15章 新たな作戦
15.1章 新たな作戦の幕開け
我が軍がハワイへの攻略作戦を準備していた時期にさかのぼる。既に、軍令部にはいろいろ意見を聞かれたが、昭和17年10月になると再度軍令部から話が聞きたいとの要望を受けた。日比谷公園横の軍令部のビルを訪問すると、想定以上に多数の将官が待っていた。打ち合わせの相手は、第三部の小川少将と小島大佐、更に第一部の福留少将と第一課の富岡大佐だった。
既に、顔なじみになっていた小川少将は挨拶もそこそこに本題に入った。
「ご足労してもらって感謝する。今日は君の貴重な知識の中でも、特に欧州の状況について聞かせてもらいたい。今までは日本とアメリカとの戦いに関する情報が中心だったが、欧州の状況も目を離せないからね」
福留少将が続ける。
「実は、同席している小島大佐が、近々ドイツに赴任することになっている。彼には欧州で重要な活動してもらうことを予定している。もちろん秘匿すべき内容だ。ドイツでの今後の動きがわかれば、非常に重要な予備知識となるだろう」
さっそく、小島大佐が挨拶する。
「私は、来月か再来月にはインド洋経由でドイツに向かう予定です。鈴木少佐が、前回の小川少将との打ち合わせで説明してくれた内容については、事前に目を通しています。特に欧州の戦いに関係する部分については何度も読んでいますので、頭に入っています」
自分の知識のかなりの部分は、以前ノートに記述してしまった。しかもこの世界は、私が知っている歴史とは違う方向に歯車が回りだしている。
「先の打ち合わせで説明した内容から、あまり追加できることはありませんよ。現状で最も大きな話題は、ドイツの東部戦線での戦いだと思いますが、私の想定よりも若干ドイツに有利に推移しているようです。また北アフリカの戦いもドイツがまだ踏ん張っていますね。これは、既に話したことですが、双方ともに米国の援助が不十分になった影響が出てきていると考えます。これからの状況は……」
福留少将が片手を上げて制する。
「君の頭の中にある予見が、必ずしも的中するわけではないことは承知している。不確実なことは正直にそれをわかるように言ってくれ。推定事項は、君自身の想定なのだとわかるように表現してもらえば、意見を述べてもらってよい。君の意見であれば、的中する確度は高いはずだ」
スターリングラードの戦いについては、この世界での今までの推移を逆に小島大佐から説明してもらった。さすがに現状でのドイツの戦いをよく承知している。ほぼ史実通りに防戦が8月に開始されてから、市街戦は膠着状態になっているようだ。市街地の中央にある工場に立てこもったソ連軍が頑強に抵抗していて、ドイツの進撃を妨げているとのことだ。
私は、戦史として読んだ東部戦線に関する自分の記憶を思い出していた。史実に従えば、11月になるとルーマニア軍が守備していた戦線が北と南で崩壊して、ドイツ軍が包囲されるはずだ。
ソ連軍がスターリングラードを包囲するあたりから説明を開始した。
「ルーマニア軍の守備が突破されて、ドイツ軍は包囲されます。その結果、外部からの物資補給が空からだけになってしまいます。充分な補給を受けられなくなって、ドイツ軍は、スターリングラードを攻略することもできず、包囲を内側から打ち破ることもできません」
ここで、周りを見回した。異論はないようだ。
「それを放置できないので、昭和17年末頃にはマンシュタイン元帥の指揮で、市内の第6軍に対する救出作戦が始まります。この作戦が成功すれば、第6軍は消耗しながらも西方に脱出できます。但し、ソ連軍の包囲網を破ることができなければ、第6軍司令官のパウルス将軍は降伏することになるでしょう。どちらが実際に起こるのかは、わかりません。私は、救援が成功する可能性は五分五分だと思います」
ドイツの戦いがやや有利に推移しているので、スターリングラードの戦いの結末は史実通りではない可能性も否定できない。しかし、この戦いが契機となって戦力を消耗したドイツ軍は押し返されることになるだろう。一時的にハリコフを奪還するなど、ドイツ軍も反攻するが、クルスクの戦いで兵力を大きくすり潰すはずだ。ドイツ軍が夏季攻勢でもソ連軍に勝てない戦いの可能性を説明した。
……
小島大佐の質問が、北アフリカ戦線に変わった。
「北アフリカの戦いの見通しについては、どんな見解なのかね? 今年8月のエルアラメインでの戦いは、モントゴメリーの攻撃が不十分でドイツ軍から反撃を受けた。イギリス軍はその後は守りに徹して、いまだに攻勢に転じていないのだがどうなるのか?」
「英国軍の攻撃が不調だったのは、米軍のイギリスへの戦車や車両などの援助物資が不十分なのが理由だと思われます。近い将来には、連合軍のモロッコとアルジェリアへの上陸作戦が検討されるでしょうが、これもかなりの確率で延期されるでしょう。ロンメルが挟撃されるという事態は発生しないので、しばらくは、戦線が膠着状態になるのではないでしょうか」
小島少佐もこの見方には賛成のようだ。
「私も北アフリカ戦線はしばらく一進一退ではないかと思う。それでも、北アフリカにドイツとイタリア軍がいることで、地中海の連合軍も他方面に攻勢に出るわけにもいかないだろうな」
「そうですね。北アフリカでドイツ軍を駆逐できれば、今年の後半になって、地中海からイタリア南部への連合軍の上陸作戦の可能性が出てきます。しかし、北アフリカ軍団がしばらく頑張っていれば、そんな作戦も当面は不可能になると思います」
横で聞いていた福留少将が口をはさむ。
「まさかドイツ軍が勢力を盛り返して、スエズ運河地帯を占領するとか、東部戦線でも東進してソ連の油田地帯を攻略するようなことはないだろうな」
すぐに小島大佐が反論した。
「そこまでは、ドイツ軍でもとてもできませんよ。現状の戦線の崩壊を食い止めるのが精一杯のはずです。時間がかかるかもしれませんが、米国からの豊富な物資が届き始めれば、ソ連もイギリスもやがては攻勢に転じると思います。時間が経過してドイツ軍が消耗してくれば、物資の豊富な連合軍が優勢に戦いを進めることになりますよ」
福留少将が小声で言った。
「やはりドイツは勝てないのか。まあ、西側の戦線と東部戦線、おまけに北アフリカでも戦っているのだから無理もないな」
小川少将が黙ってうなずいている。
小島大佐が別の質問をした。
「それで、ヒトラー総統ですが、私が知っている範囲でも必ずしも彼に良い思いを抱いていないドイツ軍人は複数います。それなのに、ドイツが負けてきても、しばらくは権力の座に座り続けているのですかね?」
「確かに、ヒトラーを亡き者にしようという計画はいくつかあるようですが、成功しないでしょう。過去の計画も失敗していますので、本当に運の強い男という気がします」
今まで黙って聞いていた富岡大佐が、口を開いた。彼は私の話を一つも漏らさまいと、今までは黙々とメモを取っていたのだ。
「その計画とやらは、どんな作戦が想定できるかな? 君の口ぶりでは、複数の計画が存在するが、どれも失敗するだろうと聞こえる。少し詳しく教えてくれないか?」
結局、ヒトラーの東部戦線視察時の出来事や総統大本営での爆破事件を、これから予想される出来事の事例として話すことになった。こんな、論理的には根拠の小さいことをピンポイントで話しているのに、聞いている側は不思議に思わないのだろうか。あり得る話だと、割り切って聞いてくれるので話がどんどん進んでしまった。
……
休憩をはさんで、別の話題になった。日本の戦いだ。小川少将が以前の会話を思い出しながら、話し始めた。
「前回聞いた話では、ミッドウェーの攻略が失敗する可能性について聞かせてもらった。我が軍の空母も多数が損失する可能性があるということだった。一航艦の空母も搭乗員も大きな被害を受けて、我が国は守勢に回るということだったな」
ガダルカナルの戦いなどについては、間違いなくそのような状況にはならない。フィジーやサモアまで日本軍が進出しているのだ。もっと補給が先細ったところに反撃が行われるはずだ。むしろ今後、どのような米軍の兵器が登場してくるかの方が重要だ。
ひとしきり、これから竣工してくるであろう、米空母や戦艦、巡洋艦の説明になった。ジェット戦闘機やこれから登場する爆撃機についても、ことあるごとに話しをしてきているが再度説明する。
黙っていた富岡大佐が、突然饒舌になった。
「新型の爆弾についてはどうかね? 実は我々はつい最近、大学の物理の先生たちにも参加をお願いして検討委員会を立ち上げた。そこでは、核分裂エネルギーの利用について検討が始まっている。最近になって科学者たちの意見を聞いていると、とんでもない大威力の兵器ができるかもしれないと、私も考えるようになってきたところだ」
しばらく考えて、答えることにした。
「核分裂爆弾の1発で、都市を一つ壊滅させるくらいの威力があります。海戦で使えば1発で艦隊が消滅します。直接的な破壊だけでなく、放射能による障害も怖いですよ。放射線を浴びて、何日か経過した後に亡くなる人が多発します。この爆弾は米軍が国力をかけて開発しています。恐らく、世界に先駆けて完成させると思います」
「私は、物理学の知識は充分ではないのだが、もう少し詳しく教えてくれ」
……
私の説明を聞いて、富岡大佐が再び話しだした。
「我々は既に出遅れているということか。日本が同じ爆弾を保有できる可能性はあるのか? 実際に使わなくても、使う可能性があると言えば、相互の使用を止めさせることが可能かもしれない。ドイツの科学力を頼っても無理なのか?」
「核分裂についての理論研究はドイツでも進んでいます。理由までははっきりわかりませんが、研究や開発にかける人員や物量の差からドイツでの開発は完了しません。日本でも事情は同じでしょう。他の研究や開発を犠牲にして、多数の人員や資材、資金を何年も投入し続けることができるとは思えません。ちなみにアメリカ国内の研究拠点の一つは内陸部のニューメキシコ州のロスアラモスですが、テネシー州のオークリッジやワシントン州のハンフォードなどに、複数の工場や研究所が分散しているようです」
福留少将が最後にまとめた。
「今日の話を山本総長に私の方から説明しておく。核分裂爆弾に関しては、先般から始まった検討委員会の科学者の意見を聞く必要がありそうだ。但し、君の方が物理学者よりも結果を理解しているように思う。物理学者に意見を聞いたら、もちろん君にも報告するよ」
……
私と軍令部の会議からしばらくして、2名の軍人が理化学研究所を訪問していた。
「初めまして、軍令部第一部の富岡と申します。こちらは、軍令部第三部の小島です」
応対に出たのは、理化学研究所で素粒子物理学研究をしている永丘博士と西名博士だった。海軍は昭和17年7月に「核物理応用研究委員会」という名目で核エネルギー利用の可能性を検討する検討会を開催していた。2名の博士はこの委員会の主要なメンバーでもある。
西名博士には、軍人がなぜ研究所にまでやってきたのか心当たりがなかった。
「わざわざ、ここまで来たのには、それなりの理由があるのでしょう。どのようなご要件ですかな?」
「実は、現在建設が進んでいる2代目のサイクロトロンなのですが、海軍が優先して物資や建設要員を融通しますので、できる限り早く稼働させてもらいたい。既に、8割以上完成していると聞いていますので、1ヶ月以内で完成できるのではないでしょうか? 並行して海軍の技術研究所でも同じ装置を建設したいと考えています。目黒の技研でも早期に稼働を開始して、我が軍でも使いたいと考えています」
西名博士は、頭の中で計算しながらしばらく考えていた。
「我々が希望する建設材や機器が早期に手に入って、作業員も海軍さんで手配してもらえるならば、サイクロトロン2号機の稼働時期はかなり早くなるでしょう。恐らくご希望の時期に使用できる可能性も出てきます。逆に何も手を打たなければ、稼働は来年にずれ込む可能性もあります。海軍で建設を検討している装置については、現在建設中の機器には予備部品がありますので、それを活用すれば建設はかなり短縮できるはずです」
小島大佐があらかじめ準備してきたメモを博士の前に出した。
「これは、海軍内である程度、核分裂に関する知識を有する人物が書いた核分裂物質に関するメモです。専門家の先生から見てあっているでしょうか?」
二人の科学者は、メモを読んでしばらく小声で相談していた。やがて西名博士が口を開いた。
「ええ、ウラン235とプルトニウムの物理的な特性について書いているのですよね。核分裂反応を起こす物質として正しいと思います」
小島大佐が尋ねる。
「一定量の核分裂物質が存在するとして、短時間で爆発的な反応が生じるというのは事実ですか? 我々のメモでは爆弾と書いておいて、今更ながらの質問ですが、我々はその点にも一抹の疑問があります」
永丘博士が答えた。
「分裂反応を起こすためには、中性子を入射させることが必要です。また分裂反応を起こすと一定数の中性子が発生します。この物質の分裂反応に必要な中性子の数が、反応の結果で発生する中性子よりも多い場合、分裂反応は続かず一瞬で停止します。逆に反応に必要な数よりも多くの中性子が発生する場合、次々と核分裂反応が起こることになります。つまり、極めて短時間に連鎖的に核分裂物質内部に分裂反応が拡大することになります。これは爆薬の爆発と同じです。但し、発生するエネルギーが、とんでもなくけた違いに大きい」
西名博士が続ける。
「いくつかの実験から得られた結果に基づくと、核分裂物質を用いると後者の反応が生じるというのが、世界的な見解となっています。但し、我々も分裂反応が生起する物質の臨界量や純度については大まかな想定はありますが、実際に反応を引き起こすための詳細な実験結果や計算結果は持っていません。この物質を多量に生成することを期待しているのならば、今は不可能ですよ。かなり大規模な設備を建設して、生成と濃縮作業に時間をかけないと、分裂反応が生起するだけの、必要な量と純度の物質は作り出せません。今から開始しても恐らく、数年という単位の時間を要すると思います」
物質の生成に対して否定的な科学者の言葉に対して、富岡大佐が目配せして話しだした。
「確実な情報筋から、アメリカ国内では核分裂爆弾の研究と開発が行われているということをつかんでいます。ドイツからも多数の著名な物理学者がアメリカに渡っていますね。彼らも開発に参加しているようです。万が一、核分裂爆弾が使用されれば、壊滅的な被害が発生するでしょう。それに対抗することを考えているのです。そのために、ご協力を願いたい。ここで座していても、米国はやがて爆弾を完成させると我々は考えています。米国の科学力と国力がそれを可能にするはずです」
ぽつりと永丘博士がつぶやいた。
「確かに米国の実力があれば、開発と製造が可能だという意見を否定することはできませんね。それに多くの物理学者が、欧州からアメリカに亡命したというのはまぎれもない事実です」
二人の博士は顔を見合わせた。どうやら、富岡大佐の話について完全には納得していないが、了承する以外に選択肢はないと判断したようだ。
富岡大佐は、もう一枚の簡単なメモを出した。
「我々が考えている作戦を実行する場合には、核分裂物質が実際に必要です。素人が考えた一案なのですが、これを見てください。我々が想定できるのは、極めて大雑把な内容で、この程度のことしかわからないのですが、サイクロトロンを活用して可能な実験ですか?」
サイクロトロンで実験を繰り返し行ってきた西名博士が、メモを見てからじっと考え込んでいた。
「私が以前、サイクロトロン一号機でウラン237を生成して、存在を確認したときのやり方に似ていますね。確かに不可能ではありません」
メモに対する議論の行方を見守っていた小島大佐が話しだす。
「実は、私は近々ドイツに行く予定なのですが、かの地は明らかに素粒子物理学についての研究が進んでいるので、この実験に関する情報を集めようと考えています」
「そうであるならば、ぜひともベルリンでハイゼンベルク博士にあってください。カイザー・ヴィルヘルム研究所に務めているはずです。このメモの実験では、サイクロトロンが加速したイオンから中性子を生成して、物質に当てることになります。照射する中性子は、物質が吸収しやすい固有のエネルギーに制御する必要があります。中性子の速度を調整することに相当します。物質に当たる中性子の密度も反応を引き起こすためには調整が必要です。そのエネルギーと中性子密度に関する条件は、我々も実験を続ければわかります。しかし、似たような実験を行ってきたハイゼンベルク博士ならば、数値を知っていると思われます。その情報が得られれば、時間を大幅に節約して実験が早く進むはずです」
……
富岡大佐と小島大佐は、前向きの回答を得られて理化学研究所を後にした。軍令部に戻ると、西名博士から渡されたサイクロトロン2号機の設計図に書かれていたいくつかの部品の製造手配をすぐに行った。時間がかかりそうな部品は、横須賀の海軍工廠に製造を依頼したものもある。
組み立てを行う作業員も工廠の工員から、似た様な機器の組み立ての経験者を選定することを考えていた。大掛かりな精密機械という点では、サイクロトロンの組み立てといっても、船の機関部や兵装などの組み立てとそれほど違うわけではない。
次に、海軍技術研究所の二階堂所長に連絡して、目黒研究所で場所を確保してもらった。サイクロトロン2号機と同様の設備を建設できる場所をまずは確保したのだ。幸い、技研の資材を置いていた倉庫を利用すれば、充分な広さを確保できることがわかった。
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