第2話 『どうやら染みついた硝煙の臭いって奴は消す事が出来ないようだ』

 それから二年が経過した。



 あの後、運が良い事に数日で職を得る事が出来た。賃金はお小遣い程度と激安ではあったが、住み込みであったのと、俺がまだ小さい子供だった事もあり、それ以上は望む事が難しかっただろう。


 店主夫婦は俺の事を可愛がってくれたし、小さいがレストランだった事もあり、俺は料理を学ぶ事ができたので不満はなかった。


 俺は朝から昼の部まで働き、その後は近所の子供たちと遊ぶ。こんな感じでこの二年間を過ごすこととなった。



 そして、痛感させられた。前世の記憶のある俺の心はもう壊れてしまっていたのだ。


 つまり、一年も過ぎた頃には『平凡』って奴に飽き飽きしてしまっていたのだ。あれだけ憧れていたのに、まあ『隣の芝生は青く見える』って奴だな……。



「アンリちゃん、本当に辞めてしまうのかい?」


「……うん、おじさん、おばさん、今まで本当にありがとうございました」


 涙ぐむ夫妻に俺もやはり目に薄っすらと涙を浮かべながらそう言うと、ぺこりとお辞儀をした。


 この二年で俺はこの店の看板娘となり、客のおっさんやおばさんからはちょっとしたアイドル扱いを受けていた。


 だから、ここを去る事が残念ではあったが、やはり、もう限界でもあったのだ。つまり、俺は冒険とか戦いとか、そう言った『平凡』とは程遠い世界でしか生きられなくなってしまっていたのだ。


「辛くなったらいつでも帰ってきていいんだよ。 あの部屋はずっとそのままにしておくからね」


 おばさんが俺の頭を撫でながらそう言ってくれた。不覚にも、その言葉に俺の瞳から涙が溢れ出した。



――いい世界だ。俺たちの戦いは間違いじゃなかったな。


 届くはずのない俺の前世や、その仲間たちにそう呟いた。



「そうしたら、おじさんのグラタンまた作ってね! バイバイ!」


「おう……」


 俺は出来るだけ明るい笑顔を作ってブンブンと両手を振ってその場を去った。



「……さて、まずは冒険者ギルドかな?」


 俺は一度大きく鼻を啜ると気合を入れる為に両手で頬を張り、そう呟く。


 流石に『勇者パーティーに戻してくれ』なんて言っても、そんな話が通るとは思えない。勝手に冒険をしても良い訳だが、それでは金にならない。まだ、所持金には余裕があるとは言っても無限にある訳ではない。


 だから、俺は冒険者ギルドの門を叩いた。



 俺はカウンターに行くと冒険者証を取り出すと受け付けらしき女性にこう告げた。


「あのぉ、取りあえず、この冒険者証を降格して欲しいんですけどぉ?」


「は?」


 当然の反応であった。


 苦労して上げた冒険者ランクを下げてくれ、なんて言い出す奴はまずいないからだ。


 だが、これには理由がある。冒険者のランクは上から順に『プラチナ』、『ゴールド』、『シルバー』、『ブロンズ』に特別枠として『勇者』の五区分となっている。


 『勇者』級冒険者(通称『勇者』)は神託によってのみ選ばれ皇帝直轄の集団となる。その為に登録はギルドではなく皇帝直々に行われ、その任務は勅命という形で与えられる。要するに基本的にギルドとは関りを持たないのだ。


 なので、『勇者』級ではギルドの仕事を受ける事が出来ない。だから、俺には降格してもらう必要があったのだ。



「え? これって『勇者』級……。 え!? え!?」


 何度も俺と冒険者証を見比べては驚きの声を上げる彼女はもっともであった。何せ俺はまだ十一歳になったばかりの小さな女の子だ。


 だが、冒険者証は嘘を吐かない。これが信用のおける身分証となるのは単に国が発行しているからだけではないのだ。これは特殊な素材、製法、魔法によって偽造が不可能とされているからってのが本当の理由だ。



「『ブロンズ』でいいんで、降格お願いします」


「あ! ……えーと、アンリ様ですね。 少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」


 そうだ。『様』なのだ。こんな得体の知れない幼女の俺にも『様』が付く。そんな特殊な階級なのだ。


 俺は短く「はい」と答えると別室に案内されて、そこで小一時間ほど待たされる事となった。



「アンリ様、大変お待たせしました。 私はここのギルド長を務めさせて貰っておりますガイウスと申します」


 髭面の大男が入室してくると自己紹介を始めた。俺も立ち上がりお辞儀をする。他にも何か色々言っていたが願いが通るか否かにしか興味のない俺は上の空でそれを聞き流していた。


「えっと、降格をお願いしたいのですが?」


「ふむ、結論から申しましょう。 無理です。 貴方もご存じの通り『勇者』級は皇帝陛下によって下賜される特別な階級。 ですので、それを剝奪できるのは皇帝陛下のみなのです」


「えっと、わたし陛下より勇者をクビにされているんですけど……。 それでもダメなんですか?」


「ふむ、アンリ様。 貴方は勘違いなさっているようだ。 資料で確認させて頂いた所、貴方の『勇者』級の登録は抹消されておりませんでした。 貴方は間違いなく今現在もユリウス様のパーティーに登録されている立派な勇者様なのです」



――どういうことだ?


 全く意味が分からなかった。まあ、降格が無理って言うのは仕方がないのかもしれないが、どうして俺がまだユリウスのパーティーメンバーんだろう?



「それとですね、これをどうぞ。 これは……確か二年くらい前にユリウス様がここを訪れて、いつか貴方がここに来るはずだから、その時に渡して欲しいと頼まれていたものです」


 そう言ってガイウスが渡してきた物は蝋で封印されている手紙だった。




 ~親愛なるアンリちゃんへ~



 これを読んでいると言う事は、やはり勇者の使命が忘れられなかったと言う事ですね。君の様に素直で清廉な子は必ずそうだと僕は信じていました。


 まずは謝らせて下さい。僕達は君に酷い事をしてしまいました。君の名誉を傷つけて泣かせてしまいました。本当にごめんなさい。


 でも、仕方がなかったのです。いくら才能があると言っても、この先の厳しい戦いに、まだまともに戦う事の出来ない小さな君を連れていく事なんてどうしてもできなかったのです。


 でも、この手紙を読んでいると言う事は、僕達が信じたように君は立派に成長して使命を果たそうと決心したからですよね?


 まずは力試しを兼ねて頑張ってみてください。そして、いつか深部で戦っている僕達に追いつけたら、その時はまた一緒に冒険をしましょう。その時が来る日を心待ちにしています。



                          君の兄貴 ユリウス より



「キモイ!」


 俺は思わず封筒ごと手紙を地面に叩きつけてしまう。


 カランという金属音があった。



 ん? 何か他にも入っている。



 それは……。俺の――アンリの名前が刻まれた冒険者証だった。


 


 


 

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