7.8章 次の戦いへの準備
アメリカ海軍航空局長のタワーズ少将は、報告書を見てまたもや沈み込んでいた。ドーリットル隊の攻撃は悪い予感の通り大失敗だった。その2週間後に、スプルーアンスが珊瑚海に出てゆくことは直前になるまで知らなかった。そのため、空母搭載機のF4UとF6Fの数を増やしてやることくらいしかできなかった。
それでも、日本軍がジェット戦闘機を使ってきたとは驚きだ。これでは、いくらF4UやF6Fをそろえても手も足も出なくなる。我が国もなんとしても早くジェット戦闘機を実現しなければならない。彼は、未来からの知識から、ジェット機の有用性と今後の発展性については十分理解していた。それでも実戦に登場するのは、2年程度はかかるだろうと想定していた。それもドイツが先に実用化するはずだと信じていた。ところがこの時期に日本がジェット機を登場させてきたのだ。
タワーズもアメリカでのジェット機開発を、史実より前倒しするために、既に昨年から手を打っていた。しかし、アメリカで戦力になるには、まだ時間がかかりそうだ。昨年からGE社とウェスティングハウス社には、海軍として、ジェットエンジン開発を要求している。GEは英国のエンジンを参考にして遠心型圧縮機型のジェットエンジンを開発していた。しかし、未来の知識のあるタワーズは、GEが技術導入しようとしているジェットエンジンを開発しているローバー社は、開発のもたつきからロールスロイスにこのエンジンを譲渡することを知っていた。最終的にロールスロイスはニーンなどの良いジェットエンジンを作るのだが、まだこの時期には影も形もない。もう少し時間が必要だ。むしろ1942年になって運転を開始したデハビランド社のエンジンの方が、早くて将来性があるはずだ。
アメリカの航空局長から英国の会社に頭を下げて依頼するのは異例だったが、背に腹は代えられない。タワーズは既に昨年のうちに、アメリカ海軍が資金を出す代わりに、海軍向けのエンジンを優先して開発するように、デハビランド社のハルフォードに依頼済みだった。英海軍にもいらぬ横やりを入れられぬように、事前に説明してある。その効果もあって、デハビランド社は2月になって、遠心型圧縮機のジェットエンジンの運転を開始していた。最大推力は1,000kgfに達したとの報告を受けている。同時に、GEにもデハビランドから技術導入するように指示をしていた。デハビランドのH-1ゴブリンは、まだ試験中だが、間違いなく推力1.3トン級のエンジンとして成功するだろうから、できる限り早く米国内で生産させるのだ。
一方、ウェスティングハウスは独自に軸流型の直径の小さなエンジン開発を行っていた。もともと1943年ごろの完成を予定していたが、こちらも海軍が援助するからもっと時期を早めるように強く要求している。最近のレポートを見ると実験機が運転を開始したようだが、400kgf程度の推力では全く足りない。1トンは無理にしても800kgfは必須だと要求していた。ジェットエンジンはまだ時間がかかりそうだ。
機体メーカーに対してもジェット戦闘機の検討を依頼している。ジェットエンジンを使って、時速500マイル(805km/h)を超える機体の開発を既に要求していた。要求書に対して食いつきが良かったのは、新興のマクダネルとノースアメリカンだ。グラマンやダグラスは既存の開発機で手いっぱいということなのか、未知のエンジンに対する反応はあまり良くなかった。既にマクダネルとノースロップは、今後、完成予定のジェットエンジンを搭載した機体の検討を開始している。
逆に海軍で採用する可能性はまずないとして、開発を中断させた機体もある。グラマンの双発戦闘機のF7Fタイガーキャットを中止して、代わりにF8Fベアキャットを早めるように要求した。ダグラスのSB2Dデストロイヤーも中止させた。代わりにダグラスには雷撃と爆撃の統合機種の開発を要求している。その開発が成功すれば、スカイレーダーと名付けるつもりだ。
それにしても、今まで海軍の作戦予定に関する情報が伝わってこなかったのは、あの合衆国艦隊司令長官のキングが前線の作戦にかかわる情報は、航空局には不必要だとして流してこないからだ。もともとキングとタワーズは犬猿の仲だった。
しかし、これからは違う。アナポリス後輩の合衆国艦隊参謀副長のターナーに手を回して、太平洋の作戦計画に関する情報を回してもらうように頼んだのだ。ターナーは敵が多いが、軍人として先輩であるタワーズの頼みを断れなかった。これからは、日本海軍に対する作戦についてはいろいろな情報を知ることができるだろう。彼は、自分だけが知っている未来の知識から、これからの戦史を知ってはいるが今後の戦いがどうなるのか、知識と差が出てきているこの世界では予測が難しい。但し、未来の知識からヤマモトがミッドウェー島を重視しているのは変わっていないだろうと思っていた。つまり、その地域の兵力強化が必要だ。
今年になって開発を加速させていたノースアメリカンの戦闘機の試作機は、2段2速過給機を装備した新型のパッカードマーリンを搭載して、時速437マイル(704km/h)を出していた。この機体の強みは、既にムスタングとして量産されている機体の改良型だということだ。工場のラインが既にあるので、海軍向けの機体も短期間で数をそろえることができる。先月にはさっそく、ムスタングの海軍型が納入されて、海兵隊での訓練が始まっている。タワーズはこの強力な新鋭機をミッドウェー島の海兵隊に送り込むことを計画していた。無論、折り畳み主翼で空母への搭載も可能だから、空母への配備も進める。
1年以上前から、要求していた空母の建造の前倒しは、やっと成果が出てきそうだ。タワーズが要求するまでもなく、開戦当初で2隻の空母を失った米海軍は、1941年12月中旬から、建造中の空母の工期を大幅に繰り上げていた。工期短縮のために資材の割り当てや、工員の投入を大幅に優先させた1番艦のエセックスは、起工から10カ月後には進水することができていた。現在は艤装を行っているが、3カ月もあれば戦いに出てこられるだろう。シマロン級タンカーの空母への改造も、空母勢力の増強策として、1941年12月から空母への改修工事を開始した。ほとんど船体には手を入れることなく、格納庫と飛行甲板を取り付けて、5カ月で改装工事を完了することができた。
また、昨年から既に実用化間近になっていたVTヒューズ(近接信管)は、タワーズが開発に関与しなくてもほとんど完成していた。昨年のうちに海面反射と雨や雪によるノイズの影響があることと、爆発しなかったときに、不発弾が地上に落ちる前にタイマーにより強制的に爆発させる仕掛けの必要性を教えてやった。これにより、1942年になって信管の機能追加や電子回路を修正するような開発の後戻りは発生していない。これで最後の仕上げの期間が半年は早まったはずだ。5インチ高射砲弾用の近接信管は、Mk.32信管として工場で製造が開始されている。空母や戦艦、巡洋艦に工場から続々と出てくるこの新型信管を積み込めば、高射砲の命中率は飛躍的に向上するだろう。新兵器と合わせて艦隊の大きな力になるはずだ。
……
空技廠の一室に3人の男が集まっていた。中央に座った和田少将がメモを出した。
「実は軍令部からもらったメモだ。ホーネットの艦長室から出てきた短いレターの写しなのだが、VTヒューズに関する開発状況とある。あまり詳しい記述はないが、製造が始まったので、まもなく実戦で使用可能になるだろうというようなことが書かれている。この内容からは、はっきりと時期は明示していないが、次の戦いでこの新式の信管を米軍が使い始めても不思議じゃない。空技廠と技研は共同して、これと似た機能の信管の開発を以前からしていたのだろう。そちらの方の開発は順調に進んでいるのか? わが軍も実戦で使うことが可能になったのか?」
技研の伊藤中佐が答える
「これを読む限り、米軍における近接信管の実戦配備は間近と思えますね。我々の近接信管の開発状況については、必要な機能を実現する回路は既に完成していて、目的の動作が確認できています。昨年から小型の真空管などの部品を特注で開発してきて、小型化もできています。砲弾の信管に収まるくらいの小型の電波発信機と受信機は完成しています。ところが砲弾を撃った時の衝撃に耐えられないのです。衝撃緩衝材を工夫したり、真空管などの部品の強度を増したりしていますが、大砲から発射すると大部分が壊れてしまいます。問題を解決するためには、真空管のガラスの材質や内部のフィラメントやグリッドの材質の変更など、基本材料を根本的に強化しないといけないところまで来ています。平行して外側を金属チューブに換えた真空管の開発も行っていますが、こちらは過去から製造してきた歴史もないので、性能の良い部品を作るためのノウハウが不足しています。大砲で撃ってもまともに動作する信管を作るまでには、まだ半年以上は時間がかかるでしょう」
空技廠の鈴木大尉が捕捉した。
「近接信管として、動作させるためには高射砲を射撃した時の強大な加速度に耐えられなければ、対空砲として使用することができません。但し、そこまで大きな加速度を与えない使用法であれば、壊れずに使えることが実験でわかっています。現状では、そのような制限があっても役に立つ使用法を試しています」
和田廠長が質問する。
「同じものがそれほど簡単にできないことは理解した。今の説明を聞くと、できているものは使い道がありそうなのだな。そうであるならば、わが軍で有効に使える方策を至急詰めてくれ。もう一つ質問がある。米国では近接信管が近い将来に間違いなく実用化されるだろう。彼らが使ってきた時はどうするのか? 今以上に高射砲の命中率が高まれば、わが軍の航空機に大きな損害が出るぞ」
鈴木大尉が答える。
「まず、地上戦では、不発弾が敵の手に渡ることを恐れて当面は使わないはずです。艦隊の対空砲火については、新型信管を使ってくる可能性が高いと思います。敵が使ったときの対策については、少しだけ作戦を考えて実験しています。珊瑚海の時のように、艦載機に新型の装置を搭載させてください。米軍では、新兵器の登場が早まっています。加えて、次の戦いでは、我々がまだ知らない新しい航空機や兵器が米軍から出てきそうな予感がします」
……
会議に呼ばれた少将や大佐たちは、緊張した面持ちで、打ち合わせが始まるのを待っていた。何しろ連合艦隊の山本長官自らが、要望事項があると言ってやってきたのだ。山本大将は開戦以来、連戦連勝の圧倒的勝利で、軍部からも国民からも広く支持されている。その支持者には、お上も含まれているのだ。連合艦隊司令長官の要求とあれば、なんとしてでもかなえる必要があるだろう。
参謀長の宇垣少将と一航艦の草鹿少将と共に山本大将が会議室に入ってきた。山本大将が席に座ると、宇垣中将が説明を始めた。
「諸君も知っての通り、開戦以来、我々は激しい戦いを行ってきている。艦隊の中でもっとも目覚ましい働きをしているのが、航空隊であることに異論はないだろう。ところが、実際に戦いが始まってみると、航空部隊の損耗は想定以上に激しい。幸いにも防弾装備により救われる命もあるが、航空機の搭乗員はわが軍でいつも酷使され、消耗していると言えるだろう」
山本大将が口を開く。
「わが軍が今後も戦い続けるためには、航空機の搭乗員の育成が急務である。前線では搭乗員の消耗は非常に激しい。今までのような兵員数では全く足りないのだ。昨年から依頼したわが軍の搭乗員の増強についての見通しはどのようになっているのか。今の状況を教えてほしい。更に、航空機の搭乗員を大幅に増員できるように対策を強化してほしい」
土浦航空隊司令の青木大佐が、まずは答えた。
「ご存じの通り、搭乗員の予科練習生の訓練は土浦で行っています。受け入れの人数に関しては、一昨年では、1,100名程度だったのですが、昨年は年間で約2,000名程度を当初は予定していました。増強要望を受けて、3,000名の練習生の訓練を行ってきました。本年は更にそれに上乗せして、4,500名程度を計画していますが、航空基地の設備や練習用機材からそれが限界になると思われます」
海軍教育局長の徳永少将が続けて説明する。
「訓練用の機材に関しては、初歩練習機と中間練習機を川西、渡辺鉄工所や日本飛行機、日立航空機などの、第一線の航空機の製造数が少ないメーカーに発注して生産しています。昨年の要求で、増産しましたが、今年の生産数はもっと増加させます。また、前線の航空部隊で新鋭機を導入しているおかげで、最近は九九式艦爆や九六式艦戦が訓練用に回ってきており、これらの機体も訓練用に活用できています。土浦に続く新たな訓練用の航空隊としては、三重海軍航空隊が開隊しています。今までの要求から、今年中旬の予定を半年早めて、今年当初から訓練生の受け入れを開始しています」
海軍人事局長の中原少将が補足した。
「訓練生は、昭和15年の千人程度に比べれば、数倍以上に膨らんでいます。しかし、単純に人数だけでなく、質の強化も課題だと考えています。それには、前線部隊から教官をもっと多く派遣してもらう必要が出てきます。そのあたりのご協力は是非ともお願いします」
思わぬところから自分への要求が出てきて、山本長官も一瞬驚いたが、考えてきた要望を伝える。
「もちろん我々への要望は考慮しよう。諸君が昨年以降いろいろと努力しているのは、今日の説明で理解した。しかし、前線での消耗を考えると、まだ不足していると思える。計画の2倍くらいの規模は必要だと思える。よく検討してみてくれ」
話し終ると山本大将は横の草鹿少将に目配せをしていた。お前に言われたことをしてやったぞ、という顔をしている。草鹿少将は小さく頭を下げた。
……
菊地中尉と松崎中尉は、夜遅くなってからも明々と照らされた空技廠の実験棟で、既に開発が完了したはずの空冷エンジンを限界まで運転する実験を繰り返していた。周りには、普段の空技廠では見慣れない士官や技師がいる。
額の汗を拭きながら菊地中尉が口を開いた。
「やはり米軍のガソリンはすごいですね。ブースト圧を+1000mmにしてもエンジンの燃焼は安定しています。オクタン価100ということですが、耐ノッキング性能では、それをはるかに上回っています。100以上はパフォーマンスナンバーと言いますが、130は超えていますよ」
空技廠では、ホーネットの航空燃料タンクに搭載されていた米軍のガソリンを使って、その性能を確認していた。
海軍燃料廠の研究科からやってきた少佐が尋ねる。彼は、実験が始まる前に秋田と名乗っていた。
「するとエンジンの出力も相当上げることが可能だと思うが、このガソリンを使うとどの程度まで性能向上できるのかね?」
オイルで汚れた顔を噴きながら松崎中尉が答える。
「この輝星エンジンは離昇出力が2,250馬力で制式化されています。その時のブーストが+500mmです。それを+1000mmを超えるところまで上げると、2,500から2,600馬力くらいは出ると思います。但し、数分程度の短時間ですよ。長時間はエンジンの機械的強度と空冷性能の限界から故障につながります」
「実は、このガソリンはまだあるのだ。ポートモレスビーの侵攻によって、わが軍は米軍基地を攻略することができたのだが、そこで米軍が備蓄していた多量の航空ガソリンを手に入れることができた。そのガソリンは2隻のタンカーを使って本土に輸送する予定になっている。量としては限定的だが、ホーネットの燃料と合わせれば1海戦や2海戦を戦えるくらいの量はあるぞ。通常の飛行時には今までの航空用揮発油を使って、戦闘時だけこの高性能のガソリンに切り替えられるような仕掛けがあれば、更に長く使える可能性がある」
松崎中尉が、三菱から来た若い技師に尋ねた。
「東條君、うまい方法はあるかね? 燃料を2種類にして、それを機体に分けて搭載しておいて、機上で切り替えて使うなんてことが簡単にできるだろうか?」
「どの航空機でも、燃料タンクは複数ありますから、そのうちの適当なタンクをこの高品質燃料用にしておいて、操縦席で燃料バルブのコックを切り替えれば使い分けは可能なはずです。烈風の場合は胴体内に二つの燃料タンクがありますが、そのうちの一つを使って、例えば100リットル入れておけば、他の燃料と分離できます。通常翼内の燃料を先に使いますから、往路は増槽と翼内を使って、戦闘時は胴体内に切り替えて、残った燃料で帰ってくるというやり方になると思います。もちろん戦闘が発生しなければ、胴体内の燃料はそのままで次の戦いで使うことができます。機体の種類によっては、タンク個別に燃料を切り替えるためには、燃料系統の配管や切り替えバルブを多少いじる必要が出てくるかも知れません。いずれにしても現地の整備部隊でできる範囲ですよ」
続けて秋田少佐が東條技師に質問する。
「烈風のエンジンが2,600馬力になったとして、速度はどこまで上がるかわかるかね?」
「大雑把に考えて、最大速度はエンジン馬力の立方根に比例すると言われています。それから類推すると最大速度は5パーセント程度の増加です。現状の烈風が360ノット(667km)とすると、5パーセントの増加は378ノット(700km/h)です。エンジン馬力の影響をもっと受ける上昇率の方は大きく改善しますよ。先ほどの実験の結果を見ていると、燃料がいくら良くても過給機の性能で制限されるので、高高度ではそれほど改善しないのですよね」
「そうだな。いくら燃料が良くても、空気が足りなきゃ不完全燃焼になるから、過給機の性能限界で出力が下がり始める。2速全開より上の高度では徐々に改善効果が減少するだろうな」
最後に秋田少佐が実験の結果をまとめた。
「今日の実験結果は、軍令部や航空本部、連合艦隊に報告することになる。次は横須賀空で実際に戦闘機を使って、高品質燃料の効果を確認することになるだろう。特に問題が出ると思えないから、その先は実戦でうまく使ってほしいということになるだろう。次の戦いでは、戦闘機の性能が向上するということになるだろうな」
最後に菊地技師が思い出したことを付け加えた。
「あっ、この件は、ジェット戦闘機には関係ありませんから。そもそもジェットエンジンは、オクタン価とは全く無関係の灯油相当の燃料で充分ですから」
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