10.3章 日本海軍の状況

 日本国内では、アメリカとの戦いで、次々と海軍が勝利をおさめていることは、国民に伝えられていた。戦闘の細部はぼやかしながらも新聞やラジオが大勝利との見出しで報道した。特に勝利の原動力として、連合艦隊の機動部隊が英米の戦艦と空母を撃沈してきたことは、ほとんどの日本人が知っていた。


 その中でも、何度戦っても勝利する2名の人物は「常勝将軍」とさえ言われるようになった。一人はもちろん連合艦隊司令長官の山本大将だ。もう一人は一航艦を率いて戦ってきた山口中将である。やがて、世間でもこの2名のこれからの出世が、当然のことのように噂話となっていった。多数の国民だけでなく、伏見宮元帥からも、2人を出世させることに賛成するとの意向が婉曲に伝えられた。


 嶋田海軍大臣は、もともと東条内閣に批判的で米軍との開戦に反対した山本長官とは個人的にそりが合わなかった。しかし、大多数の国民からの人気に加えて、やんごとなきお方の意向には逆らえない。結局、嶋田海軍大臣は東条首相と相談せざるを得なくなった。


「昨今の国民への人気とあのお方の意向を考えますと、山本と山口の2人を昇進させたく思います。よろしいでしょうか?」


「首相なのですから、私には海軍人事に口出しすることはできません。海軍に今後も頑張ってもらうためには、昇格も必要なことだと考えています。逆に嶋田さん自身はそれでいいのですか? あなたは山本さんとは意見が衝突したこともあるはずですが、彼の発言力がますます強くなりますよ」


「山本大将とは必ずしも見解が一致しまませんでしたが、これからの我が国の舵取りには、必要なことと考えています」


 東条首相の合意もとれたことで、昇進手続きが具体的に進みだした。元帥会議も開催されて、山本大将は元帥大将となった。同時に山口中将も大将に昇格した。


 ……


 一方で連合艦隊の常勝で評価が下がった人物がいた。真珠湾攻撃に強く反対して、その次はミッドウェー攻略よりも南方の作戦を優先すべきだと繰り返し発言してきた人物だ。結果論だったが、連合艦隊が行った作戦は全て成功して、軍令部総長の主張は間違っていたということになってしまった。その主張の最先鋒だった軍令部総長は、舵取りの間違いを認めて交代すべきだとの意見が海軍内部にとどまらず、陸軍でも次第に大きくなった。


 それが、ミッドウェー海戦でも連合艦隊の戦果がはっきりしてくると決定的になった。東條首相は腹案として嶋田海軍大臣が総長を兼務する案を提示した。しかし、海軍側は全力で拒否した。海軍としては、東條首相のイエスマンよりも人気が絶大な人物を総長に据えることができれば、陸軍に対して今まで以上に大きな影響力を行使できるという思惑があった。そうであれば総長に就任できる人物は一人しかいない。


 昭和17年7月末になると、永野総長が退いて、山本元帥大将の軍令部総長への就任が決まった。山口大将も山本長官の後任として、連合艦隊司令長官として着任することとなった。草鹿少将は中将に昇進して、今までの勲功が評価されて一航艦の司令官となった。加来大佐も少将に昇格して一航戦の参謀長に就任した。


 更に、大盤振る舞いの昇進にはおまけがついた。海軍は真珠湾以来の戦いで功績があった将兵を昇進させた。その中で、新型機の開発に貢献して、ドーリットル空襲の阻止にも大きな功績のあった下川大尉や小福田大尉が少佐に進級した。また空技廠の彗星や烈風などの新型機開発の功績が認められて、開発者として鈴木大尉、三木大尉、永野大尉など一連の技術士官も軒並み昇進することになった。


 ……


 新任の山本総長の部屋に軍令部次長の伊藤少将と第一部長の福留少将が集まっていた。


 山本総長が手にした書類を机の上に放り出した。

「こんな作戦を承認しなければならんのか。永野さんもとんだ置き土産を残していったものだ」


 伊藤少将が、作戦に対する状況を説明した。

「既に、陸軍とも作戦を実行することで調整が済んでいます。陸軍の方は、上陸部隊の編制も決めて準備をほぼ終わらせています。私が聞いた話では、東條首相もこの作戦には前向きのようです。ここにきて特段の理由がない限り、我が軍は断れません。ミッドウェーでは、大きな被害を受けることなく、短期間で上陸作戦も完了しました。そのおかげで、拒絶できる客観的な理由がなくなってしまいました」


 福留少将が続ける。

「加えて軍令部内でも、豪州方面に侵攻して、米豪遮断作戦を前進させるべきとの意見が根強くあります。米艦隊の勢力が著しく弱まった今の時期にフィジー・サモア攻略を行えば、成功する可能性は高いでしょう」


「仕方ないな。フィジー・サモアへの侵攻作戦を了承しよう。やると決めたからには、短期で完了するように手配してくれ。それと連合艦隊の機動部隊の中で消耗が激しい部隊は外してくれ。休息と補充が必要だ」


 最終的に山本総長がしぶしぶ承認したことで、昭和17年8月になって、日本軍はフィジー・サモア攻略作戦を開始した。永野総長が辞任間際に手配を済ませていった作戦だ。軍令部内の将官にもこの作戦の必要性を主張する者がいて、意見が割れていた。何よりもミッドウェー作戦が成功したおかげで、東方海域からの米軍の脅威がほぼなくなったことが大きい。このためフィジーやサモアなどの諸島は実質的に孤立していた。


 作戦の中心となる機動部隊としては、ミッドウェー海戦に参戦しなかった五航戦とミッドウェーでは機体と搭乗員の消耗が比較的少なかった二航戦が参加することになった。一方、上陸部隊は、護衛空母として龍驤が随伴することとなり、輸送船団と護衛部隊でFS攻略部隊を編制した。一旦、FS攻略部隊は、ラバウルの港に集まって東方へと出発した。FS攻略部隊はソロモン海を経由して、ニューカレドニアのヌーメアに向かった。


 米軍の南太平洋軍の根拠地となっていたヌーメアでは、南太平洋地域の司令官であったゴームリー中将は、通信機材が充実している潜水母艦アーゴーンを司令部としていた。二航戦と五航戦から発艦した攻撃部隊は、アーゴーンのレーダーにより60マイル(97km)の地点で探知した。ゴームリー中将は、直ちにヌーメアの戦闘機部隊に迎撃を命令した。


 ヌーメアの航空基地に配備されていた航空機は約110機だった。但し、新型機は空母への搭載を優先したため、12機のF6Fと21機のF4Uだけが実質的に日本の攻撃隊に対抗できる戦力だった。その他のF2AバッファローやSBDドーントレス、TBFアベンジャーは東方海上へ退避していった。F6FとF4Uによる迎撃戦闘部隊は、ジェット戦闘機と烈風が主体の日本軍の戦闘機部隊に、全く歯が立たずに30分の戦闘で壊滅した。


 続いて飛行場の爆撃と、湾内の米海軍艦艇を彗星が爆撃した。ゴームリー中将が指揮艦として使っていた修理艦のアーゴーンも数発の爆弾が命中して湾内に着底した。


 日本海軍は中国大陸での戦いから、空中退避した機体が戻ったころに再攻撃をかけて地上で撃破する作戦の有効性を知っていた。同様の作戦で第二次攻撃隊が、基地に着陸したばかりの米軍機を地上で撃破した。米飛行隊が壊滅すると、まもなく上陸作戦が実行された。ヌーメアの米軍基地の設備は一部が破壊されていたが、修復してそのまま日本軍が港と基地を利用した。


 ヌーメアが攻撃を受けた直後に、機動部隊はエスピリットサント島の米軍基地を攻撃した。しかし、圧倒的に優勢な日本機動部隊の進撃に対して、ハワイのマケイン大将は、日本軍と交戦せず兵力を温存するように指示を出した。B-17やB-24は嫌がらせのような中途半端な爆撃を行って3機が撃墜された後は、オーストラリアへと引き上げていった。機動部隊からの攻撃部隊に対しては、エスピリットサント基地に残った戦闘機が迎撃したが、20機程度のP-40とP-38を中心とした陸軍戦闘機戦力は、ジェット戦闘機と烈風の攻撃により、たちまち蒸発してしまった。


 ヌーメア基地とエスピリットサント基地の米軍が日本軍と戦っている間に、フィジーとサモア、ニューカレドニアに点在する各島に駐留していた米軍や豪州軍はオーストラリア大陸本土へと後退していった。時間稼ぎをしている間に兵力の消耗を避けて撤退したのだ。このため、これ以降の島嶼への侵攻は、日本軍はほとんど抵抗を受けることなく実行することができた。


 フィジー・サモア方面の戦いが日本軍の勝利に終わると、オーストラリアのカーティン首相は、イギリスとアメリカに対して、強力な援助を求める声明を発表した。連合国の一員として今後もオーストラリアが活動してゆくためには、大量の武器と物資の支援が必須であるとの内容だった。更に、期待する支援が一定期間不可能な場合には、オーストラリア自身が国としての独立を維持するために、連合国としてふるまうことが不可能になるであろうとのメッセージも含まれていた。すなわちルーズベルトとチャーチルに向けて、脅し文句ともとれる中立宣言への含みを持たせたのだ。


 フィジー・サモア方面への日本軍の進出により、オーストラリアへの海上輸送は完全に封鎖されたわけではなかったが、南太平洋では護衛艦隊が随伴しない貨物輸送はかなり困難になりつつあった。アメリカもイギリスも、この海域で日本海軍に対抗できるだけの充分な護衛艦隊をそろえることは不可能だった。望むと望まざるにかかわらず、オーストラリアは、大陸本土への直接的な侵略を除き、日本への反撃を全て控えるという完全な消極的防衛体制となってしまった。

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