8章 ミッドウェー海戦
8.1章 ミッドウェーへの道
山本大将にとっては、ミッドウェー攻略こそが米国との間で早期停戦を実現するための第一歩だった。ミッドウェーから一気にハワイに攻め進む構想さえも描いていた。それが米国との早期停戦につながる唯一の道だと考えていたのだ。従って、米国のほとんどの空母が太平洋にいなくなった千載一遇の機会を逃すことなど考えられない。今までのニューギニア島をめぐる珊瑚海の戦いなどは、回り道に過ぎないとさえ思っていた。
しかし、珊瑚海の戦いは意外な効果をもたらした。米豪遮断による実質的な被害が出る前に、オーストラリアがこの太平洋の戦いの先行きに対して懸念を示し始めたことだ。日本のインド洋への侵攻により、西の航路によるヨーロッパとの貿易は大きくハードルが上がった。太平洋に残ったアメリカ大陸への東方のルートが遮断されれば、オーストラリアは世界から孤立することになる。オーストラリア国内では、そんな最悪な見通しに恐怖する人間が徐々に増えていた。連合国から単独で離脱して、中立宣言をすべきとの意見がちらほら表明されたのだ。
もう一つの効果は、ドーリットル隊の戦いに続いた珊瑚海の作戦で米海軍の戦力を削ぎ落せたことだ。米海軍は連戦連敗で、米国内でも国民の厭戦気分が更に拡大されている。ルーズベルト政権もこの先長くないかもしれない。これも一気に攻めて、あと一押ししたいという理由の一つになっている。帝都への空襲もミッドウェー攻略作戦の必要性を訴えるうえでプラスになった。二度目の空襲を避けるためには、ハワイからミッドウェーへのルートを遮断することが最も効果的だという理屈だ。
この様な状況で、山本長官はミッドウェー作戦を実行する機が熟したと感じていた。海軍内でも内閣でも、今や飛ぶ鳥も落とす勢いの山本長官の意向に逆らえる者など誰もいない。
連合艦隊はミッドウェー作戦に向けて以前から研究を実施していた。今までは、北方のアリューシャンの攻略による敵艦隊の誘引など複雑な作戦を考えていたが、米国の空母が太平洋にほとんどいなくなった現状ではそんな必要はない。
……
珊瑚海の戦いの報告後、草鹿少将は空技廠へと見学にやってきていた。既に、インド洋作戦後に日本に帰っていた加来大佐と一航艦の司令部要員達が先に到着して待っていた。それに加えて、山口中将が一足遅れてやってきた。
今回の目標は空技廠で開発中の新型機を確認することだ。挨拶の後、さっそく追浜の飛行場に移動して、新型機の見学会となった。以前に比べてこの飛行場も拡張されている。もともと横須賀の海岸を大正時代に埋め立てて飛行場がつくられたのだが、東北側の埋め立て地を増やして滑走路を延長していた。
展示機が置かれている飛行場の格納庫前まで来ると、一同がざわざわしている。何しろ展示されているジェットエンジン搭載機は、3機種もあったのだ。草鹿少将も橘花改くらいは既に知っていたが、まさか3種類のジェット戦闘機がずらりと並ぶとは思わなかったのだ。
昭和17年になって試作機が完成して、試験飛行が進んでいたJ5M1が最初の展示機だった。後に震電と命名されることになるこの機体は、既に10機以上の試験機が製作され、各種の試験が進んでいた。日頃の試験はジェット機向けの長い滑走路のある木更津で実施しているのだが、今日は、武装もついている試作12号機が展示のために横須賀まで飛来してきていた。
今回の展示機の説明は空技廠の永野大尉だ。
「この機体は既に試作機が飛行して、かなりの高性能が実証されています。御覧のように前翼形式のとても特徴的な外形ですが、むしろこの形が高性能を実現できる要因になっているのです。零戦とあまり変わらない大きさの小型の機体で、エンジンも単発ですが、450ノット(833km/h)を超える速度を発揮できています。この機首の大きな機銃口からわかるように、20mm機関砲ではありません。4門の30mm機関銃が搭載されています。飛行試験も順調に消化されてしているので、数カ月もすれば制式化されるはずです」
次いで、ほぼ試験が終了して制式化が間近になっているN1K1-Jが展示された。
「こちらの機体もジェットエンジン単発の局地戦闘機です。見てわかる通り先ほどの機体に比べて、雷電をジェット戦闘機にしたような一般的な外形になっています。そのため、先ほどの機体よりも速度性能は若干劣りますがそれでも400ノット(741km/h)を超える速度が出ます。旋回戦などの空戦性能は、空戦フラップも備えているこちらの機体が優れています。空技廠の審査も終わりに近づいており、紫電という名称で制式化される見込みです」
続いて艦載機型の橘花改が展示されていた。草鹿少将も珊瑚海の戦いでこの機体の実力は嫌というほど認識していた。
「皆さんにはおなじみだと思いますが、局地戦闘機の橘花改を艦上機とした機体です。今年になって試験を実施してきましたが、機体の試験は既に完了しています。実はこの機体に関しては、試験中の改良されたジェットエンジンを搭載しています。タービンへの入り口温度を上げて、エンジンの燃料消費率を改善しているのです。そのため、機体の性能はほとんど変わりませんが、航続距離と滞空時間が3割は向上しています。性能改善により橘花改が参加できる作戦が増えるでしょう。改良されたネ20Bエンジンは生産済みの機体に対しても交換が可能です」
山口中将はしきりに感心している。
「これほど早期にジェット戦闘機が3種類も完成しているとは驚きだ。空母にもジェット戦闘機の搭載が始まっているが、雷撃も爆撃も可能としてほしい。空母の戦闘機と爆撃機が全てジェット戦闘機となれば無敵だろう。是非とも一刻も早く実現してほしい」
ジェット戦闘機の後はがらりと変わって地味な展示だった。雷撃型彗星と銀河だ。彗星の胴体下に雷撃用の魚雷搭載架を取り付けてダミーの魚雷を搭載してある。これも既に、隼鷹の搭載機が珊瑚海の戦いで実戦に登場している。
今回の展示機でもっとも大きな機体は銀河だった。それでも見慣れた一式陸に比べれば一回り以上小さい。銀河は新型の120番4号の爆弾を搭載しているのがわかるように爆弾倉を開いていた。
一行は新鋭機の開発が想像以上に進んでいることにいたく感動して、空技廠の本館に戻ってきた。ここで、素晴らしいものを見せてもらった。ありがとうと言って解散になったのだが、山口中将や草鹿少将、加来大佐には別の目的があった。
新型機を見学した後、限られたメンバだけで極秘の会合が行われた。その会議の内容は、来月の連合艦隊の作戦についてだった。5月初旬のこの時期になって連合艦隊と軍令部では次の作戦についてかなり検討を行っていた。連合艦隊内部では極秘の図上演習を何度も行って、作戦の問題点を洗い出していた。その作戦について、意見を聞くべき相手が空技廠にいたのだ。もともと、草鹿少将が空技廠を訪問したことから、偶然始まったこの会合は和田廠長も無視できなくなっていた。
打ち合わせの冒頭で、いきなり山口中将が説明を始めた。ほぼ軍機に属すると思われる内容ばかりだが、そんなことは気にせず山口長官は話を始める。
「実は、来月あたり、ミッドウェーを攻略する作戦を実行することになるだろう。既に連合艦隊ではいろいろな準備に入っている。この作戦は山本長官自らが強く後押ししてきた作戦なので、中止されることはまずない」
いきなり作戦目的が出てきて、草鹿少将も驚いているが、山口中将は構わず続ける。
「作戦の概要としては、まず空母の搭載機による空爆により、ミッドウェー島の航空兵力を無力化する。その後は戦艦の艦砲射撃で米軍基地を徹底的にたたく。ミッドウェー島内の米軍地上兵力を弱体化させたところで、次は上陸作戦の実行だ。最初の空爆時には、艦隊に対してミッドウェー基地からの航空攻撃はあるだろうから、空母の航空戦力でそれらに反撃することになるだろう。この作戦について君の意見を聞かせてほしい」
そもそも大尉に対して話を聞くような話題ではない。まったく会議内容も出席者も不釣り合いだ。
しかしいつもの通りだと割り切って、意見を述べることにした。
「もともと、米海軍の正規空母が存在していれば、この作戦にも出てくると思っていましたが、ほとんどの正規空母が撃沈されていなくなったので、米艦隊が出てくるか否かは私にもはっきりとはわかりません。唯一残った正規空母であるレンジャーは大西洋で活動していたはずですが、今頃はパナマ運河を通っている可能性もあります」
「ならば、敵空母の心配は1隻程度ということかね?」
「いいえ、米海軍は、多数の正規空母を建造中ですが、その1番艦が工期を早めて出てくる可能性があります。エセックスという名の空母で、ヨークタウン級よりも一回り大きくなっています。我が国の翔鶴とほぼ同じ大きさですが、搭載機の数はかなり多くなっていて、100機程度は搭載が可能と思われます。更に、輸送船を改造した特設空母も多数建造中です。低速の小型空母なので、正規空母のような艦隊運用はできませんが、航空機による支援目的ならば十分活用できます。つまり、米海軍の空母が1隻のみだと思うのは早計かと考えます」
一気に話してから、一休みした。山口中将と草鹿少将は、エセックスの搭載機が100機と聞いて、ため息をついている。
「複数の空母の艦隊が登場するとして、何か注意すべき点はあるかね?」
「もし、米海軍から空母の部隊が出てくると、一航艦としては、ミッドウェー島の空爆と敵艦隊の排除の二つが作戦目的となります。このため、それを同時に達成しようとすると二兎を追うものになります。しかも、ミッドウェー島に、現状配備されている航空機の種類と機数は、海軍と陸軍あわせて、100機を超える航空機が配備されていてもおかしくありません。配備された機体は、米海軍の艦載機同様に2,000馬力級の新型機になっていると思われます。基地航空機には、陸軍のB-26やB-17などの爆撃機も含まれます」
「ミッドウェー島の戦力を侮るなということはよくわかった。そうであれば、真珠湾のような奇襲攻撃は可能だろうか」
「非常に多数の偵察機を使ってミッドウェー島の周囲を警戒しているので、まず間違いなく索敵機に発見されます。発見されれば、海軍機だけでなく、B-17やB-26などの陸軍爆撃機も攻撃をしかけてくるでしょう。何度もしつこく爆撃してきて空母の作戦を妨害しますよ。基地からの爆撃隊と戦っている間に、背後から米空母に襲撃されるようなことが起こるかもしれません。ミッドウェー島の基地と敵空母への対応に対しては、とにかく索敵をしっかりやる必要があります。周辺に絶対に空母がいないとわかるまでは、ミッドウェー島に手を出さないことです」
「島への上陸作戦について、何か意見はあるかね?」
「上陸作戦については、私は深くは知りませんが、爆撃だけでは、攻撃を繰り返しても地上の兵力はなかなか無力化できません。既に事前検討されているようですが、艦砲による徹底的な攻撃をしないと、上陸後に痛い目にあいますよ」
草鹿少将が質問する。
「例えばミッドウェーの基地攻撃は一航戦が担当して、二航戦は敵の空母の出現に備えて上陸部隊を護衛するということならば、同時にできそうだがどうかね?」
「そういうやり方も考えられますが、一航戦の戦力だけではミッドウェーの無力化は短時間では困難だと思います。一航戦と二航戦以外に護衛の戦力が必要でしょう。しかも、敵も電探でわが方の攻撃隊を事前に探知できますので、島の基地を攻撃しても、わが軍の攻撃隊を待ち構えている可能性が大きいと思います。十分な戦闘機をつけないと、爆撃隊の被害が拡大します」
草鹿少将が更に質問する。
「偽の暗号電による謀略も有効かもしれないな」
「ミッドウェー作戦は大きな作戦になるので、無線でやり取りされる情報量も増えます。間違いなく米国は我が軍が攻撃を計画していることに気がつくと思います。偽暗号は有効でしょう。偽暗号により、攻撃地点を別の地点におびき出すか、作戦日時を別の日にして奇襲に利用するか検討が必要ですね。但し、インド洋と珊瑚海の戦いで実施した偽電の結果を分析することが必要でしょう。必ずしもうまく行ったとは言えないと思います。それと、もう一つ作戦海域に潜水艦隊を索敵も兼ねて配備するのは当然必要ですが、今は潜水艦隊がいろいろなところに出払っています。潜水艦が配備につくまでに時間が不足して、開始日までに必要となる海域への配備が間に合いません。これも事前に準備が必要ですよ」
山口長官が最後に口を開いた。
「君の懸念は理解した。もちろん対策についてはよく検討させてもらう。そういえば、山本さんから鈴木大尉への依頼があった」
「どちらの山本さんですか?」
「連合艦隊司令長官の山本さんだ。次の作戦では船に乗った方がいいと思うとのことだ。考えておいてくれ」
山口長官と草鹿少将はニヤリと笑っていた。
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