スズラン

碧川亜理沙

スズラン


 ライラ・ムルは迫り来る死を前に、すごく穏やかな表情をしていた。

 彼女が寝ている寝台の周りには、ここ数十年で関わりあった人々が集まっていた。


 禁忌を犯し、故郷を離れてから約1000年。

 昔の自分からしてみれば、まさかこのような最期を遂げられるなんて想像もしていなかっただろう。


「……私は、果報者だねぇ」


 思えば、長い長い人生だった──。



 * * * * *



 ライラが生まれたのは、テューリンファルトと呼ばれる大きな森が眼前に広がる小さな村だった。

 その村は、昔から魔女の素質を持った子が多く産まれた。

 ライラもそのひとり。幼い頃から、魔法や薬草学、古くから伝わる慣わしについて教わっていた。


 ライラは、ほかの子どもたちと同じように育っていったが、ひとつだけ、異なることがあった。

 それは、飽くなき探究心、知的好奇心だった。

 ライラは、多くのことを知りたがった。


 なぜ魔法を使える人と使えない人がいるのか。

 なぜ女の魔女のほうが数が多いのか。

 なぜ回復させる魔法がないのか。

 なぜ慣わしを守り続けなければいけないのか。


 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ──。

 ライラにとって、目に見えるもの、感じるもの、全てに疑問を持つ日々が過ぎていった。


 年頃の年齢になっても、ライラの飽くなき探究心は衰えを知らない。

 むしろ成長し、理解することもできるようになった分だけ、更なる知りたい欲求が深まるばかりだった。

 だが、それが仇となってしまうことをライラは知らない。



 魔女の中ではまだ若いが、そろそろ生まれてから50の歳を超える頃。ライラは自宅の蔵書の中から、1冊の本を見つけた。

 タイトルや作者、製本日も記載されていない。

 中を開くと文章の合間合間にびっしりと手書きの文字が書き連ねてあった。おそらく誰かの所有物であったであろうその本は、お世辞にも綺麗とは言いがたかったが、ライラは妙にその本に惹かれた。

 来る日も来る日も、その本を解読しようと1日中部屋に篭もることもあった。


 その本を読み終えるのに丸1年を要した。

 そして、その本を読み終えた瞬間、ライラは試してみたい欲求にかられた。


『おそらく私は、俗に言う不老不死と呼ばれる秘薬を、不完全ではあるけれども生み出してしまったのかもしれない』


 不老不死。

 誰もがこいねがう、幻の秘薬。

 魔女も長生きではあるけれども、それでも長くて300年ほどの命だ。

 老いもせず、死ぬこともない。

 そんな奇跡の薬が本当にできるのか……。

 本の著者は、近しいものを作り出したと書いていた。ならば、実際にここに書かれたものが不老不死の秘薬であるのか、確かめてみたい。


 だけど、ここで頭をよぎったのが、学校に通っていた際に耳にタコができるほど繰り返し聞かされた言葉だった。


『人道・倫理に背く魔法の行使、研究を禁ず』


 魔女は、人道や倫理に反する魔法を扱うことができてしまう。

 だが、それを行ってしまっては、もはや人にあらず。

 その考えから、最低限自衛のための魔法は学ぶけれど、相手を死に追いやるような魔法やで人体的に悪影響を及ぼす魔法は禁書として人々の目に触れることはなかった。

 明らかに、ライラの目の前にある本は、禁書に値する内容である。本来ならば、すぐに人目に触れぬよう、年上の魔女や街の長に手渡すべきものである。


 ──……だけど、試してみたい。


 天秤は、欲求に傾いた。


 それからは、周囲の人たちにバレないよう、実験の日々が続いた。

 材料は何とか集められたけれど、調合はかなり難解だった。何度も失敗した。その度に、またいちから調合をし直した。


 それが何年も続いた頃。

 周りの人々も、少しずつライラの様子に違和感を感じていた。そして時を同じくて、ライラの成果は完成の域に達していた。

「……これで、理論上は完成のはず。あとは試してみないと……」

 目の前には、僅かではあるが、成功したであろう不老不死の妙薬が入った小瓶。一見すれば、水のようにも見えるその液体は、わかる人が見ればその薬自体がかなりの魔力を秘めていることが分かる。

 ライラは、この薬をどのように検証するか悩み始めた。

 本来であれば、実験用動物を用意するのが常であるが、あいにくそれらを買えるだけのお金がない。さらに、小瓶に入っている薬はわずかな量。長期的に確かめるにしても、作るよりも使い切ってしまうほうが早い。


 その僅かの逡巡の間に、周囲の人々は、とうとうライラを問い詰め始めた。

「あなたはいったい、隠れて何をしているの?」

 ライラは答えることをしなかった。答えてしまったら、せっかく作った不老不死の薬も、あの本も、全て禁書として二度と手にすることも目にすることもなくなると分かっていたから。

 その日は、周りの人たちもそこまで追及することはなかった。

 静かになった部屋で、ライラははっと気がついた。


 ──私自身が、実験体になればいい。


 もちろん、ぶっつけ本番のため、どういう結果になるかとんと検討がつかない。最悪、精神を病んだり、はたまた身体に悪影響を及ぼすかもしれない。

 それでも、今この時には、これしかないと思った。

 ライラは、小瓶の蓋を開けて、その薬を飲み干す。

 なにか異変が起きないか。飲み干してから、どんどん時間が経過していく。

 チクタク、チクタク。

 そこで意識は途絶えた。




 次に意識がはっきりした時、ライラは真っ暗な部屋の中にいた。

 頭がぼうっとして、思考が動き出すのにしばし時間を要した。

 不老不死の薬を飲み干したところまで思い出したところで、だんだん暗闇にも目が慣れてきた。ライラがいるのは、普段なら目にすることも入ることも無い、地下牢だった。


「ライラ・ムル、あなたが行ったことは許されることではないのは知っていますね」

 どのくらい時間が経った頃か。

 ライラは大勢の魔女たちの前に立たされていた。両手には縄をつけられて。

 目の前に立つのは、この村の魔女たちの長。鋭い視線の数々がライラに突き刺さる。

「本来であれば、本件は非常に厳格な罰をあなたに与えなければいけない。しかし、あなたは残念ながら不老不死という薬を成功させてしまった」

 ライラは黙って長の話を聞く。

 自分が不老不死になったという自覚は全くない。だが、何度か罰として、毒を盛られたり、寝ている間に魔法で息の根を止めていたことをこの会の前に聞いていた。

「よって、あなたは未来永劫、この村へ踏み入ることを禁じます。そして、この村の魔女の長の命が続く限り、ジャドー・コ・シェール・カレヌの刑に処します」

 周囲の魔女たちがざわめいた。


 ジャドー・コ・シェール・カレヌ。

 魔力を封印する魔法。

 魔法の中でも高度なものに分類され、魔女の罰としては重いものにあたる。

 しかも今回は、村の長が生きている間。今の長だけではなく、この村という場所に長が続く限り、半永久的に続く魔法。つまり、ライラは魔法をいっさい使うことができなくなることになる。




 罰は速やかに執行された。

 魔法を封印され、1週間分の食糧を施しとして受け、ライラは村を追い出された。

 この時は、まだなんとかなるだろうと楽観視していたところがあった。しかし、1日、1週間、1年……時が経つにつれて、この罰の重さを感じ始めていた。


 ライラは、西へと進んでいたうちにみつけた、小さな村にしばらくの間留まっていた。

 魔法は使えないが、薬草についてや、魔力を使わない薬の作り方を知っていたので、村人からもありがたがられていた。ライラが故郷を離れ、150年ほどたった頃の話である。


 この頃、都市部のほうでは"魔女狩り"が横行していた。少しでも疑われようものなら、問答無用で火あぶりの刑だ。

 ライラが暮らすこの村は、都市部からはかなり離れており、外からの人もほとんど来ないため、そういう噂もほとんど入ってこなかった。

 だから、教会の人間が突然村にやって、魔女狩りを始めるなんて、誰ひとり知らなかった。


「魔女を匿う者も容赦なく断罪する! 怪しいものは皆引きずり出すのだ!」


 教会の人間が、村中片っ端から怪しい者を捕まえて引きずり出す。

 ライラもその例に漏れなかった。

 村人の3分の1ほどが、魔女と疑わしきと教会に引っ張られた。もちろん、その中には魔女ではない普通の人間も混じっている。しかし彼らにとっては、怪しい者は例え本当の魔女ではなくても、魔女に値するのだそうだ。

 ライラは大人しく、しかし頭の中ではどのように逃げるかばかりを考えていた。

 教会の人間に不老不死だということがバレてしまうのは非常にまずい。彼らは拷問と言いながら相手を痛めつけ、息が止まるまで続くこともあるのだそうだ。また、ある者は、火あぶりの刑にて体が燃え尽きるまで燃やされ続けるのだという。

 どちらにしろ、長引けば長引くほど、ライラの秘密がバレてしまう確率が高くなる。


 しかし、事はそう簡単には動かない。

 村人たちと共に教会に連れられ、狭く暗い、汚らしい部屋でぎゅうぎゅう詰めになる。

 そして、1人ずつ連れていかれ、死にも等しい拷問が待ち受ける。


 多くの者は、無実の罪でこの見知らぬ教会で死んでしまった。その中には、よそ者のライラに親しげに接してくれた人たちの姿もあった。

 悲しみにくれる暇もなく、お前は魔女ではないかと、繰り返し暴力とともに問われる毎日。

 不老不死といっても、単に死なないだけで、傷は負うし、病気にもなるし、痛みも感じる。教会に引っ張られ手からの日々は、ライラの中で1番に苦しい日々だった。


 この毎日から逃れられたのは、捕らえられてから30日程たった頃。次は火あぶりの刑だと脅されていた頃だった。

 誰かが放った火により、教会だけではなく近隣の森にまで火の手が回り、みんながパニックになっていた。

 ライラは、軋む体を無理やり動かして、何とかバレずに教会から離れることに成功した。

 だが、逃げたからと言って、ライラは休まることができなかった。

 至る所に魔女狩りの姿があり、来る日も来る日も、教会の人間から隠れて暮らす日々が続き──。


 そんな生活が700年以上も続いた。

 近隣の街や国に足を向けたこともあった。けれど、やはりどこでも魔女狩りは行われており、村や街の人々はよそ者の来訪を快く思わなかった。

 また、場所によっては、小さな争いが頻発している地域があった。ライラが見たこともない武器を持ち、争いを行う人々。

 ライラは様々なものを、人を見た。既に900年近く生きていることになる。

 ライラは年々時間が過ぎ去るにつれて、若い頃あれだけ必死に作り上げた不老不死というものを恨めしく思うようになっていた。今になり、長の降した罰の重さを理解する。


 そして、さらに100年近く経つ頃、ライラに小さな変化が訪れた。

「……あれ?」

 偶然覗き込んだ湖面の中の自分に違和感を覚えた。急いで近くの建物に向かい、ガラスに映り込む自分の顔をまじまじと見る。

 ──年を、取っている……?

 細かいところまでは分からないが、思えば最近手のシワも増えてきたような気がする。

 老いることのなかったこの体に、老いの気配が見え始めた。

 ──不老不死にも、終わりがある。

 ライラが作った薬が失敗作だったのかもしれない。それでも、自分にも終わりが訪れると分かると心底ほっとした。


 そこからは、思った以上に老衰が進んだ。もしかすると、これが不老不死の妙薬の副作用なのかもしれない。

 ライラは10年で一気に5、60年ほども老け込んでしまった。

 まだ体が動くうちにと、ライラはそこそこ大きな村外れに、1軒の家を買った。ここを自分の最期の場所にしようと思って。

 数年も村で暮らすと、村人たちとの交流も親密になり、お互い足りないものを補い合う関係性にまでなった。

 この家に来たばかりの頃は、まだ体の自由はきいていた。だが、数年もすると、全く足が動かなくなってしまった。

 それでも、まだ頭の方や手はしっかりしていたので、ライラは毎日ベッドの上で薬作りに励んでいた。


「ライラおばちゃん、頼まれてた薬草摘んできたよ」

 ライラの家によく出入りする人の姿があった。

 名をミレーナと言い、14歳の少女だ。

 ライラは一目見て彼女に魔法の才を見た。けれど、本人にも周囲の人たちにも自覚はない。

 ミレーナはライラのことを慕っていた。足が不自由になると、率先して家まで来て身の回りの世話をしてくれた。

 ライラもミレーナのことを好ましく思っていた。

 薬や薬草について、ライラの持つ知識を彼女に教えこんでいった。


 しかし、数年もすると視力も落ち、起き上がることさえ億劫になり、仕舞いには一日中ベッドで寝ていることが多くなった。

 いよいよ、死が近くまで忍び寄ってきているのがわかる。

 ミレーナも、そんなライラの様子を察してか、今まで以上によくライラのそばにいるようになった。




 ある日、ライラはもう食事でさえ喉を通らなくなってしまっていた。

 その日はミレーナが呼んだのか、家の中に村人たちが大勢集まり、ライラを囲っていた。

 皆一様に、心配そうな顔をしながら、しきりにライラに礼を言っていた。



 あの時解熱剤を調合してくれてありがとね。お陰で息子も7つまで生きられたよ。

 ライラさんがくださった薬のおかげで、今までの不調が嘘のようだよ。

 料理にも使ってみたらね、意外と美味しいし、顔色も良くなった気がするよ。



 ──……あぁ、まさか、こんな風に最期を迎えられるなんて。


 故郷を離れ、様々なことがあった人生だった。

 こうして、普通の人のように歳をとり、死を迎えられるということが、こんなにも素晴らしいことなのだと改めて思い知らされた。

 ライラはこの地に来て、子どもの頃以来の幸せな毎日を過ごしてきた。これ以上、思い残すことなどない。


「みんな……ありがとねぇ」


 ライラは静かに目を閉じた。

 誰かが手を握ってくれている温かさを感じる。

 遠くで、名を呼んでくれている声がかすかに聞こえる。


 ライラはそっと微笑み、永遠の眠りへとついた。




 -完-

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スズラン 碧川亜理沙 @blackboy2607

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