7章 珊瑚海海戦

7.1章 東部ニューギニア情勢

 太平洋で戦争が始まった時に、サラトガはサンディエゴで整備中だったため、真珠湾攻撃による被害を避けることができた。ところが、ハワイ沖の戦いでエンタープライズが撃沈されると、直ちにレキシントンを支援するためにミッドウェー方面に向かった。しかし、航海の途中でレキシントンも撃沈されたため、とりあえずオアフ島近海に戻ることになってしまった。サラトガは、しばらくの間、真珠湾には入らず、オアフ島近海で日本からの攻撃に備えて哨戒活動を実施していた。


 昭和17年1月になって、真珠湾に入港するとフォード島の東側は沈没した戦艦がマストだけ水面に出して着底したり、横転して船腹が海面に出たりしていて、ひどいありさまだった。ネオショーの火災と石油タンクの火災は、さすがに鎮火していたが、周囲の艦船や構造物は火災の被害を受けて黒く焼け焦げていた。上部構造物まで炎にさらされた戦艦や巡洋艦は真っ黒に変色して無残な姿をさらしており、修復はかなり困難だろう。


 サラトガは、真珠湾に入港しても、わずかな物資しか補給できなかった。そもそも物資が不足しているのは真珠湾の方なのだ。わずかな期間停泊しただけで、結局はサンディエゴに戻るためにハワイを出港することになった。しかし、出港してすぐに日本海軍の伊6潜水艦に発見されて、雷撃されてしまった。2本の魚雷が左舷中央部のボイラー室に命中した。真珠湾では応急処置もできないため、浸水を抑えるためにのろのろとした速度で修理のためにブレマートンに戻ってきた。


 ピュージェット・サウンド海軍工廠では、サラトガは船体の修理と合わせて、各種装備を最新式に更新することになった。艦橋前後の8インチ(20.3cm)連装砲を削除して、5インチ(12.7cm)高角砲への換装に加えて、飛行甲板をアングルドデッキに改修した。日本空母の目撃情報から、護衛空母として完成していたロングアイランドの飛行甲板を暫定的にアングルドデッキとして実験を行った。この実験結果が良好だったことから、サラトガを米海軍の正規空母としては初めてアングルドデッキに改修したのだ。また、追加された4基の5インチ連装高角砲は、艦橋上のMk.37射撃指揮装置上に設置されたMk.4レーダーの測定データによって管制できるシステムとなっていた。レーダーで航空機の正確な測定ができれば、高射砲の命中率は大きく改善されるだろう。改修を急いだ結果、サラトガは3月15日には太平洋艦隊に復帰できた。


 一方、アメリカ海軍作戦部長のキング大将は昭和17年1月末になって、太平洋で著しく劣勢になってしまった空母勢力を補うために、地中海で活動中の空母ワスプを太平洋に回送することを決定した。ワスプがサンディエゴに到着すると、スプルーアンス少将を指揮官としてサラトガと一緒に第19任務部隊を編成することになった。


 ……


 この頃、日本軍はインドネシアからさらに東方に進出していた。手始めに、ビスマルク湾にあるニューギニア島北部のニューブリテン島及びニューアイルランド島への上陸作戦を実行して、それらの島のオーストラリア守備軍と戦いこれを制圧した。日本軍はこの島に設けられていたラバウルとカビエンの飛行場を修復して、2月上旬からは日本軍の航空基地としての活用を開始した。特にラバウルは大規模な基地へと拡張を行った。


 ……


 スプルーアンス少将には、2月の日本軍の攻勢情報がもたらされていた。

「太平洋艦隊司令部からの情報によると、先月になって、ニューブリテン島に侵攻した日本軍はラバウルに飛行場を整備して、大規模な基地を建設した。ニューアイルランド島の基地も活動を開始したようだ。私は、ニミッツ大将に対して、これら地域への空母による攻撃を打診していたが、待てという返事が来た。貴重な空母戦力をすり潰すなということだった。どうやらホーネットを中心とした別の作戦を考えているらしい。それが終わるまでは、おとなしくしていろということも裏にあるようだ」


 副官のムーア大佐が答える。

「私も、我が部隊の練度を考えると、しばらくは攻撃を控える必要があると思います。ワスプにもサラトガにも新型航空機が配備されるのは歓迎なのですが、新型戦闘機や新型の艦攻を有効に活用するためには訓練が必要です。現状のサラトガとワスプに配備されている飛行隊は、不足しています。特に、日本軍の戦闘機に対する空戦の訓練と長距離飛行の訓練が必要です」


 ……


 昭和17年3月になると、九七式飛行艇が、日本本土から飛来するとトラックに補給のために立ち寄った。この時、第四艦隊司令長官の井上中将に命令書を持ってきた。命令の送り主は、軍令部第一部の福留少将と連合艦隊司令部参謀の宇垣少将であった。


 井上中将は、注意深くこの手紙を読むと、さっそくラバウルの後藤司令官に命令を発した。ポートモレスビー周辺及びソロモン諸島周辺に米艦隊襲来の恐れあり、偵察を厳にせよ、との内容だった。またバリ島のデンパサール基地で活動中の基地航空隊に対しても、速やかにラバウルに移動して航空隊を強化するように命令した。最後に、井上中将が3月末までには実施したいと考えていた、東部ニューギニアのラエ、サラモア及びそれに続くポートモレスビーへの侵攻は1カ月程度延期するとの指示を関係部隊に通知した。


「本土からの命令で、しばらくはニューギニア島への積極攻勢は延期だ。インド洋における作戦はかなり大規模になるらしい。それが一段落するまでは、攻勢は行わない。但し、米軍がソロモン周辺で攻勢をかけてくることもあり得るので、警戒は十分にせよ」


 参謀長の矢野大佐が答える。

「やれと言われても今は無理ですよ。一航艦が作戦中ですので、こちらには空母がいません。さすがに航空支援のない状態でのこれ以上の侵攻作戦は無理です。恐らく空母は4月には戻って来るはずです。その時期にニューギニアに攻勢をかけるということで、作戦の検討を進めますがよろしいですね?」


「ああ、その頃にはインド洋での作戦の結果も出ているはずだ。空母が英軍との戦闘により被害を受けて状況が変われば、我々の予定も変更が必要になるかもしれんが、一航艦の半分程度の空母が支援してくれる前提で作戦を検討してくれ」


 ……


 太平洋を行動中の伊号第八潜水艦は、4月23日になって連合艦隊司令部から命令を受領した。本土近辺で発生した米艦隊との戦いで敵艦隊に大きな被害を与えたが、その残存艦艇を襲撃せよとの命令だ。


 艦長の江見中佐が電文を見せながら、副長に説明していた。

「本土防衛の戦闘については我が軍が勝利したとのことだ。空母についても全て排除したようだ。巡洋艦や駆逐艦がハワイに向かって、退避するはずだからそれを見つけて攻撃せよとの命令だ。我々は、ハワイと日本を結ぶ中間点あたりにいることになるから、こんな命令が来たんだろうな」


 副長が眉をひそめた。

「一体、太平洋の広さをわかって命令しているんですか。本艦がいくら頑張っても、ハワイに戻る敵艦を見つけるのは至難のわざですよ」


「俺もそれは否定しないが、とにかくやれるだけやって報告するしかあるまい。攻撃ができなくとも、退避している米艦艇の規模がわかれば、今後の戦いに有益な情報となるはずだ。それに我が艦には最近装備された電波逆探知器なるものがある。どれほど有効に使えるのか確認してみたいという思いもある」


 数日間、捜索していると、逆探知器が東方からの電波源を捉えた。敵に見つからないように潜航して待ち構えていると、米軍の艦隊を捉えることができた。海中から航行する艦隊に対して、艦種を確認する。

「副長、見てみろ。獲物が見つかったぞ。それも西に向かっている」


「これは相当大きい船ですね。複数の艦が艦隊として航行しているように見えます」


 太平洋を東から西に航行していたのは、米海軍のタンカーと貨物船とそれらを護衛している駆逐艦から構成された船団だった。もともと敵の巡洋艦や駆逐艦からなる敵艦隊を探せとの命令を受けていたため、その思い込みが複数の大型艦から構成される有力な艦隊と誤認させた。実際は、ドーリットル空襲後の艦隊に対して、石油や物資を補給することを目的として、補給予定の海域に向かっている輸送船団だった。日本を攻撃した艦隊の帰路で補給を行うために、合流点に向けて西進していたのだ。伊8潜水艦は遠ざかるタンカーや輸送船を追いかけていったが間もなく見失った。


 しかし、この発見が司令部に混乱をもたらした。作戦意図をもって西進している大型艦であれば攻撃の可能性を否定できない。もしそのようなことがあり得るとすると、発見位置から4月28日から30日あたりが、日本に接近する時期になる。連合艦隊司令部はインド洋から帰投しつつある一航艦に、この大型艦の艦隊の探索と、もし見つかるようであれば攻撃を命じた。


 ……


 シンガポールから台湾へと向かう航路上の赤城で草鹿少将が山口指令に相談していた。

「一度撃退されて、また同じように日本本土に米艦隊が向かってくるなんてあり得るんですかねぇ?」


「そんな無茶な作戦の可能性は少ないだろう。米軍が無理をしても二度目も失敗するだけだ。恐らくタンカーや貨物船を見誤ったんだろう」


「それでも万が一ということもあり得ますので、本土周辺での捜索はやるんですよね」


「命令だから全く無視するわけにはいかんだろう。しかし、井上さんからは、ニューギニア侵攻の支援のために空母派遣の要請が来ており、これも断われば作戦に支障が出る。ここは、一航艦を各戦隊に分離するしかないかな」


 山口司令はしばらく考えていたが、決断したことを示すために口調を変えて、ゆっくりと口を開いた。

「全ての艦艇は、まずは補給が必要だ。台湾で補給を終わらせたら五航戦は南下してトラックに向かう。一航戦と二航戦は本土に向けて北上だ。草鹿君、君は五航戦の方に移ってくれ。空母の戦いがソロモン海や珊瑚海で生起した場合は、実質的には君が指揮を執るのだ。私から連合艦隊司令部と原少将には話しておく」


 山口長官の決定に従って、五航戦はトラックを経由して、ソロモン海方面に進出することになった。ラバウルに集合しつつあった東部ニューギニアへの侵攻船団の護衛と支援を行うことが目的だ。米軍が侵攻船団を攻撃してくれば、もちろんそれに反撃して、敵部隊をせん滅する。


 ……


 4月中旬を過ぎるとスプルーアンスのところにニミッツ長官から出撃命令が出た。

「ムーア君。艦隊司令部からの情報だ。日本軍が東部ニューギニアのラエ、サラモアに上陸侵攻を計画している。続けてポートモレスビーへの侵攻を企んでいるとのことだ。我が軍の情報部の分析によると、侵攻の可能性が最も高いのは5月中旬とのことだ。暗号の解読と艦隊の行動からの分析のようだ。どうやら、チャーチル首相とオーストラリア政府から日本軍の攻撃を阻止するように相当強い圧力があったようだ。ニューギニアを見捨てては困るということだ。なお日本の艦艇については、上陸に向けての輸送船やそれの支援艦艇がニューブリテン島に集まってきているとの情報がある。これは現地の住民からの情報だ」


「インド洋で行動していたヤマグチ艦隊がそろそろ戻ってくるはずですが、消耗への補給と休息が必要でしょう。日本の攻略部隊も護衛と支援をする空母がそろわない限り、侵攻は行わないと考えると、5月中頃の作戦開始はつじつまがあっていると思えます」


 スプルーアンス少将は首を横に振った。

「君の想定もよくわかる。しかし、私は日本軍のインド洋における戦いを分析したのだが、彼らは情報部が推定したよりも1週間ほど早く、英軍への攻撃を開始している。彼らは作戦計画を前倒しすることがあるようだ。私はこの情報部の出した答えよりももっと早く、ソロモン海に向けて進出しようと思う。10日程度、早めることを目安にしたい。状況を見て現地で待ち合わせすることはできても、先に行動しなければ、敵が計画を早めた場合間に合わなくなるからな」


「我々にとって、今まで待っていたのは悪いことばかりではありません。パナマを超えて大きな味方が間に合ってくれましたからね」


 サラトガの後方には、巨大な戦艦が見えていた。大西洋で行動していた戦艦ノースカロライナがワスプに続いて太平洋にやってきたのだ。高速を生かして西方に進むと直ちにスプルーアンスの艦隊に合流してきたのだ。


 スプルーアンスの艦隊は、日本海軍の軍令部が発した偽電よりも1週間早く目的海域に到達するように出港した。

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