11章 外伝

11.1章 ターボプロップエンジンの開発

 昭和16年5月になって、中島飛行機が主契約社となっているネ30の開発も一段落していた。橘花や一式陸攻をベースとしたG6M2による飛行試験も進捗して、既に制式化のめども立ってきている。工場でもネ30を流れ作業で生産するための量産ラインが整備されつつあった。そんな時、中島飛行機の最高責任者が、中島エンジン生産の責任者である佐久間支配人とエンジンの開発統括をしている小谷課長に、話したいことがあると伝えてきた。


 二人が社長室に入ってゆくと、中島社長は気さくに話しかけた。

「ジェットエンジンの開発は順調かね? 聞いたところではほとんどの問題は片付いてもうすぐ、制式化する見込みだそうだな。わが社で機体の開発をしている小山君なんかは、次の戦闘機はジェットエンジン無しには考えられないと言っているぞ」


 佐久間支配人が答える。

「はい、おおむね今まで発生した問題も解決して、わが社のジェットエンジン開発は終盤となっています。既に工場では量産の準備を始めています」


「それは良かった。実は今日はちょっとしたお願いがあって、来てもらった。この文書はまだ書き始めたばかりなのだが、これに書かれた大型機を実現したい」


 中島社長の前の机には「必勝戦策」と表紙に書かれた書類が置かれていた。


 中島飛行機の発足時から、一緒に仕事をしていた佐久間は、最近になって社長が何やら検討を始めたという風評を耳にしていた。日米の戦いが避けられない状況になりつつある世界情勢を考えて、中島社長自ら本気で対米戦略を考え始めているといううわさだ。その結果がこの文書なのだろう。


 中島社長の依頼という名の命令は、この「必勝戦策」の中核となる大型爆撃機に使えるエンジンを開発せよということだった。機体は開発できても高性能のエンジンができないならば、それは画餅になってしまう。爆撃機のエンジンとしては、現状の試算で5,000馬力以上が目標になるとのことだ。5,000馬力はガソリンのエンジンで実現しようとするとかなりハードルが高い。エンジンだけは、早めに着手する必要があると思っていたところに、全く新しい構造のエンジンの可能性がでてきた。新エンジンの開発を依頼したいということだった。


「ジェットエンジンも性能はいいのだが、燃料の消費が大きい。米国爆撃が可能な航続性能を前提とすると、今のところはプロペラで飛ぶことが必須になる。海外の文献を調べると、ジェットエンジンを基にして圧縮羽根だけでなく、プロペラを回転させるターボプロップエンジンというのが考えられているそうじゃないか。イギリスやドイツの研究ではかなりの高馬力が期待できるとあって、ダイムラー・ベンツ社などが開発に着手したようだ。もっとも、世界で開発に成功したところは、まだ一つもないようだがね」


 佐久間支配人が先回りして確認する。

「つまり、わが社で開発したネ30を基にして、ターボプロップエンジンを開発せよということですね。それもできるだけすみやかに5,000馬力以上を達成せよとのことですね。私も論文くらいは目にしたことがあります。やってみますが、どれほどの出力を達成できるかは全く保証できませんよ」


 中島社長は満面の笑みでうなずいた。

「まずはそれでよい。まずは可能性を検討してくれ。もう少し低馬力のエンジンからの段階的な開発になってもいいぞ」


 中島社内で独自の取り組みにより、ネ30をベースとしてターボプロップエンジンの開発が開始された。


 それまで発言を控えていた小谷課長が話し始めた。

「一つお願いがあります。この手の新型エンジン開発に関して、どのような方向で進めたらよいか、適切な助言ができる人物が空技廠にいるのです。社長からその人物に、ターボプロップエンジン開発の支援をするように、依頼文を書いてもらえませんか?」


「聞いたことがあるぞ。その人物の名前は確か鈴木と言ったはずだな。もちろん、私自身が考えたこの戦策を実現するためには何でもしてゆくつもりだ。空技廠にお願いするくらい、造作もないことだ」


 ……


 私は中島社長からの依頼文を前にして、佐久間支配人と小谷課長から、中島飛行機のターボプロップエンジン開発計画の説明を聞いていた。和田廠長からも、中島社長直々の依頼だから、しっかり対応するように言われている。

「……という内容で、ターボプロップエンジンの開発を行いたいと考えています」


「正直に言うと、私自身、ターボプロップエンジンについて詳しい知見があるわけではありません。しかし、ターボプロップというエンジンの分野は、これからもっと発展してゆきますよ。大馬力から小馬力までいくつもの種類のエンジンができてくると思います。その観点からは全く的外れではありません。ネ30を基にするという考えも悪くないと思います」


 佐久間支配人が、あらかじめ考えていたことを質問してきた。

「あながち、我々は的外れではないということですね?」


「方向性は外れていない。そこは確信を持って言えます。技術的な課題はいろいろあると思いますが、それを解決すれば、実現可能だと思います」


 次に、小谷課長から技術的な質問が出てきた。

「今まで、誰も実現できていないエンジンで、様々な問題があるだろうということは承知しています。想定できる難しい事項があったら、あらかじめ教えていただきたいのですが」


「プロペラを回すための駆動力を得るためには、タービンの段数をネ30の1段から3段か4段程度に増やす必要がありますが、多段タービンが開発のポイントになりますね。もう一つは回転軸を2軸にするか否かです。2軸構造にして、プロペラを回転させる追加のタービンを内側の軸に接続して、もともとのエンジンの回転軸の内部に通すというやり方があります。圧縮機とプロペラで回転数が違っても問題にならないやり方です。一方、1軸構成にして全て一緒に回転させる案もあります。構造は簡単ですが、プロペラは当然エンジンの回転数の増減に合わせて、回転数が変動するので、エンジン制御は複雑でしょう。最後にやはり減速機の構造ですね。ジェットエンジンは1万回転くらいで回転していますが、プロペラを回すためには、それを数分の一以下に落とす必要がありますよね。高馬力で高回転の減速機はやはり技術的に難しいと思いますよ」


「多段タービンと、減速機は、ターボプロップの基本構造なので我々も充分認識している課題です。回転軸の構成は2案あるということですね。優劣がありますか?」


「単純だけど制約がある構成と複雑だが制約の少ない構成という関係になっているので、一長一短です。私にもはっきりしませんが、どちらの方向でもターボプロップとして実現可能だと思います。2軸の回転軸については、我々が研究しているターボファンエンジンでも利用しているので、そこでの成果はお渡しできると思います」


 佐久間支配人が、思い込んだように少し間をおいて話始めた。

「実は、このエンジンにはわが社の中島社長がかなり入れ込んでいまして、最初は3,000馬力程度でよいが、改良して5,000馬力を必ず実現せよと、厳しい注文をつけられています」


 中島社長の5,000馬力の要求は、私の未来の知識でもわかる。後の世まで伝えられている発言だ。遂に中島社長のZ機が出てきたと思った。

「社長の言葉は、『5,000馬力を1馬力たりとも下回ってはならぬ』ですね」


 佐久間支配人と小谷課長が、驚いたように顔を見合わせた。

「まさに、その通りのことを言っています。中島社長の発言をどこかで聞かれたのですか?」


「ま、まあ、中島社長さんもいろいろなところで、ご自分の意見を表明されているようなので、我々の耳にも入ってきますよ」


 ごまかしておいたが、なんとか信じてくれたようだ。自分たちが開発しようとしているエンジンの方向性と対処すべき課題について確認できたのだろう。二人は感謝して帰っていった。


 ……


 昭和16年10月になって、中島飛行機から検討が進んだので、ターボプロップエンジンの開発について説明したいとの要望があって会議が設定された。会議室に行ってみると、小谷課長と中川技師が待っていた。空技廠側は、種子島中佐と永野大尉、それに私というメンツだ。説明用資料が机の上に既に置いてある。


 挨拶が済むと、資料に従い、早速中川技師が説明を始めた。

「……変更の要点は、ネ30を基本形として、このターボプロップエンジンでは、プロペラを回転させるための駆動力を得るために、タービンを4段に増加させます。ジェットエンジン圧縮器の回転数は、11,000回転程度という非常な高速なので、遊星歯車式の減速ギアにより1,500回転程度に回転数を下げて、プロペラを回転させます。ネ30の前面に頑丈なパイプ支持構造を追加して減速機を接続する予定です。回転軸構成はプロペラとコアエンジンの回転を分離する2軸構成とします。構造は複雑ですが、所要の出力を得るためには、結局早道だろうと判断しました。目標とする出力は、軸馬力と燃焼ガスの推力を合わせて3,000馬力を考えています」


 種子島中佐はいつもと同様に開発に前のめりだ。

「今後の航空機のエンジンの動向を考えると、2,000馬力を実現した18気筒の次も、必ず大馬力エンジンの要求が出てくると考えています。その時にこのエンジンができていれば要求に応えることができます。中島さんの開発計画に賛成です」


 私の方を種子島中佐が向いたので、意見を言っておこう。

「ターボプロップは、未知のエンジンですがこれからまだまだ発展します。ネ30をコアとするならば、3,000馬力をまず実現して、そこから改善してゆけば5,000馬力も可能だと思いますよ。至急進めるべきだと思います」


 中島飛行機のターボプロップエンジンは、開発する方向でトントン拍子にまとまった。航空本部も開発を承認して、開発名称をYTJ-301と決めた。ネ30の圧縮機や燃焼器の構成を引き継いで、ターボプロップとしての機構を追加してエンジンの設計は進んでいった。協力会社としては、ネ30でタービンを担当していた石川島と燃焼器担当の住友金属も参加することとなった。


 誰もが未経験のエンジンであるために、事前の模擬実験が開始された。例えば、減速機部の機構については、電動モーターや既存のレシプロ発動機を利用した実験機を作って確認した。また、多段のタービンについても、模型と風洞試験で内部の気流については確認して翼断面などを決めていったが、実際のところは、動かして試験しないとわからない。


 もともとベースとなるネ30というエンジンが既にあったために、新しい形式のエンジンとしては、試作機の製造までは早く進んだ。昭和16年12月には、早くも地上試験一号機が完成した。ところが実際に運転を開始してみると、いろいろな問題が出てきた。


 減速ギアについては、摩耗とギアの振動による破損が発生したため、歯車と潤滑油の系統の再設計が必要となった。また、4段のタービン翼は目標とする回転駆動力をなかなか発揮できなかった。燃焼ガスは圧力と速度が各段で減少してゆくので、それぞれの段のタービンの半径や仰角の変更が必要なことはわかっていた。しかし、更にタービンの効率を改善するために断面形状も変えて、翼断面のねじりを半径方向に変えることにより効率を改善することになった。2軸構成の回転軸も振動問題が発生して軸受けを強化するために、構造の変更が必要になった。


 更に、ターボプロップでは、定速プロペラを備えたことにより、燃料制御器の方法にジェットエンジンとは異なる制御が必要になった。従来のジェットエンジンはスロットル操作に加えて、大気圧とタービン温度を監視して燃料流量を調整していた。これに加えて、スロットル操作にプロペラピッチも連動させる必要があるので、複雑な燃料制御機構を開発する必要が出てきた。ジェットエンジンは単純に回転数の増減がジェット推力の増減に直結していたが、ターボプロップでは回転数がさほど変化しなくても、プロペラピッチ変化で推進力を変化させる。それに連動して燃料噴射量を調整しないと出力が制御できないのだ。やはりターボプロップの開発は一筋縄では進まない。


 ……


 昭和17年7月になって、草鹿中将と加来少将は艦隊の参謀を引き連れて、久しぶりに空技廠庁舎を訪れていた。来訪の目的は、ミッドウェー海戦において、米海軍から登場してきた液冷の新型戦闘機への対策だった。戦闘が終わった直後に連合艦隊名で依頼を出していたので、空技廠での検討結果を聞きに来たのだ。和田廠長と検討を行った技術士官が草鹿中将を出迎えていた。


「早速ですが、検討の結果をお聞かせ願いたい。対戦した搭乗員の話では、新型のあの鼻のとがった液冷戦闘機は370ノット(685km/h)以上の速度だったと聞いている。特に6,000m以上の高度で烈風との差が広がるようだ。これを放置するならば、わが軍の烈風もかなり苦戦することになる。ジェット戦闘機ならば対抗できるのだが、それを運用できるのは、大型の一部の空母だけだ。わが軍では当面の間、戦闘機としては烈風を使い続けなければならない」


 和田廠長がまずは説明を始めた。

「性能を向上させるために、まず発動機の変更及び、それに伴う機首部分の変更を行います。それではエンジンの変更から説明します」


 私の専門分野が最初に指名された。準備しておいたメモを配って説明する。

「まず、今回の戦闘ですが、要撃戦闘において6,000m以上の高度での戦いが、しばしば発生しています。敵味方共に、電探により艦隊に接近する前の段階で攻撃隊を探知することが一般的になってきました。それに伴って、高度の高い所を巡航中の攻撃隊と防御側の間で、早期に戦闘が発生しているということが要因だと思われます。加えて米軍が高高度からの誘導弾攻撃を行ったことにより、艦隊上空でも高高度での戦闘が発生しています」


 草鹿中将が首を縦に振っている。

「その傾向についてはこれからも変わらないだろう。むしろ私は、高高度での戦いと、電探を避けての超低空飛行する敵との戦いに2極化してゆくと思っている」


「まず、高空性能と速度向上のために中島で開発中のターボプロップエンジンを採用します。今までいろいろ問題も出ていますが、何とか一式陸攻にエンジンを搭載して、飛行試験を開始しています。現状で、高高度でもおおむね2,900馬力以上は発揮できる見込みになっています」


 三木少佐が引き継いで説明することになった。

「エンジンを換装すると、直径も長さも変わりますので機首は再設計になります。スピナの周りの機首から空気を取り入れるところは変わりませんが、エンジンの直径が小さくなって、鼻先が細長い形状となります」


 簡単に書いた外見図を三木少佐が広げてみせる。

「随分細長い機首になるな。これじゃあまるで液冷戦闘機のようだ。視界と空気抵抗は改善されそうだが、重心は大丈夫なのか?」


「エンジンの重量が軽くなりますので、その分、前に突き出しても重心は変わりません。むしろ、積極的に前方に装備することで、重心を調整しています」


 黙って聞いていた加来少将が質問する。

「2,900馬力のエンジンで、性能はどの程度向上するのですか? 肝心の新型液冷機に勝てるのですよね? それと実現時期です。まだ開発中のエンジンなのですよね?」


 飛行性能については三木少佐が答える。

「現状での見積もりですが、今の烈風は高度6,000mで360ノット(667km/h)速度ですが、高度7,000mで400ノット(741km/h)以上に改善します。エンジンの馬力が増えるので、高空性能も速度も向上して、更に、上昇性能が大きく改善します。機首形状の変更で、空冷エンジンよりも空気抵抗が減少しますので、降下時の突っ込みなどの性能も全般的に良くなります。」


 ターボプロップの実現時期については、私から状況説明をしておこう。

「機体の方ができても、エンジンが新型でまだ試験中ということで、配備までには、数カ月くらいはかかると思います。正直に言って、エンジンの問題が全て片付いているわけではありません。それでも、目途は立ってきていますから、この後は時間が解決してくれるものと思っています」


 草鹿中将がにやりと笑った顔をしている。おおむね満足する回答があったということだ。

「エンジンの方は大丈夫なのだろうな。そうであれば、大きく性能が改善した機体をあてにできる。そこまで性能が確保できるならば、敵の新型機にも対抗できるだろう。ミッドウェーの戦いで使ったハイオクタンガソリンも底をつきつつある。ターボプロップとやらにエンジンが変われば、航空ガソリンについては、ジェットエンジンと同じ灯油程度の石油でいいのだろう。それも大きな利点になるな。開発期間については、技術者諸君の頑張りに期待するしかない。可及的すみやかにお願いしたい」


 TJ-301は昭和17年10月になって制式化された。中島社内の構想段階から数えると、ほぼ1年半の期間を要したことになる。まずはこのエンジンによる高性能化が最も必要な烈風に搭載してゆくことになっていた。既に三菱の工場では首無し機が待っていた。


 TJ-301(統合名称ネハ301)  昭和17年10月

・全長:2,500mm

・直径:880mm

・圧縮機:軸流式3段+遠心式1段

・タービン:4段

・燃焼器:燃焼器:16(キャニュラー式)

・重量:850kg

・回転数:11,300rpm

・タービン入口温度:約790℃

・相当馬力:2,900hp(軸馬力2,670hp+推力360kgf)

・オーバーホールまでの運転可能時間:約200時間

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