15.4章 閃光作戦

 スターリングラードで包囲されていたドイツ軍は、何とか包囲網から抜け出すことに成功したものの、勢いづいたソ連軍の攻撃により、ドイツ軍はウクライナを西方へと押し戻されていた。


 ドイツ軍が後退を始めると、ヒトラーは毎日のように、国防軍最高司令部(OKW)のヨードル大将を呼んで東部戦線の状況を聞いていた。ヒトラーは第6軍のスターリングラードからの脱出を、彼が要求していたスターリングラード制圧に対する命令違反だと解釈した。総統命令に逆らって逃亡したと激怒して、パウルスを解任して降格させた。


 優勢なソ連軍がドネツ川を越えてハリコフを奪還すると、ヒトラーはついに我慢ができなくなった。自分自身が前線に行って、南方軍集団司令部のヴァイクス司令官に会わねばなるまいと言い出したのだ。ヒトラーは、総統専用機のFW200コンドルで、南方軍集団司令部のあるザポリージャを突然訪問した。彼は司令部の会議室で、威勢のいい演説を行うと翌日には帰っていった。


 国防軍があわただしく東部戦線で総統を迎える準備を行ったために、ヒトラーのウクライナ訪問は、すぐに小島大佐の耳にも入った。

「ウクライナのザポリージャをヒトラーが訪問したぞ。東ウクライナで負け続けていることが相当こたえている。私の聞いた情報によると、最近は不眠症になって、睡眠薬が手放せなくなっているようだ」


「ザポリージャへの電撃的訪問は重要な情報です。裏では、ドイツ軍を押し返したソ連軍に対して、マンシュタイン将軍を中心として反撃の準備が進められているはずです。その間に、オルブリヒト中将を中心とした一派が行動を開始しますよ。時期が多少前後するでしょうが、鈴木少佐の知識にかなり近い出来事が進行しています」


「ああ、予想通りならば、オルブリヒト中将とトレスコウ大佐の計略により、ヒトラーは次は中央軍団司令部を訪れるはずだ。そうなれば、カナリス大将の一派が仕組んだ計画が実行される条件が整うだろう」


 小島大佐は、ヒトラー自身の東部戦線訪問の情報とドイツ軍の戦闘状況を直ちに日本に暗号電で報告した。


 ……


 3月18日になって、日本から命令が届いた。宛先は小島大佐となっていた。たった一文の命令だ。

「スズヤダケノボレ」


 ニイタカヤマ(新高山)が台湾で最も高い山であるのに対して、鈴谷岳は樺太で最も高い山だ。この符丁は、山本総長とその取り巻きの一部しか知らない。山本総長自身が作戦開始を決断した場合に発令する命令となっていた。


 暗号解読の結果、出てきたこの言葉を、小島大佐はしばらく見ていた。彼にとっては、極秘で進めていた第二次作戦の最終段階を実行せよとの命令だ。今まで数カ月の間、準備を進めていたが、それをいよいよ実行することになる。彼はすでに情報部のカナリス大将と何度も会談を行い、反ナチグループの将軍たちにも会うことに成功していた。その結果、彼らの行動計画に関する情報を入手することもできた。ドイツ軍の士官に接近するために、日本から持ち込んだ金銀等の貴金属や資金を大いに利用した結果だ。


 小島大佐は、シュタウフェンベルク中佐に電話で連絡した。

「待たせていてすみません。やっと本国から返事をもらうことができました。お約束したモノを渡すことができます」


「それは良かった。私が指示する場所で、今日にでも受け取ることにしたいのだが、いいかな?」


「もちろん、問題ありませんよ。巌谷少佐から手渡すことになります」


 その日の夜、巌谷少佐は、ベルリン市街の目立たない裏通りでシュタウフェンベルク中佐に時限信管の入った木箱を渡した。


 信管の入手と並行して、シュタウフェンベルク中佐は、カナリス国防軍情報部長を介して、東部戦線への見学許可を取り付けていた。数名の部下を連れてスモレンスクの中央軍集団司令部を訪問して、戦いの状況を実地に見学することが許可された。もちろん、日本人から手渡された荷物を持ってゆくつもりだ。


 ……


 3月22日には、シュタウフェンベルク一行は、自ら手配したJu52輸送機に乗ってスモレンスクに到着した。参謀長のトレスコウ大佐が一行を出迎える。シュタウフェンベルク中佐は、トレスコウ大佐をよく知っていた。そもそもカナリス提督の配下で思いを同じくする同志なのだ。


 シュタウフェンベルク中佐はトレスコウ大佐と2人きりになるタイミングを見て作戦の合言葉を口にする。

「閃光を見ました」


 トレスコウ大佐が小声で答える。

「それは流れ星でしょう」


 お互いに、目配せで確認が取れたことを知らせる。

「早速だが、君がベルリンから持ってきた土産を確認したい」


 ベルリンから持ち込んだその荷物は、前線兵士の慰労のための食料品やタバコ、酒類の中に紛れていた。シュタウフェンベルク中佐が指で示した先には葉巻の箱があった。黙って、目当てのものを使うときの手順を書いた紙をトレスコウ大佐に差しだす。


 その時、一人の大尉が大佐の指示を受けて後ろから進み出てきた。

「心配ない。我々の同志だ。これからは彼に君たちとの連絡役になってもらう。シュラーブレンドルフ大尉だ」


 了解の意思を示すために大佐は、首を縦に軽く振って大尉に紙を渡す。

「この紙に荷物を動作させる時の使用法が書いてある。使い方さえ間違えなければ、確実に役目を果たしてくれると思う」


 シュラーブレンドルフ大尉はベルリンからの土産物を倉庫に運んでいった。


 倉庫には誰もいないことを確認すると、シュラーブレンドルフ大尉は、あらかじめ準備していたリキュールの瓶を取り出した。ボトルの中に入れてあった爆薬に新たな信管を取り付けた。信管を取り付けるために底に穴の開いたリキュールのボトルには、高性能爆薬が仕込まれていた。内部の爆薬はボトル1本が手榴弾2個くらいの威力がある。つまりこの1本のボトルが爆発すれば2個の手榴弾が爆発したことになる。日本から運んだ信管は、機械仕掛けの時計により作動する方式だった。持ち込んだ状態では信管は作動を抑止してあるので、安全装置を解除して時間を設定する必要がある。


 シュラーブレンドルフ大尉は、これとは別に、爆薬入りの2本のボトルを準備していた。このボトルには彼自身が調達した酸性液のアンプルを壊すと、針金が酸により溶けてばね仕掛けで雷管をたたくという、かなり旧式の信管が取り付けられていた。さすがに軍人の彼でも、爆薬は入手できても、長い時間が経過して作動する信管は、パルチザンが使うような旧式のものしか手に入れられなかったのだ。その点では、格段に信頼性が高そうな信管が入手できたのは本当にありがたかった。大尉は新しい信管のボトルと合わせて3本をきれいに包み込んだ。


 ……


 シュタウフェンベルク中佐がベルリンに急いで戻ると、オルブリヒト中将が待ち構えていた。

「荷物は首尾よくトレスコウ大佐に渡ったのだろうな」


「はい、私から彼の部下のゲルスドルフ大尉に直接渡しました。トレスコウ大佐たちの準備が進んでいることも確認しました。これで作戦可能になったと考えます」


 ……


 小島大佐が新たな情報を入手してきた。

「カナリス大将からの情報だ。総統がウクライナのスモレンスクの中央軍集団司令部を訪問することが決まった。恐らく、かなり近いうちに訪問するはずだ。オルブリヒト中将とトレスコウ大佐が訪問を強く要請したとのことだ。短時間で訪問が決まったのは、カナリス大将が裏で画策したに違いない」


 しばらくして、小島大佐がヒトラー総統のロシア前線への訪問時期について確定情報を入手してきた。

「4月5日にロシアの中央軍団司令部を訪問することが決まったぞ。彼らの作戦の結末がどのようなことになるかは、ドイツ人に任せて見守るしかない。しかし、作戦が成功すれば、我々も忙しくなるぞ。我々はこの国がこれからどのように変わってゆくのか、情報を収集して日本に報告しなければならない。将来の日本の行動を決めるためには、ドイツの内部情報が非常に重要になる。山本総長が望むような体制ができればよいのだが」


「うまくいかなかった場合はどうなりますか?」


「反ナチ派が逮捕されれば、我々の名前が出るかも知れない。ここに留まっていれば、処刑対象になるぞ。私はいざとなったら死ぬ覚悟だが、君はスイスかスペインに脱出しろ。まあ、脱出してから日本に戻っても、我々が頼りにしている人物が日本で左遷されることになれば、罰せられる可能性もあるがね」


「山本総長も裏でいろいろ動いているのですよね?」


「無論だ。そのために、これから予想されるドイツの体制を調べて日本に通知するのだ。その情報をうまく使ってくれていると信じている」


 ……


 トレスコウ大佐は総統専用機の爆破作戦を閃光作戦と名付けて、ヒトラーが東部戦線を訪問する時が唯一のチャンスと考えて準備をしていた。今回のヒトラーの行動予定に関する情報は、オルブリヒト中将が彼に知らせてくれた。これでヒトラーの東部戦線への到着と、出発の正確な日時をあらかじめ知ることができた。


 1943年4月5日になって、ヒトラー総統は彼の専用機でスモレンスクを訪問した。この日、東部戦線に到着してからもヒトラーは終始あまり機嫌がよくなかった。ソ連軍にドイツが押され続けているのは、指揮官たちの怠慢に原因があるのではないかと疑っていたのだ。疑念の対象には、マンシュタイン元帥さえも含まれていた。


 トレスコウ大佐は、シュラーブレンドルフ大尉に準備させていた3本のリキュールの包みを、ヒトラーに従ってやってきた総統副官であるブラント大佐に渡した。

「実は、参謀本部課長のシュティーフ大佐と今月の競馬の勝ち馬を予想したのだが、結局私が負けてしまったのだ。悪いのだが、本国にいる彼に酒を届けてほしい。遅れていたが、私からの負けの支払いだと伝えてほしい」


 どこか楽天的なブラント大佐は、トレスコウ大佐を全く疑っていなかった。

「シュティーフ大佐ならば、私も知っていますよ。わかりました。この荷物を預かります。私があなたから頼まれて、酒を持ってゆくという連絡は彼に入れておいてくださいね。それにしても、3本とは本数が多いのですね」


「ああ、彼には随分やられてしまってね。これでも少し足りないくらいだ」


 適当な理屈にも疑いをもたないブラント大佐は、FW200コンドルの荷物室に3本の酒瓶を積み込んだ。シュラーブレンドルフ大尉はもちろん時限信管の時間をセットして、さらに旧式の信管のカプセルに穴を開けてから包みを渡した。


 中央軍団司令のクルーゲ元帥とヒトラーとの会談は、実質的には形式的な激励と応援のメッセージだけで、具体的な対策は何も示されなかった。会合も終わり、あわただしく昼食を終わらせて、午後1時半になると、総統専用機はベルヒテスガーデン近郊の総統大本営に向かって飛び立った。


 総統専用機として使われているFw200には護衛として、新型機のMe410が4機随伴していた。このMe410は航続距離の長いFw200についてゆくために大型の増槽を爆弾倉内に追加していた。


 トレスコウ大佐は確実に自分の荷物が総統専用機に積み込まれるところを見守っていた。閃光作戦の成功を確信した彼は、オルブリヒト中将に直ちに状況を連絡する。もちろん作戦成功後に、ドイツ全土を速やかに反ナチス勢力で制圧するための作戦「ヴァルキューレ」を始動するためだ。


 オルブリヒト中将は、ベルリンのナチス勢を抑えるためにカナリス提督にも連絡を入れた。


 続いて、彼は国内予備軍軍務局長として、ヴァルキューレの準備命令を発出した。次に、閃光計画の結果を確認するために、大本営からベルヒテスガーデンのオーバーザルツベルクの飛行場に腹心を派遣した。ヒトラーは東部戦線の視察後に、オーバーザルツベルクの総統官邸に戻ることになっていたのだ。やがて夕刻となって総統専用機の到着予定時刻を1時間ほど過ぎると、随伴していた4機のMe410だけが着陸してきた。飛行場で待ち構えていたシュタウフェンベルク中佐にとっては、護衛機だけが着陸してくることは想定範囲内であった。直ちに4機の搭乗員を会議室に引き入れて尋問を行った。


 顔面が蒼白となった8名の搭乗員が、目撃した総統専用機の墜落時の様子を説明した。

「我々は離陸してから徐々に高度を上げてゆきました。当初は2,000mあたりの高度を飛行していましたが、やがて雷雲を避けるために3,000m以上の高度へと上昇することになりました。高度を上げてゆくと、突然総統専用機の胴体後部に閃光が見えました。3度ほど続けて光ったと思います。慌てて接近すると専用機の後部胴体には大きな穴が開いていました。専用機はゆっくりと高度を下げ始めましたが、大穴が開口した胴体は荷重に耐えられずに折れ曲がってしまいました。そのまま、総統専用機は錐もみになると地上へと落ちてゆきました」


 総統専用のFW200に乗せられたフランス産の酒瓶にセットされた爆弾は、積乱雲を避けるために総統機が上昇した影響を受けた。旧式の強酸のカプセルの信管は低温により化学反応が進行せず雷管は作動しなかった。しかし日本製の機械式信管は設定した時間が経過すると正確に作動した。1つの酒瓶の爆発が残り2つのボトルの爆薬を誘爆させた。


 しばらく無言でパイロットの発言を聞いていたシュタウフェンベルク中佐が、全員の顔をゆっくりと見まわした。後々のことを考えると、この場にいる全員の顔と名前は覚えておかなければならない。

「状況はわかった、それで、墜落した位置はわかるか?」


 航法を受け持っていた、後席搭乗員が懐から地図を出して、指さした。

「はい、私たちは総統専用機の後を追って、高度をどんどん下げてゆきました。機体がミンスクの南方50kmあたりで地上に落ちて激しく炎が吹き上がるのを目撃しました。あれでは間違いなく誰も助かりません。地上に落ちた地点まで下りて行って上空を3度旋回しながら、確認したので間違いありません」


 シュタウフェンベルク中佐は、閃光作戦が間違いなく成功したと確信した。Me410が総統機に随伴していたのは僥倖だった。いつまでも来るか来ないかわからない総統機を待つまでもなく、状況がはっきりしたからだ。ここで待ち時間が短縮できたのは本当に幸運だった。Me410の搭乗員に対しては、あらかじめ考えていた命令を口にした。


 いずれ彼らにも事実が知らされることになるが、今は時間稼ぎが必要だ。

「いいか、これは事故だ。しかも我が国にとって、非常に重要なことだ。これから私は司令部のオルブリヒト中将に報告しなければならない。君たちの証言も含めて伝えるつもりだ。それまでは、混乱を避けるために、このことは誰にも話してはならん。今からトラックに乗って私の車について来てもらう。誰ともこの事故のことを話すことなく、基地を出るのだ。何か聞かれたら司令部に出向いてから、全て報告するとだけ答えよ」


 シュタウフェンベルク中佐はオルブリヒト中将とカナリス大将に、飛行場から電話で報告をすぐに入れた。戦闘機パイロットから聞いた様子も含めて、総統専用機が墜落したことは確実で、閃光作戦は成功したと説明した。


 オルブリヒト中将はすでにヴァルキューレの準備命令を発していたが、大佐からの確認報告により、すぐに本格的な行動に移行した。ナチスのミュラーやヒムラーがこの事実を知って行動を起こす前に、なんとしても軍や省庁を掌握しなければならない。ここからは時間が勝負だ。


 まずは計画通り、配下の部隊にヴァルキューレを発動してドイツ国内の放送局や官庁、警察、通信施設を掌握させた。一方、カナリス大将は最初にゲシュタポと親衛隊を力ずくでも押さえつけなければ、自分たちの作戦がひっくり返される可能性が大きいことをわかっていた。国防軍で反ヒトラー派に属していたオスター少将に命じて、ミュラーやアイヒマンなどのゲシュタポの指揮官を強引な理由をつけて次々と拘束していった。


 オスター少将は国防軍防諜局という立場を利用して、日頃からゲシュタポや親衛隊の指揮官たちの住居や勤務地の情報を集めていたため、この任務にはうってつけだった。初動においてヒトラー派の将軍たちは完全に分断された。ゲーリングやゲッベルスなどのナチスの幹部も相互に連絡して行動を起こす前に拘束された。逮捕さえしてしまえば、その理由は後付けでいくらでもでっち上げられる。


 4月8日には早くもルートヴィヒ・ベックが臨時大統領を宣言した。この宣言は、直ちにオルブリヒト将軍が掌握していたラジオ局や新聞社から大々的に報道された。ベック大統領は首相にカール・ゲルデラーを任命した。これらの人物はいずれもオルブリヒト中将とカナリス大将がクーデターを計画した時から政府首脳の候補として、秘密裏に打診していた人物である。とにかく国内の混乱を避けて臨時内閣を立ち上げなければならない。幸いにも海軍や陸軍の多数の将官はナチスの活動を苦々しく思っていたので、この新しい内閣を支持した。多数の軍部が新大統領側について、ゲシュタポと親衛隊の行動を押さえつけることで、ドイツ国内の混乱は急速に沈静化していった。


 英国はこの重大な事件を、ラジオ放送前の7日にはドイツに潜伏していた諜報員からの情報により、把握していた。チャーチルはルーズベルトにこの衝撃的な事件の発生を知らせた。彼は、ソ連への通知は行わなかったが、スターリンもソ連独自の諜報網により、すぐに事実をつかんだようだ。

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