15.3章 欧州第二次作戦

 ウィルヘルム研究所訪問から2週間が過ぎて、1943年1月になった。巌谷少佐が収集した情報には東部戦線と北アフリカでのドイツ軍の戦いの情報が含まれていた。エル・アラメインでは英軍は攻勢に出ることができず、ロンメル軍団はアラム・ハルファを目指して攻勢を仕掛けた。しかし、強固に防衛された英軍の陣地を簡単に抜くことができずに戦力を消耗していた。


 一方、東部戦線では、ソ連軍に包囲されたドイツ軍は、空路による補給しか受けられずに時間がたつにつれて、どんどん弱体化していた。このままでは、スターリングラードから西方に脱出することもできなくなって、第6軍が降伏する事態も起こりかねない。


「小島さん、やはりドイツの戦況は、時期が多少ずれてはいますが、想定した方向に向かっていますよ。兵力を消耗してしまったロンメル軍団は英軍への反撃は不可能だと思います。現状は戦線が膠着していますが、このまま西方に押し戻されてもおかしくない状況です。東部戦線もスターリングラードでは負け戦が確定です。第6軍が降伏すれば、戦線は大幅に後退する可能性がありますよ。スターリングラードが戦いの転換点になる可能性は、軍令部資料にも書かれています。これは、鈴木少佐の知識を基にした想定内容なのですよね」


「東部戦線の戦いの状況が、今後のヒトラー自身の行動を左右することになるのは、鈴木少佐から聞いている。このまま西方にドイツ軍が押し戻されたならば、督戦のためにヒトラー自身が東部戦線を訪問することになると予想している。スターリングラードで消耗したドイツ軍は西に押し返されて、ソ連軍がドネツ川を超えてウクライナ東部を取り戻す。それをマンシュタインが攻撃して再度奪還する流れになるはずだ。今の状況を見ると、戦線の推移はほぼ想定通りだが、時期は少し遅れている」


「軍令部の検討した情報によれば、ドイツ軍がスターリングラードで敗退してからハリコフへの攻撃の準備期間に動きがあるということですね」


「そのとおりだ。短い時間にいろいろな出来事が順番に起こるので、我々にとっても、想定通りに進んでいるのか、ずれているのかが判定しやすい。しかも、想定通りのシナリオで事態が推移すれば、その間に反ヒトラー派が活動できる状況となるはずだ。我々にとっても彼らが活動を開始する時期が見極めやすいということになる」


「それで、活動を行うはずのドイツ軍人についてですが、彼らに接近して情報の収集活動については進捗がありますか? 彼らの活動が進む前に、日本からの特別土産を渡す必要がありますよ」


「カナリス大将の下で行動しているのは、オルブリヒト中将と部下のシュタウフェンベルク中佐、それに東部戦線の南方部隊に配属されている参謀のトレスコウ大佐のはずだ。この三人が、我々にとって注目すべき重要人物ということだ。ここまでは事前情報でも判明している。オルブリヒト中将とシュタウフェンベルク中佐については、近日中になんとか会うことができそうだ。念願のカナリス大将と会えたおかげで、オルブリヒト中将を紹介してもらうことができたよ。すぐにも中将と話をするつもりだ」


 小島大佐はふところからメモ書きを取り出した。最初のページには日本で聞いてきた、ヴァルキューレに関する情報が書かれていた。2枚目が、彼がドイツで収集した詳細な内容だ。


「いろいろ苦労したが、ヴァルキューレ作戦についての情報をある程度入手することができた。ヴァルキューレは国防軍内の秘密情報に指定されているのだが、出発前に日本で聞いていた情報よりも、細かな情報まで入手することができた。我々の第二作戦は、ヴァルキューレ作戦への関与なしには不可能だ。君もよく頭に入れておいてくれ」


 ヴァルキューレは、もともと思わぬ所からの攻撃やドイツ国内の暴動や反乱に対してドイツ国内の予備兵力を結集して、国家の体制を守ると共に、内乱勢力に反撃するための手段として計画された作戦だった。予備兵力により防衛と反撃を行うこの作戦は、1943年になって、作戦範囲を拡大する修正を行っていた。予備部隊の招集だけではなく、国内の治安維持のために、マスコミ、交通、電気、通信などの国家体制を維持するための重要施設も指揮下に置くことを追加していた。加えて、小島大佐がつかんだ最新の情報では、ドイツ国内に戒厳令を発出して民間人の行動を制限すると共に、各省庁などの政府機関を掌握することまで、ヴァルキューレ作戦の範囲が拡大されていた。


 内容を理解してくると、この作戦はただ事ではないと巌谷少佐にもわかってきた。

「このヴァルキューレ作戦を発動することができれば、指揮官はドイツ国内の実権をあっという間に掌握することになりませんか? 特に予備兵力を指揮できる立場の人間であれば、兵力を使って容易にドイツ国内の重要拠点を制圧して事実上の支配者になる可能性も否定できません。いったい誰が考えた作戦なのですか?」


「ヴァルキューレを立案して、作戦拡大の改変まで行っている人物が、なんとオルブリヒト中将とシュタウフェンベルク中佐だったということがわかった。しかも、オルブリヒト中将は国内予備軍軍務局長に就任しているのだぞ。ヴァルキューレ作戦を発令できる立場であり、作戦の実行を指揮する司令官なのだ。私自身もドイツに来てから、いろいろな情報を入手してようやくわかったのだが、反ナチ派の彼らは、表に見える行動を起こす前に、以前から周到な準備をしているということになるな。鈴木少佐の知識でもこんな細かなところまではわからなかった部分だ」


「オルブリヒト中将と面談する予定になっているのですよね。その二人に会って、信用してもらえるのですか?」


「もちろん相手も、我々を全面的に信頼しているわけではない。それでも活動のための資金は欲しいだろう。この際、出し惜しみはせずに、私の自由になる金銀をいくらか渡そうと思う。それで、多少なりとも信じてもらって、何とか、我々が持参した特別な土産を彼自身か、彼の配下に手渡すことができないか探ってみるよ」


 ……


 東部戦線では、1月中旬になってマンシュタインが立案したヴィンテルゲヴィッター作戦(第6軍の救出作戦である「冬の嵐」作戦)が開始された。1週間後には、ついにスターリングラード内の第6軍とマンシュタインの第6装甲師団は手を結ぶことに成功した。ソ連軍の包囲網を破って、外界とスターリングラード内部とを結ぶ回廊を打通させたのだ。パウルスはこの通路が長くは維持できないことを承知していた。直ちに第6軍に命じて、スターリングラード市街から脱出させた。1月末には、まだ包囲網をめぐる戦いは散発的に続いているものの、実質的にはドイツ軍が撤退することにより、スターリングラードの戦いは終盤となっていた。


 スターリングラードでの負け戦にヒトラーは、激怒することになるだろう。この激情が、東部戦線での督戦をするために、彼自身の突発的な訪問を誘発することになる。


 ……


 1月末になると、日本軍の第二次ハワイ攻撃作戦が成功したことが伝わってきた。日本大使館を経由した情報としてまずは伝えられたが、直ぐにドイツの新聞もこの作戦について報道を行った。


 巌谷少佐が小島大佐に話しかける。

「いよいよ、ハワイ島に我が軍の基地を設営する段階になりましたね」


「ああ、これで我々の第一次作戦の結果を何とか生かせるような状況になりそうだな。我が軍は準備が完了次第、米大陸への攻撃を行うだろう。そうなれば西名博士たちの研究の成果が役立つことになる」


「我が軍が米大陸攻撃を実行するならば、欧州の状況もますます重要になります。我々も第二次作戦の詰めを行わなければなりませんね」


 小島大佐は強くうなずいた。


 ……


 ベルリン郊外の森に、小島大佐と巌谷少佐がやってきていた。ドイツ軍が実弾による訓練を行っている場所だ。やがて、オルブリヒト中将とシュタウフェンベルク中佐、取り巻きの士官がやって来た。小島大佐は、何度も彼らと会って、2月中旬になってやっと日本から持ち込んだ武器を実演してみせるというところまでこぎつけたのだ。


 挨拶を終わらせると、すぐにもオルブリヒト中将が用件を話しだす。

「今日は、日本から持ち込んだ面白いものを見せてくれるそうだね」


 潜水艦で持ってきた物品の中に陸軍に関連しそうなものとして含まれていたのが、個人携帯可能な噴進弾だ。さっそく巌谷少佐が肩に担いで、実射してみせる。通常の着発信管付きの弾頭をまずは撃った。

 横で見ていたシュタウフェンベルク中佐は当然という顔をしている。

「あれは通常の榴弾だな」


「着弾点を、双眼鏡で見てください」


 狙いをつけた錆びた鉄板には、丸い穴が開口していた。

「モンロー効果を利用した弾頭を使用しています。数十ミリくらいならば戦車の装甲板も貫通しますよ」


「なかなか興味深い。ロケット噴射で飛行してゆく砲弾自身は我々の装備にも含まれている。それを個人が担いで、対戦車戦にも使えるように軽量にうまくまとめたのだな。ちなみに、モンロー効果弾頭は我々も開発しているよ」


 次は、近接信管をつけた噴進弾を装填して射撃した。近接信管弾頭は、地上に着弾する前に地上から数メートル上の地点で爆発した。軍人ならば、このように頭上で爆発する弾頭が、いかに歩兵に対して威力があるかはすぐにわかる。物陰や塹壕に隠れている兵隊にも、一定の被害を与えることができるのだ。


 シュタウフェンベルク中佐が質問する。

「あれは、近接式の信管を使用しているのだな。いったいどのような方式の近接信管なのか?」


「電波を発信して受信する回路を内蔵しています。電波により物体に接近したことを検知して爆発するという仕組みです」


「わが国でも電波や磁気を利用した近接型の信管は開発しているが、まだ実用化できていない。設計資料などをもらえないだろうか」


 小島大佐は、内心では安心していた。どこまで、興味を引いてもらえるかわからなかったが、今日のところはうまくいったようだ。

「もちろん、小型の真空管を使用した回路などの図面を提供できますよ」


 オルブリヒト中将がニコリとしてうなずく。

「是非ともお願いしたい」


 巖谷少佐が説明を続けた。

「他にも我々はいろいろな信管を考えていますよ。例えば時間をもっと長くして、不発弾のように思わせて、30分後に爆発させるような信管もあります」


「我々は退却戦で爆薬や地雷を使ったトラップをよく使うが、時限式の砲弾や爆弾という案もあり得るのだな」


 会話を聞いていた小島大佐が、小さな木箱を持ってきた。

「信管の見本品です。これが着発式の信管ですね。近接信管は真ん中のものです。この一番右側の信管はまだ試作品ですが、かなり長い時間を設定できる信管です。高射砲弾などの仕掛けと同様に頭部が回るようになっていて、それを回転させて時間を設定します」


 シュタウフェンベルク中佐が想定通りの反応をしてくれる。

「時限式で爆発までの時間が簡単に設定できる信管ということか。例えば、1時間後に作動するような設定もできるということかな?」


「もちろん可能ですよ。1時間でも2時間でも動作時間を設定できます」


「時限式の信管も実に興味深い。実際に動作する信管をもらえないだろうか」


「たしか、潜水艦で持ち込んだ荷物の中に、時限式信管の実物もあったはずです。本国の許可さえもらえば、お渡しすることは可能だと思います」


 小島大佐は、精密機器の製作が得意なドイツが本気になれば、こんなタイマー式の信管などたやすく実現できることは、百も承知だ。それでも、彼らは今現在、確実に動作する時限式の信管が欲しいのだ。加えて、日本人からもらえば、ドイツ国防軍の同僚にも知られずに足がつくこともない。ひそかに入手可能なこの信管は、彼らにとってかなり魅力的なはずだ。


 オルブリヒト中将は、別れ際にもわざわざ念押ししていった。

「それでは、よろしく頼む。時限信管の件だが、連絡さえもらえば、私の部下が直ちにそちらを訪問するよ」


 ……


 小島大佐と巌谷少佐は手ごたえを感じてアジトに戻ってきた。

「思いのほかうまくゆきましたね。時限信管をすぐにも入手したいという欲求が丸見えでした」


「ああ、喉から手が出るほど欲しいのだろう。時限信管を早く欲しがっているところを見ると、我々が想像する作戦はすでに計画が立案されて、必要なものを集めているということになるな」


 巌谷少佐は、信管の一つを木箱から取り上げた。

「それにしても、こんな小さな機械部品一つでこの国の運命が本当に変わるのですかね? ドイツの運命が変わるということは、世界が変わることですよ。とても信じられない」


 小島大佐は日本にいた時の会話を思い出していた。

「鈴木少佐の知識を基にした解析では、カナリス大将たちの今回の計画は9割以上成功するはずだった。ところが最後に時限爆弾が作動しないことで、全てが失敗する可能性があるというのが、彼の頭の中にあった知識の分析から出た答えだ。こんなのは、完全に預言の範疇だ。我々もいくつかの可能性の中の一つの道筋だと考えていた」


「ところが、いくつもの案を試行錯誤して試すこともなく、今回の信管を要求する彼らの態度からは、鈴木少佐の知識が裏付けられたということですね」


「その通りだ。大型爆弾を準備するような、もっと手荒なこともあり得るかと思って準備をしていたが不要になった」


 小島大佐は、声を小さくして続けた。

「我々が信管を提供すれば、オルブリヒト中将たちの作戦は間違いなく前進するだろう。しかし、この先の実行は彼らに任せる。ドイツの国の将来はドイツ人自身が決めるのだ。我々がこれ以上深入りして干渉するつもりはない。まずは、日本に状況を報告するぞ。実際の信管を渡すのは、山本総長の指示が出た後だ」

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