14章 外伝

14.1章 富嶽の開発

 中島飛行機が受注した四発の大型爆撃機である十六試陸攻の開発は、昭和16年5月になると設計が本格化した。ほぼ同時に中島社内でTJ-30を基にした大馬力のターボプロップエンジンの開発も進展していた。


 技術者が必死にエンジンや機体を設計している間も、中島飛行機の社長である中島知久平氏は、彼自身の信念に基づいて精力的に活動していた。入手した情報から検討を加えて、米国との戦いに勝つための「必勝戦策」の内容を充実させた。更に、部下の小山技師長以下の第一設計課の技師たちに命じて、大型爆撃機の基本検討を進めさせていた。


 昭和16年12月には十六試陸攻は試製1号機がほぼ完成間近になって、機体の設計は一段落していた。これから試験を行って、短期間で完成させる作業は簡単なことではないが、機体の設計部隊にとっては山場を越えていた。加えて、ターボプロップのYTJ-301は地上試験機が完成していた。


 一方、「Z機」と名付けられた必勝戦策の中核となる大型爆撃機の検討が、次第に活発化していた。設計が進捗したのは、実現可能とする技術の目途が立ってきたことが大きい。経験の無い大型機の実現には、大変な困難が伴うと当初は想定されていたが、大きな壁を乗り越えられる技術的な進展があって、一気に前進したのだ。


 一つ目は、5,000馬力エンジンの実現だ。もともとは空冷18気筒を2基つなげて、空冷36気筒にするという、とんでもないエンジンを候補として考えていた。もちろん空冷4列形式のエンジンについては、実現可否に大きな疑問符がついていた。それが、3,000馬力のターボプロップエンジンであるYTJ-301の開発経験を生かせば、実現できることがわかってきた。


 YTJ-301の直径を若干拡大して、空気流量を増やすと共に、回転軸を2軸構成としてプロペラ駆動をするタービンを最適な回転数で動作させる。このフリータービン化により、YTJ-301では制約のあった高圧側圧縮機の回転数を、低圧側圧縮機とプロペラ駆動軸の回転とは無関係に最適化することができる。エンジン自身の大きさはわずかに直径が増すが、出力は2倍程度に増加するであろうと見込まれていた。ターボプロップであれば、2トンを大幅に超えるであろう36気筒エンジンに比べて、半分以下の重量で実現できる。


 もう一つは、空中給油技術の採用だ。Z機はアメリカ本土への爆撃を目標とするため、航続距離の要求レベルが非常に高くなっていた。日本本土から米国西海岸まで、約8,000kmであることを考えると、大陸内の目標への往復可能な20,000km以上が目標値になる。それを可能とするために、当初は多量の燃料を搭載してアスペクト比の長大な翼幅70mを超える機体が検討されていた。それが途中で、空中給油を一度行うことを前提とすることで、機体の規模は翼幅60m以下に縮小することができる。まだ前例のない巨大な機体だが、この程度であれば十六試陸攻を大型化した機体として、設計可能な範疇に収まってくる。


 実現可能な基本方針が決まれば、機体の設計は早く進展する。必勝戦策中のZ機の説明ページには、機体の図面や仕様の説明が追加されていった。しかも基本設計中とか風洞試験済みとかの説明文も追加されている。ターボプロップの6発エンジンで、空気抵抗の小さな高高度を長距離飛行するのが基本構想だ。


 昭和17年1月になって、中島社長は、設計が進んで大幅に具体化した必勝戦策の資料を持参して、軍の上層部を訪問して説明を始めた。私が和田廠長から、一緒に会議に出てくれと呼ばれたのも、その打ち合わせの場だった。


 会議室に出向くと面談の相手は中島社長と小山技師だった。うやうやしくお辞儀をして、中島社長自らの挨拶から会議が始まった。

「本日は、中島社内で検討してきた米国との戦いに勝つための方策について、ご紹介にあがりました。必勝のためには、この資料にあるZ機を実現することが必要です。ぜひとも私たちの考えた機体が、一刻も早く日の目を見るようにご協力を賜りたい」


 小山技師長が資料に従って、Z機について説明を行った。説明が一通り終わると和田所長は、一緒に出席している周りの空技廠の技術者達を見まわした。


 山名大尉が真っ先に発言した。

「既に機体の検討は、風洞試験も含めて実施しているとのことですね。機体の大きさは大きいのですが、空力的には開発中の十六試陸攻とそれほど変わりがないと思います。機体としては、実現可能だと考えます。但し、製造に際しては、機体の規模に応じて大量の資材を使うことになります。我が国でどれだけの数をそろえるのか、という所要数の検討は必要だと思います」


 続けて、三木大尉が見解を述べた。

「今日の図面を見た限りでは、機体の構造は十六試陸攻の円形胴体や厚板構造を踏襲しています。つまり構造としては、中島さんの経験を生かした手堅い設計と思えます。但し、高高度を飛行するために与圧構造を採用することになっていますが、この部分については、我々も未経験の分野です。既存の機体を試験用に改造するなどして、事前に高高度飛行の実験が必要に思います」


 和田廠長が私の方を見ている。無言でエンジンについて講評をせよと言っているのだ。技術者の観点での意見を述べた。

「現在、YTJ-301ターボプロップは試験中の状況ですが、ほぼ所要の3,000馬力は達成できる見込みになっています。一方、この資料にある5,000馬力のエンジンですが、YTJ-301の進化型です。エンジン全体の直径を増加させて、吸気空気量を増すことで出力を増加させています。加えて、現状の1軸構成から2軸に変更することで、圧縮機の効率を高めています。この2軸化の変更については、我々は、既にターボファンエンジンのTJ-22に2軸構造を採用しています。これらの経験を生かせば、短時間で実現可能でしょう。つまり、この資料の5,000馬力のターボプロップエンジンは実現可能だと思います」


 私たちの講評を聞いて中島社長が頭を下げた。

「私は、日本のためにZ機の開発が絶対に必要だと信じて、社内の技術者を集めて設計を行ってきました。一時期は、この小山君を中心としたメンバーを中島倶楽部にカンヅメにして昼夜設計を行ったほどです。その結果を認めていただいて、こんな喜ばしいことはありません」


 最後に和田廠長が意見を述べた。

「Z機の実現性については、空技廠の技術者が正直な意見を述べてくれたと思う。中島さん、私もこんな大型の爆撃機が飛ぶところを是非とも見てみたい。実現したならば、実戦で大活躍してくれるだろう。アメリカとの戦いも早期に終結できる可能性があると思えます」


 中島社長がそれに応える。

「紙の上の検討は、わが社で行うことはできますが、実際に機体を作るということになると、民間会社のわが社だけでは不可能です。是非とも海軍試作機の一つとして早急に発注をお願いしたい。この機体は、国を挙げての開発を行わない限り実現不可能です」


 和田廠長は最後になって、海軍に働きかけるとの意見を述べてしまった。

「わかりました。私からも海軍航空本部の方に働きかけましょう。我々、技術の側が可能だと言えば、航空本部もこんな機体は実現不可能だと門前払いをすることもないでしょう」


 私には若干の迷いがあったため、議論の最後には黙っていた。歴史に残るような大型機を実現するのは、間違いなく技術者としては興味がある。しかし、大きくなればなるほど、日本が国力を傾けても生産可能な数は減少するだろう。


 比較するならば、少数の大型機と多数の小型機が対象となろう。多数の小型機の代わりに生産した大型機が、空母の全盛期に、遅れて登場する巨大戦艦みたいにならなければよいと思ってしまった。しかし、巨人機不要論をここで展開できるだけの明確な論拠もなかった。


 ……


 中島社長が軍の上層部に必勝戦策の働きかけを行っている頃、この機体の開発を更に後押しするような事件が起こった。


 昭和17年3月に、ドーリットル隊による日本本土攻撃が行われると、にわかに風向きが変わった。爆撃機自身は撃退したものの、日本も米国を爆撃する手段を保有すべきとの意見が急に大きくなったのだ。航空本部は中島飛行機の意向を受けて、Z機の開発要求を行うことを決めた。もちろん、開発を推進すべきとの空技廠の和田廠長からの見解も要求発出に影響を与えている。


 日本の国力を考慮すると、こんな大型の機体を開発しても、数をそろえられないはずだ。それよりも連山程度の四発機の整備に注力すべきとの意見もあった。しかし、結果的に米国への攻撃手段を持ちたいという声に押されて、開発が強行された。


 昭和17年4月になって、十七試大型陸上攻撃機の名目で、ついに海軍から中島飛行機に開発要求が行われた。搭載するエンジンについてもYTJ-302の名称で発注が行われた。異例の機体とエンジンの同時開発だったが、初期の開発段階では、3,000馬力のYTJ-301を使用して機体の試験を行う予定となっていた。


 同時期に、陸軍からの打診により、海軍と陸軍の双方による統合開発機の位置づけで開発することが決まった。今までは、陸軍は様子見をしていたが、開発の状況から見込みありと判断しての決断だ。これは中島にとっては、願ったりかなったりだった。海軍対応の工場だけでなく、陸軍向けの工場でも部材や機体を生産できるのだ。開発や生産の力を陸軍と海軍向けに分断されないで済む。


 既に中島社内で先行して設計作業が進められていたことと、性能が確認できた連山の拡大型ということもあり、設計は順調に進捗した。


 昭和17年6月に日本軍のミッドウェー島への進出が行われたことで、十七試大攻の目標が明確になった。十七試大攻は通常の爆装で12,000kmを航続距離目標としていた。ミッドウェーからサンフランシスコ間の距離が約5,000kmであるので、この機体が完成すれば、作戦可能な距離となる。


 昭和17年8月には試作1号機が完成した。試作機のメインエンジンは、烈風改が搭載していたYTJ-301ターボプロップであった。正式なエンジンが完成するまでの臨時の位置づけだったが、機体としての試験は可能となった。連山の経験から、加速用の補助エンジンとして燃料効率の良いターボファンジェットのTJ-22を2基まとめて、左右の翼下に合計4基搭載していた。


 十七試大攻の試作機が完成してしばらくして、和田廠長に呼ばれた。廠長室では、航空本部で十七試大攻を担当している永盛少佐と何か話をしていたようだ。


 私が入ってゆくと、和田廠長が顔を上げた。何か言うよりも先に私の口から質問が出てしまった。

「何か十七試大攻に問題でもあるのですか?」


「問題というよりも、新たに課題が出てきたといった方がいいだろう。永盛君、君から説明してくれ」


「十七試大攻の速度向上について、軍令部から強い要望が出ている。最近、軍令部の第三部が、英国で単発のジェット機が飛行しているとの情報を入手した。ドイツでも双発のハインケル戦闘機が試験飛行を実施している。米国でも間違いなくジェット機の開発をしているだろう。軍令部は、十七試大攻が実戦に登場する頃には、各国でジェット戦闘機が実用化されているだろうと考えるようになった」


 ここまではいいかなという顔をして、永盛少佐は一度話を切った。

「その見通しは、正しいと思います。特に米軍は、新型戦闘機の開発が、このところ早くなっていますので、1年もしないうちにジェット戦闘機が登場する可能性があります」


「そこで、登場が予測されるジェット戦闘機の性能を考えると、十七試大攻の性能をもう一段上げることが必要だろうということになった。我が軍自身が、ミッドウェーの戦いで橘花改が米軍の大型爆撃機に対して、圧倒的に有利に戦えることを証明してしまったからな。そんな経緯で、速度への要求が一層厳しくなったのだ。中島の見積もりでは、ジェットエンジンを併用した場合に390ノット(722km/h)程度の速度が想定されているが、更に高速化してくれとの要求が出ている」


 和田廠長が引き継いで話す。

「鈴木少佐、今更なので、大きく設計変更はしたくない。その前提で速度を向上させられるいい案はないか?」


 少し考えて、エンジンの出力を増加させる案があることに気がついた。

「十七試大攻は、加速のためにJ-22を4基搭載することが決まっているのですよね。再燃焼により推力を増加させる装置をJ-22に追加することを検討中です。この装置を使用すれば、速度性能を改善できるはずです。再燃焼器を利用すれば、ジェットエンジンの推力は5割増し以上になります。J-22の場合はターボファン型のエンジンなので、ジェットの排気にも燃焼に使われていない空気をたくさん含んでいます。そのため、8割くらいは推力が増加しますよ。しかもエンジン自体は、J-22から全長が伸びる以外は大きく変わりません。欧米でもアフターバーナ―として、同様の機能を実現するはずです」


 和田廠長が首をかしげている。

「随分都合のいい話に聞こえるが、エンジンが重くなるとか、通常と異なる特殊な燃料が必要だとか言わないでくれよ」


「そんなことはありません。燃料は今までのジェットエンジンに使用されるものと同じです。ジェットエンジンの重量は追加する燃焼器の分だけは増えますが、全体からすればたいした増加にはならないはずです。但し、再燃焼を利用する時には、かなり燃料の消費量が増加します。あくまで短期の加速用で長時間は使用できません」


 ……


 初飛行から、3か月後には試作4号機に当初の目標となっていたYTJ-302エンジンを搭載することができた。やっと、5,000馬力として設計された本来ターボプロップを搭載して、機体の性能を確認できるようになったのだ。続いて、4号機には、YTJ-22Cと名付けたアフターバーナ―付きのエンジンを搭載することができた。


 十七試大攻4号機は軽荷重状態だったが、ターボプロップのみの飛行で、355ノット(657km/h)を記録した。加速用のYTJ-22Cのアフターバーナ―に点火して全力運転すると、436ノット(807km/h)を達成した。軍令部では432ノット(800km/h)を超えることを目標にしていたので、それを満たしたことになる。速度要求を満たしたため、採用は確実だ。この結果を受けて関係者が協議した結果、本機の名称を富嶽と決定した。


 しかし、機体やエンジンの試験が進んでも武装の開発が思うように進まなかった。もともと与圧室を装備することが、高高度を長距離飛行する機体に必須な機能として当初から予定されていた。エンジンの圧縮段から抽出した高圧空気を利用することで、機体前部と尾部に設けた与圧室はなんとか実現することができた。


 一方、防御用の銃塔については、それ自身を与圧構造にするのは困難なので、B-29のように遠隔操作とするしかない。しかし、中島がいくつかの形式を試作したが、精度よく照準できる遠隔操作ターレットが実現できなかった。油圧やモーターを利用して、銃手が照準した目標に狙いをつけられる銃塔を何とか試作したが、重量が大幅に超過してしまった。しかも狙った目標への精度は、銃手が内部に入って狙う従来構造の銃塔にかなり劣っていた。照準器と銃自身の位置の違いからくる視差の補正ができないのと、機構上のメカニカルながたつきによる銃の方位の誤差が原因だ。しかも、上下左右に動く照準器に同期させて、機銃の向きや迎角を変える複雑な機構には、故障が頻発した。


 それでも機体自身は飛行試験を消化して、速度や航続距離、爆弾搭載量はほぼ要求を満たしていることが確認できた。最終的に連山同様に、機体尾部の銃座だけを設置して、要撃時のみ酸素マスクをつけた銃手を配備することにした。昭和18年1月になって、胴体の上下に予定されていた4基の銃座は、後日実装するとして未搭載のまま生産に入った。むしろ、防御銃のないクリーンな胴体で速度を優先した方が、被害は少なくなるとの意見が出たほどだ。


 ……


 十七試大攻 G8N1 富嶽11型 昭和18年2月

・全長:41.0m

・全幅:59.5m

・全高:11.0m

・主翼面積:285.0㎡

・発動機:ネ302ターボプロップ:5,000馬力×4、ネ22C:推力1,900kgf×4

・プロペラ:フルフェザー付き定速6枚(直径:4.9m)

・全備重量:148t

・最大速度:355ノット(657km/h) 高度9,000m、ジェットエンジン併用:436ノット(807km/h)

・実用上昇限度:12,500m (ジェットエンジン併用時)

・航続距離:12,000km (フェリー時:21,000km)

・爆弾:最大20トン

・武装:尾部に13.2mm×2

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