第21話 わたしと『お姉ちゃん』
「─────わたしね、今度妹が出来るんだよ」
そう言ったわたしの声は存外弾んでいて、ああわたしって楽しみにしてるんだなあ、と何だか気恥ずかしくなってしまう。
そんなわたしにちらと視線を向けた幼馴染は、端的な声で「そうか、良かったな」と言うだけだ。
「それだけ!?他にさあ、もっと言うことあるじゃん!おめでとーとか!頑張れよー!とか」
「県大会にでも出場したのか?」
呆れたような視線を向ける幼馴染ははあ、とこれみよがしに溜息をつく。
放課後の教室はわたしたち以外誰もいなくて、幼馴染はわたしの前にあるプリントを指先で叩いた。
「いいから早く書いて終わらせてくれ」
「いやいや、進路のことなんて早く書けないでしょ」
「私は今まで何も考えてこなかったお前を暗に責めているんだが」
「言ってたら暗じゃないでしょそれは!?」
はは、とわたしのツッコミに笑ってくれた幼馴染は、それでも追求の手を緩めない。適当な学校の名前を書いて後からやっぱり変えましたと言えばいいんだ、だなんて結構酷いことも言ってくる。
幼馴染は昔から優秀で頭が良い。そんな彼女なら進路で急カーブを切ったところで教師には許されるだろうけど、こちとら生憎ただの普通の学生だ。
わたしは生まれてまた十数年しか経っていない若造だけれど、人生がそんなに簡単じゃないことぐらい、分かっている。
「───でもなあ、それじゃあつまんないもんなあ」
そんなわたしの呟きを、幼馴染は見逃してくれた。彼女は存外、わたしに甘い。
だから、ではないけれど。わたしは少し考えて、一番上の欄を漢字一文字で埋める。
「…………姉?」
「姉」
「…………じゃあ二番目はどうする」
あっこいつ見なかったことにしやがったな、とわたしは悟った。
だから負けじと二番目の欄には素敵なお姉ちゃん、と書いてやる。
ここまで書くともうすっかり向こうも呆れたような声色で、「……三番目は?」と言った。
「妹を守ってあげられる、お姉ちゃん」
欄が思ったよりも狭くて、お姉ちゃんの部分だけはみ出したけど、まあ読めるからヨシ。
ふふん、と満足気にその紙を掲げたわたしを、幼馴染は呆れたように見つめるばかりだ。
「その心意気は結構だが、姉っていうのはなろうとしてなるものじゃないだろう」
「ええ?そうかな」
「そうだよ。姉にしろ兄にしろ、そこにあるのは、押し出されたという事実だけだ。姉になろうと思ってなるんじゃなくて、勝手に姉にされるんだ」
そういえば、この幼馴染は妹の方だったとわたしは思い出す。彼女が姉の話どころか家族の話をすることはほとんど無くて、だから私もなんとなく察することがあった。
「……えー、わたしは、嬉しいけど」
「お前はそうだろうな。ただ、嬉しくない人間もいるという話だ」
「でもそれはさあ、妹ちゃんの方も同じじゃない?生まれてきたぞー!愛されるぞー!って思ったら先客がいるんだよ?それこそ、妹だってされることに代わりはないと思うけどなあ」
「…………じゃあ、悪いのは親か」
「あはは!飛躍しすぎだって」
わたしはペンを回しながら、まだ見ぬ妹の顔を思い浮かべる。
どんな子なんだろう。優しいかな。怖いかな。わたしのことはなんて呼ぶんだろう。お姉ちゃん?姉ちゃん?それとも、名前かな。
「でもやっぱり、わたしはちゃんとお姉ちゃんになりたいな。なろうとしてなれるものじゃなくても、なりたいって思う気持ちは、無くしたくないなあ……」
「…………まあ、お前は阿呆だからな。そのぐらいが丁度いいんじゃないか」
「うわ!ひど!わたしだって色々考えてるんだから!」
例えばどんなのだ、と幼馴染は言って、わたしはしばらく考えてみる。考えてないじゃないか、というツッコミは無視だ。
「やっぱりおもちゃとか買ってあげたい!ガラガラとかその時しか使えないやつじゃなくて、ぬいぐるみみたいなずっと持っていられるの!」
「…………お前に聞いたわたしが馬鹿だったよ」
そんな失礼なことを言った幼馴染は、わたしの紙を勝手に取り上げて「これ、代わりに出してきてやるから。お前は荷物をまとめておけ」とイケメンムーヴをかましてくる。
そういえばこの人、バレンタインとか後輩女子にモテモテだったな……。
「あ、てかちょっと待って!」
そんな呑気なことを考えていたわたしは、彼女の手から慌てて紙を取り返す。勢い余って思わぬ形で抱きついてしまったけど、それはまあご愛嬌ってことで。
「……急にどうした」
「名前!書いてなかった!」
「はあ……」
わたしは立ったまま、机を使って自分の名前をシャーペンで書く。
─────須藤はじめ、という名前を、一言一句間違えないように書いていく。
「ごめん、待たせたよね」
「……今更だろう。いいから早く渡してくれ」
「あはは。じゃあこれ、お願いします、葵ちゃん!」
そうして呆れた様子の彼女にわたしは紙を渡して、荷物をまとめ始めるのだった。
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