら起き上がる。

 寝巻き代わりに着ているシャツは汗で濡れていて、私は上裸になるのも構わずにそれを脱いだ。


「……ハジメ?」


 私は姿の見えないぬいぐるみの名前を呼んでみる。

 当然、返事は無い。少し考えて掛け布団を捲ると、そこからくたくたになった彼女が出てきた。それを私は定位置に戻し、上裸のままリビングに降りる。


「……なんだ、その格好は」


 葵さんが眉をくっと寄せた顔でそう聞いてきて、私は「暑くて……」と返す。彼女の顔からは怒りというよりも困惑、というニュアンスが見て取れた。


「いいから、服を着てくれ。目のやり場に困る」

「でも今から新しいシャツを下ろすのも面倒で……制服を着るには早すぎるかなとも思いますし」

「制服を着るのに早いも遅いもないだろう」


 正論で一刀両断されてしまった。

 私は面倒くさいなあ、と思いながらも制服を着る。その過程で私の足はフローリングについた傷を踏んで、あああんなこともあったなあ、とたった数週間前のことを数年も前のことのように思ってしまうのだった。


 後日談、では無いけれど。

 紫さんと夕さんや、彼女達姉妹の関係性が変わったかというと、私には分からない。傍目からは変わっていないように思える。

 夕さんは今日も今日とて台所に立つ引きこもりだし、紫さんは家に帰ってこない。ちなみに普段はどうしているのかと聞けば、友人の家に泊まったりバイト代で安いホテルに泊まっているらしい。

 治安の面では心配だけど、私が口を出すことでは無いので、そのままにしてある。私が言ったところであの人は聞かないだろうから。

 ────結局のところ、あの発作じみた事件も、ただの起伏なのかもしれない。収まったかのように見えて、実はその時だけでした、なんてことは現実ではよくあることだ。

 それでも、私は紫さんに幸せになってほしいと、そう思うのだ。私は幸せというものが分からないけれど。それでも、そうなって欲しいと強く思う。

 この家にもう二度と帰ってこなくてもいい。私の姉にもならなくていい。分かり合えないと知ったのなら、それでもいい。

 ただ、もう二度と後悔だけはしてほしくないと、そう思っている。


 とまあ、重苦しく言ってみたけれど、何やかんや紫さんには部活でほとんど毎日会っている。話したりだとか……それこそテストがどうだったみたいな話も割と、する。

 相変わらず彼女の口や悪さや私への当たりの強さ、嫌われっぷりは変わらないけれど、少なくとも私は、前より息がしやすくなった。言いたいことを言えたから、と考えるのは少し浅慮すぎるかもしれないけど。


 そんなことを考えながら制服を着て、一息つくと、こんな時間なのに家のチャイムがピンポーン、と鳴る。


「……私じゃないですよ」

「……なら夕か?」

「夕さんからも荷物が届く予定は聞いてないですけど……」


 そんなふうに顔を見合せていると、またピンポーン、と朗らかな音が鳴る。


「私が出てくる。勧誘かもしれないしな」

「あ、すみません……」


 そう言って葵さんが玄関に向かって数分。バタバタと誰かが駆け込んで来る音がして、私は慌ててそちらを振り向いた。


「────あっ!新しい妹ができてる!」


 そんな声と共に、パーカーを着た一人の女性が、私の方を指さしてそう声を上げた。シンプルにうるさい。


「はじめまして妹ちゃん!私のために生まれてきてくれてありがとう!」

「はあ……」

「私の名前は月夜!月の夜って書くの!これからよろしく!」

「はあ……」


 手を取ってブンブンと振ってくる彼女は、夕さんとはまたベクトルの違う明るさというか、軽薄さだった。

 葵さんにも「姉さん久しぶり!またなんか老けた!?」と平然と言い放っている。怖いものとかないのかな。


「月夜。何でここに来た?ここにお前の部屋は────」

「えっ、あー!?言ってなかったっけ!?ごめんごめん!」


 実はさあ、と前置きした月夜さんは実に軽やかに────こんなことを、言ってのける。


「実はさあ……殺されそうになってんの!だから匿ってくんない?」

「……………………は?」


 そしてこれが、この家の三女である月夜さんとの出会いだった。

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妹たる私と六人の不可解なお姉ちゃんたち こころがうみこ @hakuhaku3331

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